000102.jpg


01.jpg
02.jpg
03.jpg
04.jpg
05.jpg

k003.jpg

水の夢

河本英夫(文学部)

要旨:2020年3月中旬に、屋久島に訪れ、標高500メートル以上のところにある屋久杉を見学した。屋久島じたいは、亜熱帯性の気候であり、大量に雨が降る。標高500メートル以上のところは、亜寒帯に近い。そこに独特の生態系が形成されている。屋久島で起きる水の循環にうまく適合するように杉が生育している。世界でも稀に見る長寿の杉が出現している。
 水の循環という点では、生命体そのものも水の循環を内的に活用している。水が無ければ、体内での生化学反応は起きない。水そのものが、内的活動を支え、この水の動きをうまく巻き込むように作り上げられているのが、生命体である。その意味で、水は多くのイメージを生み、作品にもなってきた。それを取り出して分析してみた。映画監督タルコフスキーの作品では、水は「原イメージ」となっている。

キーワード:水、原イメージ、屋久島、屋久杉

水には定型がない。水は流れるもの、流れ去るものであり、ときとして淀み、溜まるものでもある。穏やかに佇めば、映すものでもある。荒れ狂えば激流であり、城のほとりのように囲えば廻旋する。水には、多くの運動のモードが含まれており、まさにそのことによって水そのものは多くのイメージに彩られている。鴨長明は、『方丈記』で比喩としての水を活用している。水は身近にありすぎて、比喩としての距離感がない。この距離感のなさを逆手に取るところに比喩が成立する。水には距離はない。それは身体内にも流れているからである。だが流動する。流動というかたちの距離はある。水の運動は流体としてのモードが多様なだけではない。水蒸気にかたちを変え、条件に応じて液体の水に戻る。そしてさらに固体にもなる。生命体の7割は水だと言われるが、水そのものはまるで表面化しないように姿を消して含まれる。極地方には氷点下15-25度のような極寒のなかでも生き延びる生物体がいる。それらの体内を浸す水は凍ったりしない。そして時として雪や氷となり、それを使って雪の彫刻が作られる。雪に食塩を混ぜれば、-20度程度まで温度を下げることはできる。それでもいずれは解けて、彫刻の形は失われる。「溶けて流れれば、みな同じである」。
1 水のイメージ――タルコフスキーの思いで
人間の知は、かたちから作られている。そのためかたちを中心としてかたちをもたないものは素材だとみなされていた。これがアリストテレスによって導入された「形相-質料」である。アリストテレスの場合、元素的、要素的な物質は4つある。それが水、空気、土、火である。このなかでかたちそのものの素材となりそうなのが、土である。水は素材のなかに含まれ、植物であれば7割以上は水である。空気は、素材のなかに見られる隙間であり、火とは暖かさのことである。そのため木を加工して柱を作り、家を作る場合のような材料とは異なり、水や空気や火は、物に含まれてはいるが、物の一部ではない。少なくても通常の意味の「部分的素材」ではない。部分とは異なる仕組みで「形」に内在化する。水、空気、火のような元素を部分だとすると、これらは全体のなかに配置される部分ではないのだから、むしろ「部分-全体」関係を組み換えながら、成立する要素である。これは全体からの割り当てによっても、部分からの構成によっても届かない事態があることを意味する。つまりアリストテレスの4元素説と質料-形相体制は、残念ながら整合的ではなかった。質料-形相体制は、形相が安定して維持されている場合しか成立しない。木材や石で建物を作る場合のように材料と建物が、安定した関係にある場合だけである。かたちが変化し続けている場合には、質料-形相体制の内実を組み換えながら、変化し続ける。たとえば水の流れの中に渦巻が生まれたとする。水は渦巻の素材とは言えない。水そのものが運動を続けており、運動のかたちが渦巻である。そのため渦巻のかたちはそのつど水の運動によって作られては消滅しまた作られる。運動が含まれた事態を、質料-形相体制で捉えることは、筋が違う。運動感を含んだ知覚がある。渦巻には、運動感を含みながら「類型」に似た運動のかたちを捉える知覚が対応する。この知覚一般は、歩行や動作の知覚から獲得されており、見て知る以前に、見ることが同時に自分の身体でそれを模倣し真似てみることに直接連動している。これを「知ることを一義化する現象学的な知覚」と結びつけることは難しい。あるいはこの水の動きは「行為的な知覚」だと呼んだほうが良い。それにふさわしい現象学的な探求の仕方も、現象学的な記述の手法もまだ開発されていない。数学的比喩で定式化すれば、水の動きのなかに動きの変数が出現し、それはまたたくまに消滅して、また出現するような自己組織的な運動性の変数である。この変数はそのつど値を変えるようなもので、変化する値は、渦巻の躍動として感じ取られている。運動を感じ取るものから考察しようとしたのが、ベルクソンでありドゥルーズである。多くの比喩を繰り出して知覚の手前の体験的世界を明るみに出そうとしている。だがそこにも体験的行為にかかわる知覚は働いている。この知覚の固有性に迫ることまでにはまだまだ距離がある。というのもいまだ触覚性の知覚が組み込めていないからである。自己組織化では、かたちの出現は、運動の持続の副産物である。運動の継続の数学的定式化によっては、かたちはどこにも出てこない。すると運動の持続とかたちの知覚は、異なる事態を結びつけるような特殊な直感(直観)が導かれなければならない。渦巻の知覚は、こうした質の異なるものの距離を含んだ知覚のエクササイズなのである。人間の知からすれば、水は定型の形がないこと、部分-全体関係で配置してわかるものではないこと、さりとて本性がすべて変化してしまうように変貌するものではなく、いずれも固有性は維持されている。これらによって、水はこれほど身近で分かる以前にすでに自明化しているが、他方では標準形がない。ここに水のイメージが出現する。それじたいで形のないもの、繰り返し形が出現するものは、イメージで語る誘惑に繰り返し付き纏われる。水は動くものの代表である。空気も火も動き続けているはずだが、動きを見ることができるのは、稀な事例の場合だけである。水の場合、川の流れや靄の出現、あるいは雪解けのように「運動そのもの」を見ることができる。水には何度も繰り返し過ぎ去りゆくイメージや、溶けて形を消していくもの、大気へと昇っていくもののように変貌するもののイメージが、基本形を作り出している。大きな蓮の葉っぱの上で、水が球形になってころころと転がるように煌めくことがある。表面張力が働いているのだが、このころころとした水の仕草はどこかコミカルである。雨の日に、窓ガラスを伝わる「しずく」もゆっくりと尾を引くように落下する。数滴のしずくが、偶然一緒になると、急に速度を上げて落ちていく。落下運動も一様ではない。しずくの重なりによって斜めに落ちていくように滑るものもあれば、ガラスの起伏によるのか散らばっていくものもある。オフィーリアは死体のままゆっくりと流れていく。怪しげではかない美しさは、流れていく姿が似つかわしい。流れは、死にゆくモードだが、やがて消えていくことや何度も流れていくことのモードでもある。頭から流れていくこともあれば、足から流れていくこともあり、場合によっては横倒しで流れていくこともあるはずである。流れ行くことは、つねに消えゆくことでもある。そのため、記憶のモードでもある。記憶はいつも尾を引くが、やがて追憶のなかだけで流れていく。そこにはきまって水中植物が、流れに引っ張られるように付き添いながらゆらめいている。オフィーリアの流れる川は、前壁や岸壁や砂浜では似つかわしくないのだろう。植物の命のなかを消えるように流れていくことになる。

