東洋的フラクタル
――三浦梅園の構想
河本 英夫
哲学は原理的な問いを行い、原理からの組み立てと同時に、それをつうじてそれまで見えていなかったものを見えるようにする作業を含んでいる。そしてさらにその作業の持続的な展開可能性の感触を含んでいる。それを手にすれば、なにか新たなものに触れ、新たな領域に踏み出し、繰り返しそこに触れることで、経験はさらに細やかとなり、新たな展開可能性を感じ取る場合に、哲学は有効に機能する。三浦梅園(1723-1789)は、江戸中期の大分の医師であり、日本人には珍しく資質上「原理論的」な問いかけを行う人であった。何を論じても過度に「原理論的」になる人のようで、書簡を見ても、相手に固有に語るというより、ともかくも原理を述べ続けるという書き方をしている。
梅園自身は膨大な資料を読み込んでいる。だが原理論は文献学ではない。多くの文献の中から、ともかくも原理として「活用可能な語」をキータームとして設定し、そこに思いを乗せて議論を組み立てている。それは場合によっては、概念のゲームのようにも見えるが、たとえゲームのような組み立てでも、そこに「経験の拡張」が含まれているのであれば、哲学としては成立する。
哲学の課題は、原理から世界を一貫して説明して見せることではなく、その途上で新たな経験に踏み出し、どのようにしてみずからの経験を作り上げていくかにかかわっている。そしてそこに持続的な展開可能性が含まれていれば、何度も同じテーマを書き直していくという作業が生じる。
梅園の主著は『玄語』であり、普通の語感であれば、「黒い言葉」である。梅園自身31歳で着想を構想し、65歳の時に完結している。何度も書き直し、現代語訳で読んでも、散文詩のようなリズムで書き進めている。「国破れて山河あり、城春にして草木深し」という漢詩は、対の語列で成立しており、くっきりと対照性がでて、かつ心地よいほどのリズム性がある。『玄語』はほぼ全文こうした語で描かれている。表現されたものは自然詩であり、しかも融通が利かないほどの強烈な論理に貫かれている。書誌的な事項は、膨大な細部を含む。だがここでは梅園の構想の骨子と展開可能性のみに限定する。
梅園本人は、膨大な文献を読みこなしている。医師であり、思索家でもあるためか、徹底的に各典拠に吟味をかけながら読んでいる。嘘を真に受けてはいけないという強烈な「読みの倫理性」がある。22歳の時に開始された読書日記である『浦子手記』には、道家の系譜の哲学概論『淮南子』、西洋天文学説『天経或問』を含めて、『荘子』『列子』、宋学、朱子学、仏教書などの数多くの書名も記されている。読み、考え、書くということを繰り返した一生である。
江戸の中期であるから、多くの人たちが斬新な知を求めて日本全国で動きのあった時期である。5歳年上に本草学の田村藍水がおり、同年齢に前野良沢がいる。また5歳年下に平賀源内がおり、10歳年下に杉田玄白がいる。数十年かかる作業に乗り出すものや、無類の才気を発揮し続けるものが、次々と出現してきた。東洋的知見と西洋科学がさまざまな局面で交差し始めた時期でもある。だが論理的構想は、洋の東西を問わず、一貫した論理性を構想し、提示することができる。梅園は三度旅をした以外は、故郷の大分県国東半島を離れることはなく、医業の傍ら黙々と思考を続け、数多くの著作を残した。生前から、多くの内弟子希望者がおり、複数の藩主から招聘の声もあったが、地元を離れることはなかった。
現在では、地元安岐町に梅園自身が設計した旧宅があり、近くには宿泊施設、キャンプ場、天文台、整備された梅畑である「梅園の里」がある。設備の完備した資料館に膨大な自筆稿本がほとんど保存されている。メルカトル図法で描かれた世界地図(梅園自身の筆写)や南天図・北天図(南半球・北半球の星図)なども収蔵されている。
1 いくつかのキーターム
梅園の構想を理解するにあたって、いくつか押さえておかなければならないキータームがある。その一つが、「気」である。日本人にとっては、すでに自明となっている多くの語に含まれている。元気、呑気、活気、景気、意気、気配、気配り、気落ち、気負い、気が立つ、気の迷い等々の語にすでに含まれているために、どこかで漠然とわかっている。そして漠然と分かる以上に分かろうとすると、なにか筋の違うところにいきそうな感触もある。なんらかの活動状態にかかわり、しかも定義のように確定しようとすると、「気」という語に含まれる「曖昧な豊かさ」が損なわれてしまうようにも感じられる。だがこれをキータームとして活用するためには、経験の局面をうまく切り取らなければならない。
気 梅園が事例として挙げているのは、以下のような事例である。団扇と団扇を重ねて、上の団扇を素早く持ち上げると下の団扇もめくれるように少し動くことがある。現代的に言えば、瞬間的な動きによって空気の希薄な場所ができ、それに引っ張られて下の団扇が動く。これを気の働きだとしてみる。醤油さしに醤油を注ぎ込むとき、入り口以外に穴がまったく開いていなければ、醤油が入りにくくなる。脇に小さな穴を開けておくと圧迫なく、醤油を注ぎ込むことができる。気は見えないが、あらゆる場面で働いており、それは物事の変化や活動にかかわっている。
共通しているのは、気はそれじたいは見えず、また活動に関与し、活動とともにあるが、物とはまったく性格を異にすることである。ただし気が世界に充満しており、その気のなかから物が生まれるほどの強い原理ではない。たとえばエネルギーの場を想定してみると、そこから粒子が出現したり、場合によっては粒子が消滅して場に戻るというような場面を考えてみる。こうなると気は、原理的な基盤のようになってしまう。そこまで強い主張をすると、万物が出現する未分化で未定の流動体のようになってしまう。この場合、気は基盤として基本に据えられるだけではなく、こうした流体状の活動態から物が生成するという「発生消滅論」を組み込むことになる。梅園の最初期の構想には、こうした側面が微妙に含まれている。だがそのことが「気」の主張点ではない。近代科学になぞらえてそこまで強い主張にしてしまうと、気の微妙さが大幅に削り落とされる。
梅園の挙げる事例で見る限り、気を「活動の媒体」として「活動につねにともなうもの」であり、活動に微妙に伴う場合に、「それじたい活動的でもある」という内実になる。物事の隙間や事柄の隔たりにも「気」は含まれているはずである。
