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7 重力・光・空気――舞踏物理学

身体の形成に重力は内的である。重力は地球の中心が引きつける力のことだけではない。万物は引き合うのだから、身体の各所は引き合い、また環境と引き合っている。地球が物を引っ張る引力は、概算で重力の内実の1/10程度であろう。この重力でさえ、一切の慣性運動系のなかに組み込むことはできない。そのため重力は単独の固有な作用であり、光と同様、全貌を露にするには困難がある。見ることに内的な光を還元するのが容易でないのと同様、身体の形成プロセスに内的な重力を還元することは容易でない。宇宙空間で身体が落ちていかなくても身体は重さをもつ。動こうとすればそのことによってただちに慣性質料が生じる。動いた途端重さが出現するもの、それが重力である。だが慣性速度0であっても本来重さがある。存在者は、まさに存在者であることによって重力をもち、重力に浸透されている。ただちに思い当たる重力の現われは、身体が消すことのできない不透明さをもつことである。身体の不透明さこそ、重力の最初の現われである。
かつてシェリングが引力と斥力を統合するものとして重力を導入していた。カントの構成法に従って、引力と斥力から物体のまとまりと体積を導くことはできる。だが物が固有の重さを持つことの由来は、そこからは出てこない。物の固有の重さを構成するためには、重力が必要になる。相反する引力と斥力を統合する概念的構成法の原理として導入されたシェリングの重力は、とても正しいことは証明されそうにないが、間違っていることも証明されそうにない。重力の全貌が明らかにならないからである。
存在者は、光のなかではみずから存在者であることによって影を作る。影を作るものには、一切の透明な明るさと無数の色が生じる。眼が存在者である限り、眼には真闇はない。視は、みずからの影をもたない。真夏の真昼に公園で散歩をする人たちがいる。一様にくっきりとした黒い影がある。一人だけ影のない人間がいる。異様な光景である。視は、影のない人間である。このとき視界に影を作る物が一切なくなると、視の視界は真闇となる。視は真闇から立ち上がり、物に出会うことをつうじて、はじめて透明な明るい世界を見ることができる。だがにもかかわらず視は、同時に形成してしまう身体をもたない。視はかりにそれが存在者であれば、光と同様奇妙な存在者であり、光に最も近い。ここから際限のない光のメタファーが生じる。その視ならびに光の解明の最初の手掛かりが、色である。だが光の近傍に生じる無数の色のような解明の手掛かりを、一切欠くのが重力である。身体を語るには、人間の言葉は粗すぎる。また視は、視の特性によって身体の前で身体の傍らを通り過ぎる。作動する身体とともに身体の動きに気づきを向けてみる。重力、光、空気は、対象化した途端に内容の半分以上が隠されてしまう。そのため身体行為とともに出現する現われに注目する。