m01.jpg

静かな水は、物を映す。逆さ富士は、水に映り、対照的と成った変形の菱形である。そしてそこに自分を映してみる。自分の顔をみることができる。自分の顔にほれこめば、「ナルシス」である。自分自身へと戻っていくまなざしは、多くの場合、どこか居心地が悪い。生きているものは、その生きざまを見るということがそのまま奇妙さを抱えこむことである。顔も同じである。鏡を使って化粧するものは、見たい自分の顔を鏡に見ているのであり、素顔を加工するために、鏡を見、素顔を作り替える。自分の顔を見るという居心地の悪さを、快に変えていく仕組みがあるに違いない。水に映る自分の顔は、当初から見たい顔を見ることに相応しく作られている。ナルシスとは、水の手前で自分自身へと戻ることである。水に指を入れてみる。顔相が変形し崩れる。それもまた本当は顔の姿である。生きていくことは、内部に水を維持することである。水はつねに体内に淀み、この淀みは、生そのものの淀みに似ている。人生は、思うにまかせない出来事に満ちている。それが生きることの本性であるかのように、生は淀んでいく。その淀みのなかで、何かに気づいていく。そうした場面を映画監督タルコフスキーは、繰り返し描いてきた。タルコフスキーの3つの主要作品を取り上げてみる。
『惑星ソラリス』(1973年)は、宇宙ステーションで起きるSFとも未来小説とも言える内容である。宇宙ステーションで観測研究にあたっているが、研究者のなかには行方不明になったり、鬱病になり、回復不能になってしまう者もいる。その行方不明者を探しに行くことを兼ねて、主人公クリス・ケルヴィンは宇宙ステーションへと向かう。場面は宇宙飛行に出発する準備を行うケルヴィンが自宅近くの川と沼で、多くの思いを伏せたまま、心の準備を整えていく場面から始まる。水面のなかを揺ら揺らと流れに揺れる水生植物が浮かぶ。溜水は淀んだまま小さな水草が、群を作って浮かんでいる。池を覆うように靄が立ち、景色を消すように一面霧がかかっている。ソラリスは、重い流動する液体だけで成った惑星である。陸や島と言えるほどのものがまだないことから、粘性の流体状の運動体だけでできた惑星である。この流動する重い液体が特異な性質を示すことから、これ以上研究を継続するかどうかが問われ、ケルヴィンはこの課題の検討のために、宇宙ステーションに滞在することになった。ソラリスには、すでに宇宙船からX線照射が行われ、それとともになにか宇宙船のなかに奇妙なことが起こるようになっている。ケルヴィンの傍らに10年前に服毒して死んだ妻ハリスが出現してくる。そしてそれは幻覚や虚構ではなく、動かしようのない現実となっている。ソラリスの海は、記憶イメージを物質化する働きがあると考えられる。流体は、記憶とイメージに形をあたえるのであり、流体の思考は、熟成でもあるようだ。記憶によるイメージは、特異である。特定の場面だけが理由なく過度にあざやかに浮かぶのである。なぜその場面が浮かぶのかは、本人にも分からない。おそらく意識下ですでに選択が行われているはずである。まるで流れる流体のなかから、突如個物が出現してくるようなものである。惑星ソラリスは、ものに形をあたえる働きのことだと言ってよい。死別した妻との再会がただで済むとは思えず、次々と事件が起きる。過去を再度生きることは、際限なく生きることである。宇宙船に残った他の研究者が、物理的にこの妻を消さない限り、過去は終わりはしない。やがてこの奇妙な経験を経たものは、地球へと我が家へと帰っていく。老いた父と母が雨漏りの水に打たれながら待っている。語るような事柄は、もはや何もない。というのも何を経験したことなのかが分からないのである。たとえばある経験をする。この経験によって、経験量そのものは増えたのか、あるいはまったく増えなかったのかと問うことはできる。なき妻との思い出が、さらに一つ増えたのだろうか。そうなれば宇宙ステーションでの経験はすべて夢のなかのことだと言ってもよい。それは何度も繰り返される夢の一つが、宇宙船の姿を取っていたということなのだろうか。現実に起きたのか起きなかったのかが、それじたい測定誤差に入ってしまうような紛れもない経験はあるに違いない。そのとき、空虚の一歩先に得体の知れない、「どうにもならないもの」の手応えだけは獲得されている。
『ノスタルジア』(1983年)は、「映像詩」と呼んでよい作品であり、総体として見て、隠喩としての自伝でもある。亡き母の思い出に捧げるというようになっている。蝋燭を灯して水の抜かれた温泉場を歩く最終版の風景のように、タルコフスキーが存分に描きたい映像を描いた作品として仕上がっている。温泉の水は重く、重い水から逃れるように湯気が立ち上っている。モスクワ在住のひとかどの詩人アンドレイが、休養と気分転換を兼ねてイタリアの温泉保養地であるヴィニョーニ温泉の近くのホテルに投宿する。この旅行には一人のローマ出身と思しき女性エウジニアを同伴している。一面に霧のかかったホテルの遠景から始まる。この女性とのアンドレイの旅行は不倫旅行ではなく、ホテルの部屋も別々である。成熟した芸術家であれば、異なる経験を求めてのことであろう。場面は、水溜まりや雨漏りを続ける建物や、湿って水にぬれた階段や、水の光る床のように一面の水の風景である。