陰陽 陰陽も、梅園の構想の建付けを支える大切な語であり、中国からの導入である。陰陽は、明暗、男女、天地のように、事象は単独で成立するのではなく、つねに相反的な対として成立することを述べた原理である。ここは基本的には相反関係であり、相反関係にあるからこそ動的な動きができると考えられていた。
ヨーロッパで類似した概念をさがすと、引力、斥力のような相反的で拮抗しあう二つの原理からの組み立てを取り上げることができる。これは「動力学」(ダイナミクス)と呼ばれ、古くからさまざまなかたちの定式化があるが、ニュートンは物質が安定している時に、引力と斥力の均衡で説明している。引力過多になれば物質は引っ張られて収縮し、斥力過多になれば、物質は膨張し、場合によっては飛散する。これは個物を成立させるさいの必要条件としての内的相反原理である。
陰陽は、こうしたダイナミクスの原理とはかなり違う。事象は、単独では成立せず、単独で成立するように見える場合でも、必ず何かと対となって事象を成立させている。梅園が説明に用いるのは、建築で柱を渡すさいに、木を組み立てるには、柱に切り込みを入れて凹みを作り、それに合わせてもう一つの木を組み合わせるというものである。これを「反して対させる」と形容している。たとえば反対という語を「反-対(ハンツイ)」と読ませるようなところがある。語の語幹を開き、それぞれに意味を持たせるような語の活用は、梅園の著作ではいたるところで見られる。しかしこの柱の事例では、陰陽は「相補的」という意味で使われており、陰陽は広義の対関係の一種であることがわかる。
他の例では、布を織ったとき、表と裏では繊維のキメがまったく異なるが、それは同時に成立しているという。これも対関係の一つであり、一つの事態の「両面性」という程度の内容である。物事には、両面があり、表として見えている物には同時に裏が伴っている。この両面性は、一つの図柄が二つの見え姿をもつというゲシュタルト転換のような話ではない。見え姿が複数個あるのではなく、事物が見えるときにはすでにどちらかが見えている。そこに同時に張り付くように裏側があるという関係である。表と裏は、一つのものに織り込まれている。この一つが成立している現実性であり、そのことが大前提となったうえでの裏表である。
このことは運動の相対的対関係にも広げられているように見える。東に10キロ進むことは西に10キロ後退することと同じであり、これはどこを基準にして運動を捉えるかの裏表である。東という方向は、東西という対関係のなかでしか成立しないのだから、東側へという方向指定は、同時に西側への方向指定も含んでいる。これも対のもとでは、両面性である。
だがこうした議論は、どこまで一般化できるのだろうか。東西や上下のような当初より対関係が成り立っている事情については、まちがいなく成立する。血管の動脈、静脈のように対になっている場面には、拡大可能である。
いま眼前に石ころがある。この石ころは何と対関係が成立しているのだろう。雪が降る。降る雪は、何と対関係が成立しているのだろう。水だろうか、空気だろうか、寒さだろうか。対関係は、世界のなかで基本的な関係の一つだが、物体のようにそれ単独で存在するように見えるものは、何と対関係なのか。宇宙に時として存在する双子星や連星は、ただちに見える対関係がある。だがそれ単独で出現している物は、単独だから「個物」なのである。すべての事象が対関係を基本とするとなると、かなり大きな拡大解釈を行わなければならない。それは成功するのだろうか。
天地 おそらくこの場合、対関係のモデル設定をどうするかが、成否をわける。うまく設定できれば、基本形を対関係のまま維持できる。そこに持ち込まれるのが「天地」である。天は物ではない。地はいずれにしろ物である。すると物と物でないものの対関係が生じる。この物ではないところに気が割り当てられる。すると活動態もしくは活動の媒体と、物との対関係ができる。気‐物という対関係の誕生である。物の周囲にある気は、物の動きや物の運動だけではなく、おそらく物そのものの出現にもかかわっている。こうして「生成関係を内部に含んだ対関係」が出来上がっていく。
条理 条理は、物そのものに備わっており、世界に実現されていく。そのため事物が、それとして固有化するところに条理が、「燦立する」と言われる。事物の固有化は、対の関係がぴったりと出来上がることであり、建築物の凹凸がぴったりするような場面である。ぴったりしている対関係が、「反」であり、ヨーロッパ的な表現で言えば「均衡」である。条理がここでは実現しており、対そのものが個体化するのである。対そのものがぴったりしていなければ反の結び目も見えなくなるほど「混成」してしまう。たとえば気と物がぴったりとしていれば、そこにはある種の均衡があり、ぴったりする働きは、実は気の働きの場合、気と物のかかわりの場合、物と物の働きの場合、運動するものと静止している物の場合のように、分析的に考えれば、多くのモードがあるに違いない。だが条理が見える場面は、燦立であり、それが見えなくなるのは混成であるように、可視化のモードの分析に力点は移動している。
この条理は、経験科学的な意味での規則や法則ではない。無駄なく整合化している状態であれば、一番近いところを探せば、「最小作用の法則」ぐらいであるが、機能的な整合性や安定性を過度に強調すれば、世界は安定してしまうはずであり、そこから新たな運動がうまれようがない。ところが条理が実現するのは、「反」という整合化なのである。
こうした事態をうまく言い表す用語が、人間の言語には少ない。「調和した不均衡」とか「反復的に実現され続ける均衡」「そのつど定立される均衡」とか、多くの類似の言葉を並べることができるようにも思えるが、それでもぴったりとした感じがない。
条理は自然界に実現するある種の「均衡」であるが、均衡をささえる規則性や、均衡のなかに含まれるダイナミクスが問題になるのではないのである。条理とは自然界の本性であり、梅園にとってそれ以上に遡る性格のものではない。かりに最小作用の法則のようなものを梅園が知識として知っていたとしても、それは大外の条件の説明に留まっていて、物の条理を表していないと感じると思われる。
というのも科学法則は、結果としてそこに落ち着く事態を出発点で設定した規則性だからである。こうした科学法則は、ある意味で見え透いた規則設定であり、結果としてそこに落ち着くように出発点を決めれば、機械的な必然性が出現するに決まっている。梅園の条理は、活動と物のかかわりがそれとしてくっきりと見えている事態であり、条理のなかで見えているのは、ある種の均衡のなかでの活動である。