1 作動する身体

身体行為には、際立ったいくつかの特徴がある。第一に行為には、要素単位がある。まばたきを途中で止めてみる。途中で中断すると、まばたきとは無関係な別のことをしていることになる。眼を半ば閉じ半ば開いているだけである。寝返りを途中で止めることも、左足をペダルに乗せ、右足の移動途中で中断することも容易ではない。これらも中途で停止させると、寝返りとも自転車に乗る動作とも無縁なことをやっていることになる。運動を無限分割できないというベルクソンの主張は、行為にとてもよくあてはまる。分割しようとすると、それだけで並外れた訓練を必要とするからである。この要素単位が、行為するシステムの構成素である。これらの要素単位を継続しながら、身体行為は作動を継続する。
身体行為の継続の第二の特徴は、同じ行為の反復が二度と同じことをできないことである。はじめて歩行を始めた幼児は、一歩歩くごとに歩く行為を行う自己(Selbst)を形成している。歩くことの実行が、行為する自己の形成となる。そのため歩くごとに自己を形成しつづける以上、二度と同じ一歩を歩くことができない。行為の実行がそのまま自己形成となるところでは、同じ行為の反復がつねに異なる事態となってしまう。行為する自己を比喩的に円で描くと、この円の軌道が回るごとにブレつづけるようなものである。これは認知系で言われる差異化とは別のものである。行為がつねに同時に(immer zugleich)行為する自己の形成でもある。分析的には、身体の作動はつねに二重である。
この身体の形成運動は、ヘルダー、ゲーテの語っていた「形成力」の現代阪であり、ショペハウアーにはっきりと出現する意志の自動運動とは異なる。形成運動は植物性のそれじたいを形成する運動であり、意志の情動運動は移動可能な動物性の肉に閉じ込められた運動の剰余である。運動の剰余は、それじたい行く果てもなく、止むこともない自動運動だが、この運動が感情となる。形成運動は、運動をつうじてみずからの境界を形成することで、それじたい感覚となる。感覚と感情の起源はまったく異なると予想される。
認知系の差異化は、運動し続ける対象の微分に近い。微分された小さな差異を繰り返す。物の運動を、ベルクソンやドゥルーズに倣って、みずから自身への差異化だと言ってみたくなる。物は現に在る状態から、それじたいでその状態に差異化を行っている。確かにそのように表記することはできる。対象化された事態に差異を見出そうとすると、どうしても無理やりなことを言わなければならない。しかもこう言ったからといって事態はなにひとつ進んでいない。ただ言ってみただけに近いのである。というのも観察者の視点から、物そのものへと視点を移動させているだけだからである。視点の移動だけであれば、すでにうんざりするほど経験してきたのである。ここでは視点の移動ではなく、行為する機構が問題になっている。つまり経験を変えることが問題になっている。
身体行為の継続の第三の特徴は、要素的行為と要素的行為の接続点では、つねに選択性がある。歩行の一歩は、次の一歩と接続することもできれば停止することも、ジャンプすることも、飛び上がることも、しゃがむこともできる。停止のさなかでのフライングを、アフォーダンスでは「マイクロ・スリップ」と呼ぶ。要素的行為と要素的行為の接続には、いまだ実行されていない新たな接続の可能性は、かなり多くある。それが新たな身体行為となり、見るものにとって新たな運動感の感知となる。
身体行為の継続の第四の特徴となるのは、要素的行為の継続がつねに最短距離を進む傾向があることである。身体は物理的な肉体であることを免れることはできない。そのためアリストテレスに倣って「自然は無駄をしない」とも、近代物理学から援用して「自然の最小作用」とも、ルーマンに倣って「複雑性の縮減」とも言ってみたくなる。車の運転の修得のさいにも無駄な動きが削られて、行為は最短距離で進むようになる。これは傍らで見ていてもわかる。余分な動きが伴なっていたり、余分な力の入っているものは、ただちに不自然だと感じられるからである。通常力んでいると形容されるものである。最短距離の回路を進むとき、身体行為の要素単位はひとつひとつが対応自在さを獲得する。重心移動の行為は、歩行にも階段の上がり降りにも自転車に乗るさいにも、自在に対応できる。行為はそれとして一貫して作動を継続するよう接続しているのであって、環境内の個物に対応して形成されるのではない。これが要素的行為と入力、出力とが対応しなくなる理由のひとつである。要素的行為と対象との間に一対一対応がなくなるのは、懐疑的反省によって対応関係を断ち切っているからではない。行為システムの本性上、作動の必然として一対一対応はなくなる。そうでなければ自然で自在な行為はできない。だがこれによって行為の意味づけは、つねに未決定性を含む。
このことから派生する身体行為の継続の第五の特徴は、要素的行為の形成には、行為そのものの自在さの獲得が必要となる。重心移動の行為は、行為間の接続によってなだらかで自在なものとなる。ここには知識の形成にみられる分析と総合の高度化に類似したものはなにひとつ見られない。身体行為の形成を、認知的な知識の形成に類比させて考えることはできない。むしろ行為は何者でもないが何者でもありうるという原型的個物へと向かって形成され、それによって自在な対応が可能となっている。身体はつねに個体性をもつ。個体でありながら同時に普遍性をもたねばならない。この普遍性は、現実の個体性をまぬがれることができないのだから、普遍関数や普遍概念のようなものではありえない。知識の普遍性とまったく異質な普遍性が成立しているに違いない。いまイメージとしてゲーテの見ていた「原植物」を考えてみる。原植物は個物であり、個物のなかに変化の可能性としての普遍性を、ゲーテは直観している。この直観された動きが、原型的個物である。何物でもないが何にでもなりうるというのは、変化の可能性の基本形であり、それが個物の形をとったとき原型となる。
身体行為の継続の第六の特徴となるのは、要素的行為が行為間の接続と環境への対応という二重の働きを要請されていることである。いまブレーキの踏み方、アクセルの踏み方、クラッチの切り方をひとつひとつ身につけてみる。それぞれの機器への対応を修得するが、それぞれの行為の間の接続は、行為システムの形成過程を経て変容していく。行為システムの形成過程に組み込まれないものは、おそらく要素的行為としては残ることができない。身体の要素的行為は、行為の継続を行うことと認知的に対象にかかわることの二重の働きをつねに行わなくてはならない。このとき行為の継続で形成されているシステムの境界と、認知的に判別されるシステムの境界は、繰り返しズレを含む。身体行為の不調が出現したとき、身体の継続的な作動を回復させることが、身体と物との関係の回復に優先する。