温泉地も活用されている。イタリアには保養所を兼ねた温泉地が多い。多くの人たちが、便秘対策としても活用している。どこまでも水の中を移動する生命体を描くのである。タルコフスキーの生命の感触は、水の近くにあり、水に濡れており、水のさなかにあるという水とともにある風景である。そして人にはいつものように「犬」がともなっている。水溜まりでも、人と犬は並ぶようにして水脇に座っている。保養のためのホテルの近くに、ドメニコという一風変わった人物がいる。7年間閉じこもって、家族も同じように家に閉じ込めようとして、妻子はついにドメニコの家から家出してしまう。いくぶんか常軌を逸した狂気の男である。その男の話を聞きたいと思い、アンドレイは会話を試みるが、相手はまったく対応する気がない。同行した女エウジニアも、アンドレイが自分をまともに相手してくれないことに苛立ち、あたり散らし暴れてホテルを出ていく。アンドレイももうモスクワに帰ろうと荷物の整理を始める。だが後ろ髪を惹かれるように何かが気がかりなのである。そこにエウジニアから電話だと呼び止められて、インドに別の相手と旅行に行くと告げられる。そしてアンドレイも、あの温泉の場所にもう一度立ち戻ってみようという気になる。そこには銅像に昇ったドメニコがおり、世界を救済するために自分が立ち上がらなければならないという思いを全身にまとって大演説を行っている。「水を汚すような生活」は止めなければならないと人間そのものの罪深さを訴える演説を行って後、ガソリンを被って焼身自殺を試みる。時々見かける妄想性の大演説だが、この大演説を多くの観客は、教会の階段に据えられた彫刻のようにただ立ったままじっと見ている。これだけの騒ぎにもかかわらず、何も見ずただそこにいるものもいる。アンドレイは、水が抜かれ底に溜水の残る温泉場を、蝋燭を点け、端から端へと何度も歩いていく。蝋燭を消さないように何度もオーバーコートで風を遮りながら、温泉場の底を歩くのである。どういう思いが込められているのかはわからないが、それでも「自分自身への内面へと向かう行為」がさらにさらに繰り返し前に進んで来ていることは察せられる。そして水溜まりの前に犬とともに座り、水溜まりには背後にあるコロセウムの一部が逆向きに映っている。逆さ富士ならぬ、逆さコロセウムであり、二重に世界の広がりを感じさせることができる。記憶の世界は、いつも静かな水のように世界を二重にしている。
『サクリファイス』(1986年)は、最晩年の作品であり、「映像遺言」と呼んでよい。実際に実の「息子に捧ぐ」作品と記されている。主人公のアレクサンデルの50歳の誕生日に、友人たちが祝いに来てくれている。湖の近くに大き目の家を購入し、まだ幼い子供とともに、松を植樹している。一雨降れば、一面霧がかかり足元は泥状になる。湿地帯のなかのそれでも乾いた部分に家を建てて暮らしている。ここでも生きるとは湿度とともにあることだという確信のようなものが前景に出ている。多くの友達が来てくれるわけではない。古い世界地図をお土産に持って着てくれた友人は、ある種の「収集家」である。この収集家は、世界中から「ありえない話」や「ありえないが本当に起きた話」を集めて回っている。そのひとつが、第二次世界大戦で1940年に18歳の息子を戦場に送った母親の話である。出征前に二人で写真を撮っておいたが、戦時中のことでもあり、受け取りをしないままであった。息子は前線に送られて、ほどなくして死んだ。母親は、その街にいることもできず、引っ越し、友人に送る思い出にと写真を写してもらう。1960年のことである。現像してみると、自分とともに1940年頃の息子がそこに映っているという。物理的には稀な偶然が重ならない限り、起こらないことである。だが不可能だとも言えない。人間には目を開けていても見えないことはたくさんあり、眼を開けているために見えないこともたくさんある。誕生日の祝いに食事をしていると、巨大な振動が起き、家具が倒れ、核ミサイルが落とされたようだと報道が流れ、テレビが消えてしまう。友人の医師の夫人も、ヒステリー性の発作を起こし、鎮痛剤を打ってもらう。恐怖感が閾値を超えると全身に緊張が走り、この緊張を自分では止められなくなる。起こらないはずのことが、ふとしたことのように起きる。その場の事態が落ち着いても、それでも何も収まっていない局面はある。そんなとき友人の医師は、アレクサンデルに家政婦の女のアパートに行き、あの女と寝ろという。あの女は魔女だというのである。アレクサンデルは、いぶかしく聞いているが、短銃をもち、自転車で家政婦のアパートまで行く。場合によってはもう死ぬ気なのである。もう死ぬ気の男とたとえ何が無くても死なない女とは、奇妙な接点ができる。医師は、オーストラリアに移住し、生活を変えると宣言する。アレクサンデルは、自分の屋敷に火を放ち、錯乱状態の中を救急車に乗せられていく。おそらくもう常軌を逸している。それでも湖の近くに植えた松は、何事もなかったように翌朝を迎える。人間はどうして「かくも余剰を生きるのか」というのが、素直な思いである。松や鶏や犬のようには生きられない。この余剰分そのものの「犠牲」は、なんなのかと思う。