出発点を決めておけば、結果が決まるというのは、ごく単純な力学系でしか当てはまらない。たとえば1枚の紙を落下させる。どのように落ちていくのかは、落とすたびに異なっている。落下の規則からは軌道を予測することはできない。地面まで落ちることに要した時間はほぼ決まっている。だから落下するまでの時間はほぼ決まる。このほぼ決まる所を規則化したのが、ヨーロッパ的な法則である。そして現実に起きる事態は、この規則性のもとでの圧倒的な多様性である。この多様性に届くように、規則の展開を明らかにしようとすれば、もっと別のやり方が必要となる。あるいは自然科学的な規則のように、時間で切り取れば、明確な規則性が得られるが、そのとき規則性以外のものも視野にいれるとどうなるのか。
この問題を別様に考え直してみる。「物の自然性」ということのなかに、ヨーロッパ的な法則性は含まれているはずである。だからそれを原型的な枠としてモデルを設定している。このモデルをもとに個々の事象の出現のしかたを考案してみる。そうすると規則性の解明に代えて、個々の事象が出現することのなかに、事象そのものの本性がくっきりと表れてくる場面がある。それが事象に固有化された規則性であり、それこそ「条理」である。
2 概念的定式化
こうした道具立てを使って、概念の体系を組み立てたのが、『玄語』である。『玄語』は、ある種の論理学であると同時に、末端で人間の本性にまで及んでいく自然詩である。そこに組み込まれるのは、概念の張り出した論理的生成である。こうした事態をうまくイメージできる事例が少なすぎて、なにか事例を設定しないと、形式的な定義のようになってしまう。だがそうなれば「自然詩」になりようがない。
迂回路を踏むような作業であるが、少し事例を出してみる。梅園が幼少期から抱いた議論がある。不思議な問いの立て方である。たとえば世界は何故そのようであるのかという位置から問いが発せられると、この問い自体は分かるが、どう答えたら答えたことになるかが決まらない。解答の仕方が決まらないのである。そうした問いにまといつかれるように梅園は、経験と思考を繰り返している。小さなところから探りを入れてみる。眼前の4本脚の物体をイスという。なぜそれをイスという語で呼ぶのかという疑問を持ってしまうとする。どう答えたら答えたことになるのか。物と言葉は、まったく性質が異なり、性質が異なるものを結びつける明示的な理由はどこを探しても見つからない。とりあえず言葉を文字言語ではなく、音声言語だとしておく。文字を修得する以前の音声言語のレベルでは、ともかく物を見れば音のまとまりを発していく時期がある。言葉に含まれる音声のまとまりを言語学者のソシュールは、シニフィアン(意味するもの)と呼んだ。この音のまとまりを物と対関係で関連付けるようなさらに強い規則はどこにもない。それらが対関係である理由も見出すことはできない。そのためウィットゲンシュタインは、言葉と物との関係を「内的関係」だと呼んだ。
語と物もしくは語と事象は、結びつく理由はないが、異なったものとして二つ一組で捉えなければ、物事を捉えたことにならない。事象がそれとして捉えられるのは、異質なものが二つ一組で捉えられているからである。二つ一組で事象が成立する場合、そこでは一つの事態が同時に語られている。四本足の物体―イスという2項対立そのものという事態は、一つである。この一つのなかに二つのもの(音声語と物体)が含まれている。このとき成立している事態は、一と(一、一)との関係である。質の異なるものが一つの事態として捉えられれば、論理的には二つの面を含んでいる。それがそれ以上明確に語ることも何であるかを指定することもできない(一)であり、それらが部分と部分の集合として捉えられるのが(一、一)である。
そうすると現実の事態として成立しているものは、(一)と(一、一)の組み合わせであることになる。最初の(一)は、事態であり、全体である。後の(一、一)は、異なる性質のものであり、音声語と物というように二つ一組で成立しており、それぞれは固有に成立している。だが事態が成立するためには、必ず二つ一組という仕組みが成り立っていなければならない。
(一)は音声言語と物との関係そのものなのだが、この関係そのものは多くのモードをもつ。音声語と物の関係は、それ以上に解明できない関係であるが、そこには多くの共同体の無名な人たちの発話行為の履歴が含まれ、しかも音声語と物の関係がそれとして定立的に確定するときには、それ以前の前史はその確定のもとに不連続な形で隠されてしまい、履歴はすでにリセットされている。関係そのものを由来から解明することはできない。だから一なのであり、それ以上に遡ることも、それ以上に敷衍することもできない。だが関係そのものは端的な事実であり、それの出現は、つねに一つの出来事もしくは事件である。
いま音声語のところに、物の活動に寄り添い、物の存在につねに伴っており、ときとして物を活動させるような「原理X」を置いてみる。このXはどのような意味でも物ではない。だが物があれば、つねにそれに伴うのである。とすると「X-物」が一組であり、さらにこの関係そのものにはXが根源的に関与していると考えてみる。物は定立されて存在するようになるある種の派生物だから、根源的Xと「X-物」という対関係がある。物がそれとして物であるとき、実際に成立しているのは「X-物」であった。しかもこの事態が成立する場面では、Xと(X―物)という事態が成立している。
このタイプの原理Xを導入すると、物の成立の場面で、すでに「対関係」が二重に成立していることがわかる。物が物としてあることの対関係(X-物)と、この対関係がそれとして成立していることの対関係である。これは(X物)-(X-物)と書き換えても良い。(X ―物)は、活動態と物がぴったりと分離し寄り添っている状態である。だがそれがぴったりだと言えるためには、何か対照項が必要であり、それを指標するものは、未分化なX物のような事態である。これがなければ、(X-物)に起きる変化の由来を明らかにすることもできない。