2 身体で行う物理学――舞踏

身体行為をつうじて、身体行為とともにはじめて現われ出るものがある。それをひとつの表現とすれば、そのまま身体表現となる。このとき行為をつうじてはじめて露になる現象が身体とともに表現される。

重力

重力は通常地面に引き付ける作用である。重力のなかに溶け込むような試みを行う。かかってくる重力にすなおに全身から力を抜いて、重力に溶けるのである。この動作を勅使川原もダンス集団カラスも繰り返し行う。現実的には舞台の上に倒れ込むのである。倒れ込む動作は、一般にダンスにはない。無条件に動きを停止させるからであり、立ちとどまる動作とは異なる。このほとんど活用されない動きを用いる。立つことの体得は、幼少期の思考錯誤のもはや思い起こすことのない記憶となって、身体に染みついている。
重力は、身体に内部も外部もないように浸透している。身体の形成に内的に関与してしまっているものは、身体に対して対象としてあるわけでもなければ、身体にとっての作用因として介在するのでもない。重力は身体感覚で言えば、どこまでも身体が不透明な広がりを持ちつづけることであり、それは気がつくことなく身体に力が入ってしまっていることの別名である。地面の上に立つだけのありふれた行為にも、すでに力が入ってしまっている。だからただ重力のなかに立つだけでも無数の身体技法が働いており、本来重力のなかに立つだけでも身体表現になるはずである。
重力のなかに動きをとどめたまま停止するためには、重心を持ち上げなければならない。回転するコマが一点で静止できるためには、コマの本体が高い位置になければならない。コマの本体の位置が低いと、回転しながら静止することはできない。そのため足のつま先に全身の力を集中し、重力のなかに静止するのである。身体の重心を持ち上げ、重力のなかで吊り下げられるというのはこうした動作のことである。歩行においてさえ、前進するとは、高さから落ちることである。
重力の働きよりもさらに速く倒れ込む。空気中の一切の手掛かり、足掛かりがないところで重力よりもさらにすみやかに落下する。こうしたさまざまな身体の動きをつうじて、内部も外部もないように浸透していた重力との距離感に変化を作り出すことができる。つまり知らず知らず対抗していた重力に対して、距離感を変えることで、動きが重力と相即する。ここが身体をつうじた重力の表現であり、身体行為を行うことが、そのまま表現へとなるところである。全身から力を抜いて重力に溶け込むとき、身体は重力に相即している。この相即が、行為者にとって重力を新たに身体知覚することであり、観察者にとってひとつの表現となることである。動きの継続が、はじめて重力に対して新たに身体の境界を作り出すような動きであり、この動きによってつねに身体は、自己を形成し内‐外を区分する。そのためこの内‐外の境界は、動きのモードに応じてつねに変動していく。重力に溶け込むのは、この境界を変動させているのであり、重力のうちで再度行為する自己を形成する。このとき身体は重力との自在な浸透の関係に入っている。この浸透の度合いの変動が、行為者にとって舞うことであり、観察者にとって表現である。