2 水の島(屋久島)2020年3月13-15日

突然思い立ったように鹿児島の屋久島を訪問することになった。いろいろな理由がある。3月時点ですでにコロナウイルスは、日本全国に広がっていた。多くの人たちの参加を前提としていたシンポジウムも延期になった。3月末の年度末決算に向けて予算を使い切っていかなければならない。そこでチームを組んで屋久島に行ってみることにした。鹿児島には、いまだウイルス感染者は出ていない時期である。屋久島は、生態学的には水と岩の島である。火山性の島だから、火山灰は相応にあるはずである。大量に降る雨によって流されてしまったのか、そもそも島が隆起性の持ち上がり方をしたのか、ともかくも土は少ない。地元の人たちに、水田はあるのかと聞いたところ、島のなかを潤すほどのコメは採れるとのことであった。島全体を車で周回したが、水田を見ることはなかった。周回道路、ことに南側には、シカとサルが、なにはばかることなく道路に出没した。屋久島の生態系は、独特である。小さい島だが、もっとも高い山では宮之浦岳で1900メートル以上ある。隣接する場所には、1800メートル級の岳がいくつもある。海岸から島の中央に向かい金平糖状にいくつもの岳が盛り上がっている。島のなかでは標高差に応じて、寒暖の差が大きい。島の位置は、地理的には亜熱帯に近い。その島のなかに標高500メートル以上のところに、寒冷地がある。この場所は亜寒帯性の気候である。500メート以上の高さでは、亜熱帯性の強い日差しがあり、しかも寒冷である。そして養分を蓄えるほどの土がない。一月に35日雨が降ると言われるほど、雨が降る。亜熱帯性の湿った海からの大気が、山伝いに昇り、霧と靄にかわり、風向きによって山にぶつかると、毎日の雨となる。林芙美子の『浮雲』は、男と女の断ち切ることのできない腐れ縁のような「駆け落ち」物語である。農林系の技術者である富岡と、事務系の技能をもつ幸田ゆき子は、離れることも閉じることもできないような関係で、東南アジアでも、伊香保でも、静岡でもそのつど新たに繰り返されるような出会いを続けている。富岡の妻は死に、富岡にかかわる別の女も死に、それでもゆき子は、富岡との出会いを続けている。戦中、戦後の混乱の中だから、密会、不倫を咎めるようなややこしい周辺のまなざしはない。周囲のうわさ話も、その場限りである。他人のことにかまっていることはできず、それでも自分の今日一日をなんとか生きなければならない。すでに多くのものが死に、多くのものが、どこかで他者を求め続けていなければ、明日どうなるかもわからない。それ以上に、明日生きていくことが大変な時期である。こうした局面での男と女の終わりのない駆け落ち物語が設定されている。ゆき子は、事務員として働いていた新興宗教、大日向教の本部から当時のお金で60万円を盗み、もう逃亡するしかない状態に自分を追い込んでいく。新興宗教側も怪しいお金なので、被害届を出したりはしない。そして富岡も、遠地に農林省関連の職を求めて、二人でいやおうなく「逃避行」せざるをえない場面まで来た。そのとき逃避行の最終地に選んだのが、「屋久島」だった。農林省の直轄の営業所があった。戦後すぐの時代では、沖縄はまだアメリカの占領地であり、鹿児島県の屋久島が日本の最南端だった。そこに家族を捨て、知り合いを捨て、過去を捨てて、二人での逃避行が行われる。こう書けばロマンティックのようだが、三等の列車に乗り、天候が荒れれば船もでない。安宿でごろごろしているしかない。富岡はこの所在なさを酒で埋める以外にない。ゆき子は屋久島までの船を待つ間、高熱に浮かされ、抗生物質を打ってもらっている。戦後すぐの事だから、ペニシリンも十分に行き渡っていない。屋久島は、少し小高いところだと、6月あたりまで雪が残っている。杉の切り出しは、ほぼ人力である。富岡の仕事は、切り出される杉野管理である。ゆき子は、屋久島に着くと、ほどなく喀血してあっけなく死んだ。富岡との新天地の生活を思い描き、その手前で死んだのである。どこかこういう終わり方が、屋久島に似つかわしい。屋久島には特異な杉がある。それが「屋久杉」と呼ばれる。ほとんど栄養のない台地で、溢れるほどの水と日差しがあり、桁外れの長寿の杉がおのずと出現した。水を吸い、水を循環させて、循環する水の残り物が杉であるように、杉はゆっくりと生き続ける。屋久島には、低地でも杉は植えられており、下枝が刈られ、まっ直ぐに伸びた杉林がある。これは日本全国のいたるところで植林されている杉林である。樹齢30-50年程度だろうか。ごく普通の杉林である。このタイプの杉とはまったく異なる杉が、標高500メートル以上のところに生育している。すぐにわかるのは、樹齢のタイムスパンがまったく異なることである。樹の寿命のスパンがまったく異なっている。1000年以上生き続けた屋久杉の鬱蒼とした集合体である。しかもそれぞれの杉は、老いさらばえた老木という風情ではない。異なる時間を生きているという感じなのである。この特異な寿命をもつ杉が発見されて、屋久島は「世界遺産」に登録された。島全体の四割は、国立公園である。このタイムスケールの感じをうまく表現できるものが、人間の周囲には少ない。杉が生え、杉が寄りかかっている岩そのものは、最低10万年単位のタイムスパンで存在している。人間の寿命から見て、1000年単位の杉の生育の現実を感じ取ることは容易ではない。人間の寿命から見て、屋久杉は途方もない長生きではあるが、この長生きの感じを掴むためのうまい物差しが人間の周辺には少ない。別の問いかけをしてみる。1000年前の姿で、そのまま維持されている環境に出会うことは稀なことである。環境には人間の手が入る以上、1000年はつねに別世界である。1000年がそのまま維持されている環境を、それとして感じ取ることは容易ではない。あるいは登山道を登りながら息をつき、千年持続する呼吸を考えてみる。登山の粗い呼吸は、1時間、2時間程度のスケールしかない。千年続く呼吸を想定することは容易ではない。海岸近くの平地で見上げると、多くの場合500メートル以上の高さには霧とも靄とも区別できないような水蒸気が覆っている。亜熱帯性の水蒸気が斜面に沿って急速に上昇し、全域を覆うように広がっている。事実、登山道の付近では、かなり肌寒い。温度差が大きければ、大量の雨が降る。海洋で蒸発した水分は山脈に沿って上昇し、雨となる。おそらくほぼ毎日雨が降っている状態である。水が軽く、昇っては落ちてくる。そのため花崗岩の斜面には、巨大な「滝」が出来上がっている。西南の入り組んだ位置に、「大川の滝」がある。滝の落下距離以上に、落ちてくる水量が凄まじい。台風の大雨のような水量が毎日流れ落ちている。大川の滝に近づくためには、巨大な岩と岩の間を進まなければならない。湿気を帯びつるつるした岩である。同行した研究支援者のF君は、つんのめって膝をひどく打ち付けた。F君は、打撲の痛みが引くまで一人でぶつぶつ言っていた。