ある意味で、これは宇宙のカテゴリー論であり、しかもこのカテゴリーには夥しいほどの多くの語を導入することができる。これが梅園の基本的論理構造であり「論理的原型」である。それが形式的に、(一)、(一、一)の対(対峙)関係である。対峙は、どちらかが他方に回収されることはなく、しかも他を欠くことができない構造的な仕組みである。またそれ以上に伝統的な陰陽の関係での「反」が組み込まれている。対立するから活動が維持され、対立するから一つになれるのである。「反」はつねに異質なものに触れ続けることによって、「それとしてある」と言い換えても良いし、「それとして」物事が成立したとき、すでに異質なものに触れていると言い換えてもよい。意識的な反省のことではなく、働きとしての反省だと言っても良い。このあたりの記述の仕方が、歴史的には当時から見て約半世紀後にドイツで展開されるヘーゲル弁証法に似てくる。だが反は、どのような意味でも反省のような統合的な働きはない。
一は全体性であり、「性」と呼ばれ、(一、一)は「体」と呼ばれる。性から体への移行は、「剖析」であり、体からみた性への関係は、「対偶」である。性を具体化すれば、気(活動媒体)と物に具現し、体は具体化すれば気(活動媒体)と物に成る。この違いは、「具現」と「成る」の活動のモードの差異である。活動のモードを生成の仕組みが明らかになるように、異なる動詞を用いて表現している。動詞を活動のモードとして活用したのが、梅園である。それを具象化した場面では、性は神であり、活動のモードは英であり、体の具象化したものは物であり、活動のモードは根、すなわちそれとしてあること、つまり定立することである。こういう議論の立て方なのである。活動のさまざまな局面を切り出し、そこに語を当てていく。
気は、活動媒体もしくは活動態であり、物は活動の静止態である。あるいは定立するという活動をおこなう活動態でもよい。どのような場合も事態は対関係で成立するが、具体化したものはつねに気(活動態)と物(静止態)の対関係である。
(一、一)は、実際の現実性としては陰陽であり、陰が静止したものの性質をもち、陽は活動態である。それが総体として物を定立すると、天地となる。天地は、万物の基本形であり原形である。
性(未分化活動態)と体(分化した活動+物)の対関係は、「対峙」という対関係であり、気(活動媒体)と物が体において物を自己定立し、逆に体を物において「反転」する。この反転によって、体はそれとして活動するものと定立するものに分かれてくる。こうして性と体が隠れ、神と物が前景に現れる。反転とは働きの成果として出現した結果が、元の事態に働きかけることである。このあたりの行文を見てみる。
全体性を開く体は物の体となってその二を定立させ、全体性を具える性は物の性となって、その一を活動させる。分析すれば分散し、対立すれば統合する。全体性を具える性はおもむくところ陰陽となり、全体性を開く体は天地となってあらわれる。陰陽はさかんに動いて、神がその天に活動し、天地は物としてあるいは見えずあるいは見えて、物がその地に定立する。定立するものは溌溂とした神の活動をゆるし、活動するものは混然とした物の定立をゆるす。だから、全体化して一であることによって、そこに統一と分散、全体と部分という、一と二を結ぶ作用の経の関係を生みだし、部分化して二であることによって、そこに分析と対立、反転と並列という、一と一を結ぶ本体どうしの緯の関係を生みだす。
(『玄語』(抄) 中公日本の名著 341頁)
未分化な全体である一と分化した統一体である二の間のかかわり(対峙)から、さまざまな論理関係が出現してさまを描いた箇所である。くるくると視点が移動しており、論の進め方は確かに弁証法に似てくる。
この論理の仕組みには、(1)未分化で未定の活動が、分化した(活動態、物)と対峙して対関係を形成すること、(2)分化した物は、みずからが出現した物へと反転して働き、反転をつうじて物はそれとして物となり、活動はそれとして活動となる。こうして論理的に先行するものは、隠れて、新たな現実的な事態が出現してくる。これは確かに「反省論理学」的である。さらに(3)分化した物は、まさにそれによって、論理的前史を再編するのだから、再編された未分化なものに繰り返し再帰的に働きかけ、新たな現実性を形成する。
およそこんな調子で描かれていく。ある意味で名調子である。事態が成立するときには、必ず対構造が成立しており、対構造の一方は基本的に自分を定立する「物」であり、他方は活動するものである。働きと物との関係は、基本的には「対峙」であり、イメージ的には働きが関与しながらも、物がそれとして活動を巻き込みながら物として成立する場面が想定されている。これによって、物は圧倒的に多様になることができる。つまり人類史で見たとき、個々の事象が出現する原事態が原型的論理としておさえられ、ここから多くの現実が繰り返し、「対峙」と「反転」をつうじて出現してくることになる。
総じてみれば、(一)と(一、一)は、別のものではない。ある意味、関係そのものである全体性と関係の項からみた部分の集合のことである。だがこれらは「対峙」している。この場面は、未分化な(一)から分化した(一、一)が出現する関係ではない。未分化なものが分化するというような事象発生的な生成論が述べられているのではない。実際には、直接認識で言えば、(一、一)(活動態と物)が認識される。だがこの認識こそ、(一)と(一、一)の対関係において成立しているのである。対構造が基本だから、どこでも対構造が成立しているはずであり、対構造での出発点の指定が、(一)、(一、一)の対峙だったのである。
さらに議論は進む。全体性である(一)が、部分の集合である(一、一)に分かれてくる場面が、縦糸であり、活動のモードは「剖析」である。また(一、一)のなかの一と一の関係は活動のモードとしては「対峙」であり、横糸である。こうして剖析と対峙という活動のモードから、時間が出現し、空間が出現する。これをつうじて活動態である神はあまねくいきわたり、物が定立して場所を占める。気(活動媒体)が引き続く流れをつくれば、絶え間なく流れて時を作る。こうして活動態と物との関係から、空間と時間を導くのである。このあたりの行文は、梅園の資質がとてもよく出る場面である。
経(たて)に通じて時となり、今に近づいて来るものを生成し、今から遠ざかって往くものを消滅させて、神の遊ぶ経路としてはたらく。この天を宙(時間)という。緯(よこ)に塞がって処となり、上に乗るものを載せ、下に場所を占めるものを容れて、物がとどまる地としてはたらく。この地を宇(空間)という。空間が物を容れることができ、時間が神をつうじさせることができるとき、時空は気および物としては見えず、神物を容れることができる。物が空間のなかに場所を占めることができ、神が時間のなかを通ずることができるとき、神物は気および物として見えて、時空のなかに場所を占めることができる。