エクササイズ

(1)柔道で投げられるとき、浮き持ち上がる身体と落下する身体が均衡して空中に留まる瞬間がある。このとき重力から一瞬距離が取れる。この距離が取れている瞬間が、重力への気づきである。窓から飛び降りる開始の瞬間に、重力に気づくことができる。かりにこの均衡状態を空気中で2秒以上保つことができれば、それは曲芸であり、それは眼に対して新たな運動感の変化を引起す以上、特異な表現となる。
(2) ごく普通に立った姿勢で、あたりを見回しながら身体の局所を何点くらい感じ取れるか試みてみる。おそらく通常一〇以下だろうか。身体から力を抜く訓練を積んで行くと、やがて五〇以上の身体の局所を感じ取ることができるようになる。
(3)どのようにして自然落下よりも速く落ちることはできるか。重力のなかを泳ぐようにして落ちていくのではない。重力とは別の落ち方をする。ここが落ちるとは別の行為であり、重力へのかかわりが運動感として出現する場面である。転んで起き上がることの繰り返しが、重力を感知できる場面である。だが重力よりも速く落ちることは、水中の潜水以上の訓練がいる。
(4)重力に吊るされることはできるか。かりに吊るされることができれば、人間は振りをしなくてもすでに人形である。これは勅使川原の作品『メランコリア』の最後の場面で、全身にガラスの破片を刺して人形のような自動運動を繰り返す場面に示されている。重力に吊るされるためには何が必要か。
(5)歩行で前進するとは、落ちることである。歩くためには最低限どの範囲の高さが必要か。どこまで重心を下げたら、歩くことが不可能になるか。

身体の構造部材

勅使川原の行う身体運動には、いくつかの際立った特徴がある。関節の周辺の回転運動と関節の自由度を放棄したような機械状の折れ曲がりを基調とした動きである。関節付近の力の入れ方を変えるのである。関節こそ勅使川原の身体の要である。電車と電車の間は、ジャバラでつながっている。いま連結器をはずしてジャバラだけにしてみる。この揺れ動くジャバラの上に立ち続ける感覚が、関節に固有のものである。関節ごとに全身にジャバラを感じ取ってみる。この状態からジャバラの周辺の力の入れ方を変えてみる。
骨と骨はばらばらであり、周囲の張力材によってかすかにつながっているだけである。非連続の骨という圧縮部材に、筋という張力部材が連続的に取り巻いている。機械は比喩的なものではない。また有機体という隠喩を回避するための対抗手段でもない。身体は骨という圧縮部材と筋という張力材によって接続されている。顔相を骨相で見るように、全身を骨と筋で見てみる。すると物理学の基本的定式に適うような身体像が得られる。身体を機械の動きのように骨組みだけで取り出すと、この骨組みの動きにどのように特異な変形を加えようと、それらには自然性が残る。身体は、釘打ちされた建築物や、ボルトで接続されたロボットのようなものではない。骨と骨は離散的であり、接続していないのである。ここには均衡と均衡からのズレが生み出す固有の動きが生じる。力学的な部材が力のかかるごとに自在な変形を遂げる。この変形がプロセスとなる。こうした骨と筋からかなる骨格に、屈伸、ねじり、回転の運動を基調とする局所的な変化を作り出すのである。屈伸は、身体の反対側の別の屈伸を呼び起こし、ねじれは次々とねじれを引き起こし、回転はこの骨格の境界を次々と更新する。
[補遺] ちなみにこうした物理的な身体と、機械状の「器官なき身体」とはなんの関連もない。ドゥルーズ、ガタリの器官なき身体は、身体の有機化に抗する対抗概念である。器官を一切消滅させる停止と再起の瞬間であり、口もなく歯もなく舌もない死の本能の別名である。つまり彼らは動力学(ダイナミクス)の延長上でちょうど引力に斥力を対抗させるように、組織されるもの、秩序化されるもの、有機化されるものに対して、器官なき身体を対抗させたのである。欲望する機械の作動の偶然的な瞬間に、一切の秩序がやみ、いかなる形態もなく、なすこともなくただ存在している器官なき身体を見出し、これこそ原初に存在する消費しえないものだとみなしている。事態をわかりやすくするために次のように言い換えてもよい。生命は必ず死ぬ。死へのプロセスは、生命の誕生の瞬間から始まっている。つまり生の過程には二つのプロセスが併存していることになる。みずからを有機化するプロセスと有機化そのものを停止させるプロセスである。だが有機化を解体するプロセスも生に本来的であり、別様な生の過程である。この思考パターンがまぎれもなく相反する二原理を対抗させる動力学的構想なのである。この死へのプロセスをシステムの機構として表現したのがドゥルーズ、ガタリの器官なき身体である。システムの作動と構造の区別を行うことのなかった時代のやむをえぬ比喩が、器官なき身体である。