m02.jpg
大川の滝

「白谷雲水峡」は、もっともポピュラーな登山道である。依頼すれば、案内の人も付いてくれる。道に迷うこともある。杉の伐採や枝打ちのためか登山道以外のところにも人が入り込んでいる跡がある。難しい道ではないのだが、比較的迷いやすい。実際研究支援者のI君も別の場所で迷った。登山道には、弥生杉、さらに大奥地に「縄文杉」がある。杉にとっては、競争相手のない環境でもある。栄養の豊富な土地であれば、広葉樹で置き換わっていく。だがここにはそれだけの栄養がない。岩にも杉の大木の表面にも生育できるものがある。それがコケである。一面は、緑の絨毯のような一面のコケである。コケも全身が湿気に覆われた水コケである。コケも乾かなければ、わずかな栄養で生きられる。湿ったコンクリートの上でも生きるのである。

m03.jpg
一面のコケ

m04.jpg
杉の生態系

この一面のコケがスタジオ・ジブリの「もののけ姫」の舞台となったと言われている。人間に生まれ動物や植物と生きる決意をしたもののけ姫は、人間同士の争いに巻き込まれていく。人間同士の争いは、自然をどの程度自分の管理下に置くことができるかによって勝敗が決まる。だから自然との争いとしても設定される。この自然は、タイムスケールの異なるものとして設定されている。一面のコケがそのタイムスケールの違いを示している。直接見ることはできなかったが、縄文杉のように1万7千年生き続けていると言われても、その年数の現実感がないのが実情である。ただ古そうな樹だとしかわからない。おそらく杉しか育たず、栄養になるものも杉しかない。杉の底辺にはびっしりとコケがまといつき、杉には別の木が生え、さらに杉には新たな若い杉が生えている。杉は何重かに寿命を平行させて立っている。屋久島の食事は、基本的には海産物である。トビウオと鯖が中心である。首都圏では、こんな魚はめったに食べない。鯖はすぐ腐るので有名である。そのため味噌煮か揚げ物で食べる。海から引き揚げたばかりの鯖をお酢で染めてしめ鯖を作ることがある。鮮度と鯖そのものの大きさが味を分ける。どうやっても美味しく食べるのが難しい。それが鯖である。カメの手とかいう珍味もあるようだが、確かに手の形はしている。ほとんど美味しさを感じることができない。毎度毎度、食事には鯖が出てくる。食の多様性はあまり感じられない。だがこれがこの島で長く生きてきたものの生活の底流なのであろう。