(『玄語』(抄) 中公日本の名著 341頁)
こういう調子で行文は続く。リズム性と時空の対称性がくっきりとしすぎて、言葉が紙面を覆ってしまう。ある意味で、別様に言い換えることは際限なくできそうだが、より正確な記述やより適切な記述に向かうという仕方にはなりそうもない。いわば距離の取れない記述が展開されていくのである。言葉の概念操作で描かれているように見えるが、実際のところは、機と杼を手にして錦布が作られていく場面を想起している。誰かが手仕事で布を織るのではなく、布を織るという活動をつうじて、そこに布ができていく場面を思い浮かべている。
さらに定立された物において、働きのモードがより詳細に出現してくる。体は機と体に分離する。最初の体はここでは(一)であり、機と体が(一、一)である。この機と体が天地である。機はカラクリや仕組みをもつ活動態である。また当初の活動態である性は、色と性に分離する。色と性は、象(姿)と質(実質)である。機は、運動と静止により、回転と平衡というモードを採る。天は回転し、地は平衡する。
物があるところには、性が痕跡のように成立している。というのも物は(一、一)の一部であり、(一、一)があれば(一)は「対峙」で成立している。そこで(一)に相当するものを見出すことができる。地の性は、湿潤であり、天の性は明るく輝く華である。ここは物ではない何かが配置される。華と液は、それぞれ象(姿)と質(実質)のことであり、あとは配置をあたえたものをどのように記述していくかによって、さまざまな記述のしかたがあると想定される。そのさまざまに記述可能なものを、梅園はできるだけ韻文風に記述しているのである。
その延長上で運動の仕組みも独特なものとなる。回転と平衡の運動のモードが形を作る。気は運動して西行し、象(姿)は運動して東行する。天は回転しており、天の形は円である。また地の機は、静止であるが直線運動となる。雲は上昇し雨は下降する。だから線の運動である。こうした進路を作るものが精細な気であり、作られた進路を移動するものが、粗な気である。
天は丸く、地は真っすぐであり、これが形の標準形である。ところが粗の運動では、斜めとなる。斜めは縦横の2辺から作られている。ここに曲折が生まれ、まっすぐな地は外側を丸くし、丸い天は中央が直線となる。
ここから先は本当に多くのことが語れそうである。精確に言えば、多くのことが語れ過ぎてしまう。梅園はそういう仕組みを編み出したのであり、それを一生かけて貫徹したのである。語れ過ぎてしまう場所では、多くの発見の可能性も含まれており、そして多くの場合、連想ゲームのような比喩的な語りも出現しそうである。
ここで行われていることは、原型的な配置法を考案したために、繰り返し原型がかたちをかえて何度も出現する仕組みを活用している。原型が繰り返し出現することは、枝が二つに分かれ、分かれた枝がさらにその先で二つに分かれることを繰り返すような構造的な仕組みに似ている。これは一般的には「フラクタル」と呼ばれる。ごく単純な構造的な仕組みが繰り返し働くことで、立派で大ぶりな植物も成立している。複雑な事態も、ごく単純な仕組みの繰り返しで成立する。梅園の開発した論理は、仕組みからすると「フラクタル」である。ただし出発点に置かれる原型は、「天地」である。そのため天地のなかに小さな天地が出現し、さらにそのなかにもっと小さな天地が出現する。これは入子型のフラクタルである。
こうしたフラクタルのなかで大外の「天地」がさまざまな個別的な小さな「天地」を形成するさいには、この形成のモードは実際には多くの多様性に開かれているに違いない。生成は、一つの変化であり、基本的には動詞で表される。そして梅園は、漢語のなかからそれぞれに固有で多様な動詞を拾い出して活用しようとしている。動詞の数では、ヨーロッパ語は圧倒的に貧困である。その分だけ「運動学」は運動のモードを数学的に定式化することで、数学的な多様性に置き換えていく方向を産んだ。それでも直線運動、円運動、楕円運動、ラセン運動ぐらいしかない。これに対してカオス力学は、非周期的で非規則的な運動の総体を表す。それらは基本的に、数式で定式化され、数学的に処理される。こうした方向性に対して、道具立てが足らない状態で、梅園は「漢語の動詞」に内実を託そうとしているように見える。
認識 こうした思考法のなかで認識は何を行うことなのか。認識は対象としての世界を、認識主観に合わせて切り取ることではない。自然の示す道理に適合的になるように、世界とともにある、あるいは世界に即しているという事態が、認識であることになる。実際に勝手に人間の思いや主張に合わせて、過去の文献に照らしながら、世界をさまざまに解釈することで、学問は行われてきた。梅園からすれば、勝手に自分の都合に合わせて世界を解釈してきただけなのである。しかしそうではない認識はどのようなものか、あるいはそうした認識があるとして果たしてそれは成立しているのか。こういう疑問が浮かぶ。この疑問への回答は、半ばは理由付けられ、半ばは断言に終わるのである。
認識をつうじた世界論の基本形は、「天地」である。天地において成立している基本的な論理フォーマットが、(一)⇔(一、一)であった。天地は一つの原形であり、原型は何度も小さな規模で、原型の内部にさらに小さな原形を作り出す。仕組みは原形論であり、原形が何度も繰り返される仕組みである。その原型の認識論的なフォーマットが、(一)⇔(一、一)である。当初の(一)は、天と地が一体となった全体であるが、認識は天地の外に出て天地を捉えることはできない。だから全体というのは、天と地を足し合わせたものではなく、そのなかに包まれて成立している認識以前の現実である。認識によってはじめて捉えられたり、認識によって仮構されたりしているのではない。認識は、天と地のそれぞれに分解され、分節されるから、認識として成立する。だが分節の手前でそれとして端的に成立している認識以前の事態がある。これは生きていることと地続きだと言っても良いし、認識の開始の場面では端的に成立していると言っても良い。だから(一、一)の手前で成立しているものが対峙(反立)というかたちで設定されたのである。つまり(一)はすでに認識が含まれた認識以前の事態である。