3 水の生態学

水はどこにあるのか。海、川、天の雲等々が思い浮かぶ。だが多くの水は、大地のしたにある。水は大地の下を流れている。日本であれば、土中を掘り進めば温泉に当たる。多くの水道水は、雨水を溜めて使えるようにするか、土中を深く掘り下げて水脈に当たるかである。河川のように表面を流れる水は、降った雨の残り部分、土地が吸収しきれず、吸収することもなかった残り部分なのである。表面が乾き、土埃の舞うような春の畑でも、ひとたび浅く掘り返せば、しっとりと湿った土が出てくる。畑の土は、しっとりと水を含んでいる。大地とは、水の保管庫であり、これが水の惑星の意味でもある。水は大地の渇きを抑え、多くの植物に潤いをあたえる。そのためのスポンジ状の役割を果たすのが、大地である。陸上の植物、動物の生態系はこの大地の水によって支えられている。人間にとって飲み水は、いまだ資源ではなく、資源の手前である。使うこともできれば使わないこともできる材料ではない。欠くことのできないものは、外に留まる一つの「身体」である。そして水のもたらす湿度が、味覚、臭覚の形成にとって欠くことができない。まったく湿度がなければ、感覚器の形成も考えにくい。感覚器が成立することの内的な環境が湿度である。この意味で水は、「内的環境」でもある。水は生態系維持の基本要素であり、動植物を養う。工業化が進めば、多くの工業用水が必要となる。このとき水は資源でもある。生態系の維持装置である水と、資源である水は、簡単には整合化しない。一時的であっても水を資源として最大限活用してしまえば、またたくまに生態系の資源はすり減っていく。こうして水には、地球環境、生態系維持環境、生体の内的環境、生活資源が含まれている。資源には、国境があり、管理するものの裁量権の範囲がある。ところが生態系の維持に活用される水には、そもそも国境はない。この問題は、国際河川の活用をめぐって繰り返し問題を引き起こしてきた。水には、生態系維持装置、生命個体の環境要素の一つ、飲み水を含む資源、そしてお風呂や洗い物に使われ、ときとして公園に淀んでいる水のような生活環境要素という面がある。水の供給は、基本的には雨からもたらされる。ところが雨は時間的にも空間的にも、偏りがある。一様に満遍なく降る雨は、すでに人間化されている。雨は雨だから降るのであり、人間のために降っているわけではない。水の活用は、文明の試練ともいえるものである。またたくまに流れていく濁流は、人工物を容易に押し流し、水が枯れれば生き物の生存を危うくする。だがこの試練の大きさも、人間の活動そのものが増大させてきた面がある。世界各地にある砂漠化であり、湖の砂漠化である。ひとたび砂漠化が起き、地下の水の通りがなくなれば、水は地表面をすべるように流れていく。大地の保水力は、放置していても維持されるようなものではない。大地は干上がれば、土と石が密着して隙間を塞ぎ、そもそも水の浸透する余地がなくなる。そうなれば濁流となって流れるしかない。これは都市部で地表をコンクリートで張り合わせてしまった場合にも、同じ事態となる。行き場を失った水は、地表を移動するだけである。おそらく地中に含まれる水は、世界中で急速に減っている。砂漠化 タクラマカン砂漠は、シルクロードの通る交通の要所の一つであった。シルクロードは、人の足で歩けば、かなりの日数がかかる。とすれば川沿いを進むしかない。その川が、タリム川である。タクラマカン砂漠の周辺は、四方高い山である。北に天山山脈、西にパミール高原とカラコルム山脈、南に崑崙山脈とアルチン山脈がある。周囲の山脈の雪解け水を源とするタリム川や孔雀河などの内陸河川が流れている。「さまよえる湖」として知られるロプノールは、タリム川の末端の湖のひとつであり、この砂漠の北東端にあった。この砂漠の西の端が、ウイグルの二番目の都市カシュガルである。2万年ほど前の最後の氷期から、現在の間氷期へと遷り変わる頃には、盆地のほぼ全域がカスピ海のような極めて広大な湖となったと推定されており、後に気候が温暖化するにつれて次第に水が失われ、大部分が砂漠になったと考えられている。高山に囲まれた盆地のため、降水量が極めて少なく乾燥しているが、盆地の地下には五大湖の10倍にもなる大きさの地下水源が存在する可能性が指摘されている。遊牧民たちは、場所を移動しながら、遊牧を営んでいた。移動しながら、地下を掘り進むと、数メートルあるいは10メートル下には、地下の水脈が通っていた。それを汲みだして、生活水にしていたのである。ところが畑作のための灌漑用地として、地下から水を汲み上げ、区画された畑での栽培を行おうとして、畑一面に水を行き渡らせると、またたくまに畑は干上がってしまい、地下の水脈も枯れてきた。この地域の地下に沈んだ水だから、塩分も含まれている。塩分に強い、綿花を植えるぐらいしかないが、綿花には多くの水が必要である。地下水を枯らしてしまえば、その地域は砂漠となってしまう。かつて生育していた植物は、葉も小さく尖っており、葉からの水分の蒸散を防ぐような適応をしていた。だが地下水も枯れてしまえば、もはや植物さえ無理になる。地下水を枯らさない限り、遊牧は可能であり、ヒツジやヤギを飼い、毛や肉を商品として取引することもできた。中国には、現在56の民族が含まれている。国家が自国を巨大化し、周辺民族を制圧するとき、民族間の衝突が起きる。国家と民族の争いのような場面でも、現実に起きていることは多くの場合民族間の争いである。たとえば漢民族とモンゴル民族の争いなのである。内モンゴルは、モンゴル人が遊牧生活をおくっていた地域である。そこには数百年にわたる民族の生活の知恵がある。草原を維持し、遊牧で生を営んでいる。辛亥革命後、そこに国民党が入り込み、後に中国共産党が入って、日本軍を含めて一時三つ巴の争いの舞台ともなった。当時の中国共産党の文書である「三五宣言」(1935年)では、日本は「帝国主義」と称され、蒋介石の国民党は「軍閥」と称されていて、中国共産党はこの両勢力を打倒して、モンゴルの固有政府を樹立すると述べられている。戦中、戦後中国共産党が施政権を取り、漢民族が内モンゴルに入って、草原を耕し農地化したのである。土が表面に出れば、砂漠化が進行する土地である。大陸の強い風で土が舞い上がり、微小な砂になって一面を覆ってしまう。そうなれば砂漠の範囲は、放置すればしだいに広がってしまう。牧草地である草原は、土を表面化させず、土中の水分を維持し、地表面の温度を上げず、砂漠化を食い止める最重要な仕組みである。だが民族の強制的な置き換えは、制圧側の民族の方針を一貫して押し付けていくことである。草原を次々と耕してその結果、内モンゴルには広大な砂漠が広がることになった。機械的な草原の農地化は、周到な手順を踏まなければ、おのずと砂漠化を招いてしまう。日中戦争が開始される以前に、拡大を続けていたゴビ砂漠を緑地化しようと活動を続けていた日本人がいた。遠山正瑛(1906-2004)である。遠山は、後に1972年に日中国交正常以降、一人で訪中し、砂漠の緑地化にあたった。中国政府も砂漠化を食い止められず、1930年代に村があった場所はゴーストタウンになっていた。また2000万人以上の難民を生んでいた。一般に「死の土地」と呼ばれるクブチ砂漠で、遠山正瑛は日中40度を超える中で歩き回り、手作業で砂を掘って水源を発見した。遠山は水脈を発見し、100万本のポプラを植林している。死の土地が2万ヘクタールの緑の森になり、農地化にも成功した。ひとたび砂漠化すれば、常軌を超えたほどの努力をしなければ植生は回復されない。台湾の地下水路 人工の地下水路を作った事例がある。水路は、川のように地表を流れるものばかりではない。トンネルに似た仕組みで、地下に水路を作れば、蒸発も防ぎ、土中の水の維持にも貢献する。日本で作られている地下の貯水池は、台風や大雨の時に川から溢れ出す水を一時的に留保するものである。地下に巨大な空洞を作り、ひとたび洪水級の雨が降れば、水の地下貯蔵庫となる。こうした避難用の地下貯水池は、東京都内には10個以上ある。たとえば春日部には、荒川や利根川支流で溢れてしまう雨水を一時的に保存する地下遊水地がある。ここを見学するためには、一月ほど前から予約を入れなければならない。

m05.jpg
m06.jpg
春日部地下貯水池

こうした地下貯水池をトンネル状に長く設計すれば、地下水路となる。地下水路は、水の蒸発を防ぎ、地下に保存される水の量を維持する。戦前の台湾南部屏県で行われた工事がある。日本人の鳥居信平が作った地下ダムと地下水路である。台湾南部は亜熱帯性の気候であり、11月頃から翌年の5月頃までほとんど雨が降らない。川の水はほとんど枯れてしまう。大地は狭く急であり、ひとたび雨が降っても濁流となって流れてしまう。冬場でも生活水が使えるのは、枯れた川に「伏流水」があるからである。たとえば大水が出たとき、川沿いの道路の路肩が崩れて道路が寸断されることがある。川沿いの道路の下は、川に注ぐ前の雨水に溢れている。川の両側は、土壌に含まれた大量の伏流水がある。大雨の時にはこの伏流水に動きが出て、道路を崩してしまう。この伏流水を貯めるためにダムを鳥居信平が考案している。地下水路は、地形の特性を生かさなければならない。伏流水そのものも、たとえ川が枯れていたとしても表面には出ず、わずかずつでも流れている。そしてそれは海にまで続いている。そのため伏流水そのものを海岸近くで汲み上げて、水位が下がれば海水が逆流する。水はただ低いところに流れるだけである。鳥居の立てた設計は、地形の特質を徹底的に調べ上げ、それを有効活用するものである。斜面から平地に移動するとき、傾斜が変わっていく場所がある。そこの地下に人工の堰を作る。コンクリートで固める必要はなく、海に流れていく水の流れを遅らせることができればよい。そうした堰を作れば、そもそも水流が緩やかになる場所なので、自動的に地下に遊水地ができあがる。斜面から流れてくる水を止めるだけなので、地形に大きな負担をかけることもない。川を堰き止めるのではなく、地表に出てこない伏流水の遊水地を作るのである。伏流水の流速はかなり遅い。たとえば日本の富士の雪解け水が地下に潜り、静岡県の太平洋にまで到達するまでに約50年近くかかると試算されている。日本の地形で、地下を掘り天然の温泉が出るのは、この緩やかな流れの中で多くの地中成分が含まれるからである。日本でも地方に行けば、大きな河川に浄水場を設置して飲み水にするのではなく、ボーリングで地下深く掘り下げ水脈を探り当て、それを各家庭の飲み水に活用している地域はたくさんある。ゆっくりと膨大な量が流れる地下水である。そこにかりに堰を作れば、流れはさらに遅くなる。そしてそのダムから地下の水路を付けていく。乾季のほとんど雨の降らない時期に、川底に水路を付けるのである。鳥居信平は、そもそも国策会社として設立された「台湾製糖」技師として、1914年に台湾に赴任した。サトウキビ畑は、干ばつや水不足でしばしば不作になった。雨季に降る雨を一時に流してしまうのではなく、伏流水として溜めるのである。地表に出たダムであれば、そこに水を溜めても乾季には干上がってしまう。現地の河川である「林辺渓」の川床地下に伏流水をせき止める長さ約160メートル、高さ約3メートルの地下ダムを作り、514メートルの地下水路、支線を含め総延長約57キロの水路を1921から2年間かけて築いている。1日7万~25万トンの水を供給し、荒れ地約3000ヘクタールがサトウキビ畑に変わった。国際河川メコン川 メコン川は、チベットを源流とする。インダス川、ガンジス川、揚子江、黄河のようなアジアの主要な河川の源流も、チベットである。中国ではメコン川は、国際河川だとは認識されていない。「欄創江」という国内の川だとしか認識されていない。中国が雲南省に巨大なダムを作ると、水量を自分で制御できるようになる。中国側の言い分は、ダムは発電用のものであり、下流に流れる水の総量は変化がないはずだという。ところが水嵩は、決定的に重要なのである。工業化が進むタイでは、農業用水と工業用水は取り合いになり、下流のベトナムでは南シナ海の海水が逆流する現象が起きている。水を資源だと捉えるなら、国際河川ではその川が通る各国にとっても資源である。中国の前首相である温家宝は、「水不足は中国の生死を分かつ」と言い、インダス川、サルウィーン川、プラマプトラ川、カーナリ川、サトレジ川の上流に、約7000ものダムを建設してしまった。上流を抑え込むという中国の粗暴な原理がここでも発揮されて、上流を管理したものが川を制圧するという発想である。