こういうふうに設定をしておくと、認識はかりに対象に対置された「認識主観」のかたちで配置されようと、「対峙」(反)という関係で、対象と同一であることをあらかじめ図式的に正当化されたかたちで押さえることができる。認識は、かりに対象を分析的に認識した場合でも、反もしくは対峙というかたちで対象と同一になる。(一)⇔(一、一)の場面で、⇔が認識に相当すると考えていくことができる。この場合、(一)が認識主観であり、(一、一)が対象である。認識は、無理なくこの原型的論理形式にかなっている。
そして認識について反省を行う認識、一般的に言えば「反省的認識」(カントでは超越論的主観性と呼ばれる)は、さらに(一)の外に配置することができて、(一)[超越論的主観性]⇔((一)主観性⇔(一、一)対象)のかたちで、またもや原型的な図式に配置することができる。梅園自身がこうしたことを述べているわけではないが、おそらく原型的図式の組み立てから見ると、この原型的図式の下位の一つの図式が、認識するという一つの活動なのである。このとき「超越論的主観性」は、天地という基本性格を帯びた個々の認識以前の認識一般という性格を帯びる。
そうなるとこの原型的図式が、当初の設定から見たとき、想定外の範囲まで覆う可能性が出てくる。そして実際そうなっている。入子型のフラクタルで設定して置いたことが、実はこうした効果をもたらしている。認識も天地のなかで行われることであり、天地の仕組みと同型の基本形が成立していることになる。
しかもこの図式に従う限り、認識主観は活動態もしくは活動の媒体であるので、認識とは一つの行為ということになる。何かを知るという働きは、対象へと向かう認識作用ではなく、むしろ行為的な活動である。行為の本性は、それじたい一つの実行であり、かつ何かを行うことである。いろいろな言い方はできるが、認識は一つの実践的行為でもある。この場面に特段に力点を置いて梅園を読んだのが、三枝博音である。三枝は、マルクスの弁証法が梅園にもすでにさまざまなかたちで語られていると繰り返す。だが認識が一つの行為でもあり、何かを認識することは対象とのかかわりという面と、それとして遂行される行為という面を併せ持つのだから、この事態は弁証法だけに特有なことでもない。
むしろ気の活動でもある認識行為は、反というかたちで物にかかわりながらそれとして一つの行為でもあるという点で押さえておくのが、梅園の図式に近い。
論理形式から見ても、気には「否定性」の内実がほとんどないのだから、肯定と否定が反転しあい、否定が内的に組み込まれてそこから新たな局面が出てくるという弁証法に固有の仕組みはない。そのことは気が当初より、活動態として固有に設定されている以上、認識のさなかで認識が一つの行為であることが明らかになるという仕組みではなく、世界にかかわる行為の一部が、認識という一つの機能性として定立される(物となる)という仕組みになっていることによると考えられる。
翻って考えてみれば、行為と認識の関係は、一つに回答が決まる問題ではなかった。自己定立という活動性を出発点に置いたのはフィヒテである。その活動性を担っているものが、自我である。自我は「人称的な私」のことではなく、自己定立する活動性そのもののことである。この活動性から、認識するものと認識されるものの2分的な枠が出現してくる。認識こそが、活動性の派生態である。さらにシェリングの自然哲学では、絶対的な産出的活動性という活動態が、物(個物)を生み出すが、個物そのものも活動態であり、(活動態-物)が出現する。図式的な対比で言えば、シェリングの自然哲学が、梅園に最も近いかたちとなる。
さらに五行説との対比で言えば、梅園のこの原型構造は五行の一つの改良型だとも考えられる。五行思想の特徴は、「相生」と「相剋」という、5つの要素(木、火、土、金、水)それぞれの要素同士がお互いに影響を与え合うという考え方であり、出現関係が相生であり、消滅関係が相剋である。
五行相生は、「木は火を生じ、火は土を生じ、土は金を生じ、金は水を生じ、水は木を生ず」という生成の関係で、木は燃えて火になり、火が燃えたあとに灰(=土)が生じ、土が集まって山となった場所から鉱物(金)が産出し、金は腐食して水に帰り、水は木を生長させる、という具合に木→火→土→金→水→木の順に生成的な影響をもたらすことである。
五行相剋は逆に、「水は火に勝ち、火は金に勝ち、金は木に勝ち、木は土に勝ち、土は水に勝つ」という関係になっている。水は火を消し、火は金を溶かし、金でできた刃物は木を切り倒し、木は土を押しのけた生長し、土は水の流れをせき止めてしまうという具合に、水は火に、火は金に、金は木に、木は土に、土は水にそれぞれ抑制的で、消滅方向への影響を与えてしまう。そしてこの5元論をあらゆる場面で比喩的に活用してきた中国思想の前史がある。梅園は、五行説に繰り返し激烈な批判を向けている。ただの空想、夢想だと繰り返し言うのである。ところが五行説は、梅園の構想からは派生的な末端に配置されるように思われる。末端をすべての基礎に置くというのが、五行説の展開であった。
働きの関係で言えば、なぜ要素は5つなのかはかなり偶然的である。おそらく5つの要素は、同時代に見つかっていた惑星の数から導かれた派生的な数であるようにも思える。根本的な要素は5個であるということを、別段理由なく前提する必要もない。だが梅園の図式によれば、たとえば(一)の活動態が、(一、一)に分割した(活動態、物)というかたちに配置できる。この段階で、原型上の必要条件は、3項目である。そして(一、一)の物の側が、さらに(一、一)に分かれてくるので、この段階で、基本的な要素が5個になる。この5個を一つの集合にまとめるための積極的な理由は、梅園の構想ではどこにも存在しない。
基本要素が5個になるというのは、梅園にとってはおそらく論理的生成の派生的な事態の誤った一部だったのである。梅園は、朱子学の陰陽・五行説の道具立てのうち、陰陽は残し、五行説には激烈な批判を浴びせて、廃棄している。だが現実に起きていることは、五行説に対応する基本的な5要素を導入しようとすれば、導入することもできる建付けになっている。ある意味で5行説は、梅園にとって実際無くても済む構想だったのであり、少なくとも強調する必要のない部分問題でしかなかった。
3 どこまで展開できるのか
梅園の本職は医師である。家業としても医療を行っている。当時長崎に昇って、オランダからの知識を吸収しようとしていたものは、かなりに数に昇った。杉田玄白たちは『解体新書』という解剖学の医書を訳してもいた。梅園も間接的に、この訳稿を見ている。一般的に考えて、梅園の図式は、医学の対象である人間にうまく届くのだろうかという思いはただちに浮かぶ。
人間の身体を考えるとき、たとえば呼吸器系(肺を中心とする)、循環器系(心臓を中心とする)、消化器系(胃・腸を中心とする)のような基本的器官群と、脳・神経系のような制御系、免疫のような防疫系のように多機能系であり、概念図式(一)、(一、一)のような仕組みとは相当に異なる。少なくても多機能系は、梅園の図式に見られるような、二項対比形の論理ではない。
構造的論理は基本的には、そこからさまざまな事柄が生成してくる基本形を表現しているはずであり、弁証法の場合には言語の肯定・否定を雛形にし、後に化学的な酸と塩基の結合による新たな物質の形成にまで拡張されている。肯定と否定が次の新たな局面での現実性をもたらすが、弁証法の場合にはどういう仕組みで新たな現実性が出現するのかはよく分からない。それに対して自己組織化の仕組みは、運動のなかに新たな変数が出現してくると、その変数によって指標される新たな現実が出現してくる。
多機能系は、器官系列が形成されることでそれぞれの機能が他の機能から新たな変数が出現するように派生したプロセスを辿ることができるはずである。あるいは未分化な機能系が、器官系列によって機能分化したと考えるのが筋である。各機能系の出現につながりうる生成の仕組みを、はたしてこの梅園の原型的な論理はもたらすことができるのだろうか。
二項対比形の論理によって、比較的整理しやすいのは、たとえば静脈や動脈のような対となった仕組みをもつものであり、また肺と心臓のように近傍に在って働きの上で密接に支え合っている機能系である。さらには筋肉のように表層筋肉と深部筋肉のように外、内の対比で配置できるものである。それらは配置によってそれぞれの在り方が論理関係として配置を受け、特徴づけられる。
梅園にとって、人の身体を為すのは、気、液、骨、肉である。これらは天地のなかでも地に由来を求めれば、燥、水、土、石になる。この四つが、二分法的に区分されると、(内筋、外筋)、(内腑、外腑)、(内蔵、外蔵)、(血、津)、(髄、脂)、(脈、息)、(営、衡) (内骨?、外骨?)というような、八つの組が派生するはずである。ここには明示的には七つの組しか描かれていないが、骨には明確な内外区分がないようで、実際には記述されていない。かりに骨にも内外の明確な構造的な要素が見つかるのであれば、この論理は「発見法」的にも機能することになる。臓器のなかの外臓は、耳、眼、鼻、舌であり、内臓は心、肺、肝、腎である。外腑は、手、足、乳、陰部であり、内腑は咽、胃、腸、浮である。
個物がそれとして成立すると、天地のようなマクロ存在態とは異なり、内外という基本的なカテゴリーを備えている。そしてこの区分の出現が、「反」に依存していると考えることは、合理的である。生命を大枠でとれば、個々の生命個体は、天地の活動の恵みを受け、天地のもとでの小物(小冊)に留まる。天地という枠のなかにさらに小さな天地が成立する。この小物は天から気の恵みを受け、地からさまざまな滋養物を受け取る。これは動植物すべて同じである。
また臓腑という言葉は、5臓6腑と伝統的に言われるように、臓器の区分で使われた分類法である。梅園によれば、臓は気を貯蔵し、腑は物を収納すると考えられている。5臓は、肝、心、脾、肺、胃であり、6腑は、胆、小腸、胃、大腸、膀胱、三焦に分けられる。何を指しているのか不明なものもあり、また胃は重なっている。これらの臓器の区分は、伝統的な中国医学では、内科的な働きを想定し、それを担う臓器があるはずだという構造-機能対応から見出されているので、少々奇妙なものが生じてもやむをえない。
しかしこれらは対比的な配置の分類であって、個々の機能の出現ではない。そうした議論では機能系そのものの出現を導く仕組みにはならない。むしろ機能系は、すでに成立したものとして図式にしたがった配置を受けるだけにとどまる。
こうした解剖学的な対応図式をひとまず括弧に入れると、医学で問題になるのは、「人」である。人をうまく考察できなければ、病気を語りようがない。医学の組み立ては、梅園のもう一つの主著である『贅語』にまとめられている。だが「人間論」と呼べるものは、『玄語』の各論である「小冊 人部」に出てくる。条理は、作為性がなく「おのずと成立する自然性」に置かれている。いわゆる「無為自然」である。それが「健康」であることの指標となる。そのことの原型的代表が、「天」である。一般には健康な生活とは、「天の道理」に従うことである。こうなると病理が詳細になっていく仕組がないように思える。
人間の場合、意識があること、志向的に行為することによって、本性的に「無為」からは外れてしまう。これは人間固有の道理からの逸脱である。道理に従う生活は、倫理的であると同時に、健康でもあることである。しかしこれでは倫理学と医学が分離できないままになるようにも思える。そしてこれは部分的には、内科的疾病よりは、精神医学的な意味合いが多くなる。だが治療については、人為的介入であるから、そこでも天にしたがう道理から外れないようにすることが求められる。
良医は、毒を以って病を治し、良将は弱を以って強を制するが、拙工は薬を以って病を致し、怯将は強を以って弱をおそれる。かくて、強と弱とは名を失い(ことばとしての機能を失い)、毒と薬とは用をかえてしまう。人は有意をもって運するが、天は無為をもって運する。
(「小冊 人部」日本思想体系41『三浦梅園』[岩波書店] 271頁)
こうなれば内科的な対応としては、すでにある局面に到達している。この場所は、万全の配慮はすでに準備されているが、病理的にはそれ以上に詳細になることはないという臨界点である。この位置を獲得すれば、「良医」としては十全だが、さりとてここからさらに詳細なまなざしが展開されることもないという地点である。