そして下流域、とりわけインドでは水不足になっている。地下水を汲み上げて工業用に使うという発想は、短期的なものである。地下の保水量が急速に減っていくのだから、同時に砂漠化が進行する。メコン川周辺地域での干ばつが深刻化しており、地元メディアは中国が上流に複数のダムを建設したことが原因だと報じている。米政府の資金提供のもと、水資源のコンサル企業「アイズ・オン・アース」がおこなった調査の報告書によれば、中国はメコン川流域のダムに470億キロリットルの水を放出せずにためているという。これに対して中国の反論はいつもの調子である。メコン川流域の干ばつは高い気温や雨量の減少といった気候変動が原因であり、雨季に水をため、乾季にそれを放出するダムのような人工貯水池は、上流に限らずメコン川全体の干ばつを緩和していると主張している。メコン川流域諸国のなかで最も干ばつの危険にさらされているのは中国そのものだとも述べている。国境を超えるマクロな現象の変化の原因を精確に推定することはできない。だから反論も異論も成立する。しかも現実に起きる問題に対しては、特定の国家や、国家内の問題ではない。ワシントンに拠点を置くシンクタンク「スティムソン・センター」のブライアン・アイラーは、干ばつは雨季にも発生しているとしている。このセンターの調査によれば、上流にある中国のシャオワンダムとヌオツァートゥーダムが、2019年7~11月の間に、計200億キロリットルの水をためこんでいたという。ドイツ・ゲーテ大学の研究者セバスチャン・ビバも、メコン川の干ばつには気候変動などのマクロ環境的要因が影響してはいるものの、問題を悪化させているのは中国のダムだと言う。このタイプのある種の事件のような変化は、小規模にはもっと小さな規模でも起きている。メコン川の最大の支流であるセサン川は、ベトナム中央高原からカンボジア北東部を流れて、カンボジア北部でメコン川に注ぐ。このセサン川ではベトナムが上流であり、カンボジアが下流である。ベトナム国内に建設されたダムの放流によって、カンボジア北東部のラタナリキ県で溺死者がでて、多くの農地が水に浸かった。生計手段や健康被害を合わせると、2万人の被害があったと報告されている。こうしたある種の事件をつうじて各国のNGOは、国際機関の「メコン川委員会」をつうじて、ベトナムに対応するように求めたのである。それによってベトナムとカンボジアの間では、放水に関する情報共有のルールや調査の必要性についての合意がなされた。だがこうした合意は、いつものことだが、双方から出された「提案」に留まるのであり、それぞれの課題についての「実行機関」がない限り、ほとんど何も行われない。国家は実行機関だが、国家間に提案された合意を実行する機関はどこにもない。水が生態系の維持と環境保保全ならびに資源として有用であることは、誰にとっても異論はない。地下に保全される水が、環境の極端な変化への緩衝材の役割を担っていることも間違いはない。こうしたマクロな課題に対しては、「国境」という概念がある種の妨害になっている。地球環境の国境がないことと同様に、地下に保全される地下水にも本来国境はないのである。食料の増産は、さまざまなかたちで取り組むことができる。だが利用可能な水の総量を増やすことは難しい。そのため温暖化時代の水利用のデザインは、ほとんどが残された課題でもある。

<参考文献>
エスティーヴ『タルコフスキー』(鈴村靖爾訳、国文社、1991年)鴨長明・安良岡安全訳注『方丈記』(講談社、2011年)下野敏見『屋久島、もっと知りたい』(南方審査社、2006年)橋本淳司『世界が水を奪い合う日・日本が水を奪われる日』(PHP研究所、2009年)橋本淳司『水は誰のものか』(イマジン出版、2012年)林芙美子『日本文学全集48 林芙美子』(集英社、1972年)林大樹他『水と社会』(東大出版会、2019年)平野久美子『水の奇跡を呼んだ男』(産経新聞出版、2009年)バシュラール『水と夢』(及川馥訳、法政大学出版局、2008年)ヘディン『さまよえる湖』(深田久弥他監修、関楠生訳、白水社、1989年)真坂昭夫他『山海野』(財自然環境研究センター、1996年)

(2020年9月10日)

contents_border_ft.png