さらにまた精神医学的に詳細になる可能性はあるのか。精神疾患は、梅園によれば、栄養と防衛の二つの機能が病むことである。情と知の困惑が起これば妄となり、おこりに罹れば、暑いのに寒く感じるという。長い間熱のあるものは、塩や醤油を苦く感じるが、それも感覚の変容から妄が出現する。精神が病むと、妄視、妄聴、妄思が生じる。「神気が妄の状態に至るのは邪のせいであり、邪が去ればこの妄の状態もなおるということもわかる。神気が病んで妄の状態になるのを癲という。癲人が知解することが妄である。そこで思慮は妄になるのだ。いったい妄に知解し、妄に思慮するものにもまた剛と柔とがある。」(贅語(抄)587頁)このあたりの記述は、病変のモードと度合いの多様性を抑えるまなざしが働いている。精神に変容が起きれば、鬼神が持ち出されていた時代の事であり、その水準でみれば筋道を辿ることのできる「科学的な変容」の記述へと向かっていることがわかる。同時代で見れば、おそらく時代水準から抜き出た論理を組み立てたことは間違いない。そしてここからさらに展開可能性がどこにあるかを考えてみることは、おそらく重要な課題でもある。
梅園の構想と体形記述にはいくつか明確な特徴がある。一つは動詞の活用である。動詞を可能な限り、物事の変化の仕組みに届くように活用しようとする。働きのモードを取り出すさいには、動詞の活用がもっとも要となる。だが個々の語に思いが籠りすぎてしまうことは避けようがない。これでは運動の多様性へとすすむことはできない。たとえば「反」というとき、そこにどの程度の運動のモードが含まれているかを考えてみればよい。
もう一つは、この論理は視覚映像にぴったりと収まりやすいことである。梅園自身が、膨大な図絵柄を書き残している。そのなかには車輪のような卓抜な比喩力となっているものもある。だが配置をあたえる図式のように描いてしまうことは、活動から見たとき、活動の結果や成果だけを描くことになる。視覚的な図柄では、活動そのものを描くことはできない。だが図形そのものに、運動の本性を重ねることはできる。そのときに典型的な運動が、直線運動と円運動である。直線運動には、本来始めも終わりもない。そこから形が作られるとき、始めと終わりが出現する。円運動はそもそも端がない。そこで「円は自然の形、直は自然の理」だと言われることになる。円と直の組み合わせの典型例が、車輪であり、車輪は二つの基本運動を具現した最高の活動態でもある。眼も円と直を備えたものだ、ということになる。
一般にこうした議論は、自然界や人間に原理が貫いており、その原理から裏付けられて事柄が明るみに出るという仕組みを述べている。いわば現実に成立していることを、原理から「説明」していることに近い。そして説明を実行するさいには、まさに整合的な説得性こそが問われるのである。しかし仕組みからみて人間は天地のなかで行為するしかなく、この行為はすでに実践的行為であるから、純粋な論理的整合性で成立している世界ではないはずである。だがどこまでも梅園は、整合的な説得性を問い続けたのである。こうした構想に接すると、本当に必要な問いは、この構想はどのようにすれば、さらに展開可能性をもちうるか、である。
おそらくいくつかの課題が残る構想である。第一に天地がフラクタルのように、より小さな個物になるとき、個物の圧倒的な差異はどのようにして生まれるのかにかかわる課題である。それぞれが活動態-物の関係になった場合に、なにをつうじて圧倒的な多様性が出現するかである。ヨーロッパに見られる原子論的な発想だと、原子の詳細な組み合わせは無数に可能なので、物質世界は、人間の精神や言語に比しても圧倒的に多様である。この多様性に到達するためには、論理形式だけからではかなり難しいのではないかと予想される。
そのことは、実は活動態である「気」そのものが、それ以上詳細にならないことに関連している。気は毎日の日常においても感じ取られるように設定されている。立て板を運ぶとき、真っすぐに運ばないで、斜めにして運べば、より容易に運ぶことができる。そんな場面でおのずと気づかれるように「気」は設定されている。だがそれを詳細にしていくための仕組みがないのである。
さらに第二に運動の多様性に持ち込むためには、固有な運動の詳細に踏み込まなければならない。たとえば医学であれば、脈の打ち方は、一定の間隔でかつ一定の強さで打つのではなく、ばらつきがある。脈の打ち方にも一定の複雑さはある。この複雑さが維持されていることが「健康」ということである。ただしこのフラクタルには、当面運動の多様性を語るための仕組みがない。
だが「気」の多様性に踏み込むためには、わずかの変換をかければ可能だと思われる。物が定立されたとき、物の固有化によって、それに連動する活動態のモードが変化すると考えていくことができる。(一、一)のなかの後ろの一(物の定立)の固有化によって、前の一がそれに連動するように固有化すると考えるのである。物は固有の活動態の環境をもち、活動態そのものが変容する。布を織る場合でも、縦糸が決まっても横糸が必然的に決まるわけではない。だが縦糸に固有の織り込みが出現すれば、横糸にも固有の変化が及ぶはずである。そう考えることは、(一、一)を(一⇔一)と表記することが相応しいものとなる。(一)、(一、一)の間には対峙も反も働いていた。それを物の定立のレベルで、対峙を入れてみることになる。それによって当初の図式は、(一)、(一⇔一)と表記され、定立された物によって、「対峙」そのもののモードも、圧倒的に多様になることができる。おそらくこうした仕組みの変更は梅園自身にとっても有利な変更なのである。というのも活動態そのものが、多様になる仕組みとして展開しうるからである。
参考文献
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三枝博音・三浦梅園『新編梅園哲学入門』(書肆心水、2014年)
酒井シヅ『解体新書』(講談社学術文庫、1982年)
島田虔次、田口正治『日本思想体系 三浦梅園』(岩波書店、1982年)
杉田玄白「蘭学事始」(『日本の名著』22、中公、1971年)
高橋正和『三浦梅園の思想』(ぺりかん社、1981年)
田口正治『三浦梅園の研究』(創文社、1978年)
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三浦梅園著、高橋正和、五郎丸延編『三浦梅園資料集』(ぺりかん社、1989年)
山田慶児編『三浦梅園 日本の名著20』(中央公論社、1984年)
山田慶児『黒い言葉の空間』(中央公論社、1988年)
吉田忠「三浦梅園と自然科学」(『日本の名著20』所収)