エクササイズ

(1)関節は全身に200箇所以上ある。個々の関節の位置で、電車と電車のつなぎ目にいる感覚を喚起すること。どの関節を自在に活用できないか。(2)ひとつの動作たとえば歩行で、いくつの関節の動きに気づくことができるか。
空気
運動は聴覚起源の直観から直接くる。音の流れから、身体の動きを形成することはごく普通のことである。運動系は聴覚的感覚と連動している。音感の形成から身体運動が生み出される。身体は音感の作動と連動するように作り出される。身体の運動と連動する音感を活用することは、幼少期に形成した身体感覚を再度一から形成しなおしてみることである。そのためこの身体運動は、つねに再生の予感に満ちている。これはもはや思い起こすことのできなくなった記憶を辿ることでも、忘れてしまった本能を呼び戻すことでもない。当初の形成過程を再度同じように辿り直してみるのである。再生が何度でも可能な位置から、再生をやってみる。このときなにひとつ同じ事が実行できないという身体の本性を活用するのである。
音との関連で、勅使川原の身体表現のもうひとつの主題がはっきりする。音は基本的に空気の振動である。とすれば聴覚的な感知が身体運動へと連結されるさい、感知されない空気の振動を感受しているはずである。太鼓の振動を皮膚で捉えるようなものである。この感知されないが感受している働きの領域が、感覚に固有なものである。感知されていなくても感受されている経験領域は、身体の運動に連動する。感覚は、認知する活動と同時にそれじたいが一種の運動である。あるいは運動であると同時に一種の認知である。音と身体運動の間の不可視の感受された広大な領域を、身体表現へと組み込んだのが勅使川原の身体行為である。
制作上の音の役割は、基本線に沿ったものである。さまざまな音を流し、音感から身体の動きがおのずと開始される地点で、身体の動きを作り出す。音と身体運動の連動が、カップリングと呼ばれる場面である。音と身体運動が当初より内的であることから、この連動関係には開閉がある。それは音が身体運動を発動させるためのきっかけとなるだけのものから、音と身体運動が全面的にリズムの共振をしているもの、さらには音が空気の振動となって音と物理的に連動しているものまでさまざまな連動のモードを取るからである。これは肉のうごめきに音を当てていく舞台と対比してみればよくわかる。山海塾の舞台の音は、洗練された見事なものだ。『ゆらぎ』『ひよめき』『ひびき』のいずれをとっても最高度に工夫されている。音だけをCDにして単独で聞くことができる。だがこれは身体運動と音との距離感が一定であることを意味している。一定でなければ音だけを単独で聞くことができない。肉から湧きあがる動きは、本来音とは独立のものである。肉の動きにやってくる最初の音が声であり、いずれしろ外からやってくる。そのため肉の動きに対し、音を純粋にそれとして導入することができる。この場合音はどんなに緊密に肉の動きに沿わせようと、象徴的な位置を占め続ける。音と身体の動きが接続されるさいに、外的につながるものの本性上、つねに接続点に意味が発生しようとする。観察するものにとってなにか分かるという事態は、ここから生じる。
ところが音と動きが内的であるところから立ち上げる場合には、作品の作りがまったく違ってくる。音と動きの間に繰り返し距離の変動が生じるからである。物を擦るような機械音は、身体の動きと共振し、メロディアスな音は動きそのものが生み出す情態性とかすかに連動する。さらに問題になるのは空気の身体知覚である。音の知覚と身体運動の連動の中間領域に、空気と身体感覚という広大な領域がある。形式的に配置すると、音の知覚、音の感覚、振動の感受、振動の共振、共振する身体の動き、身体感覚、身体知覚、身体運動の知覚と並んでいる。必ずしも直線上の配置を取らないこうした区分のなかの中間領域で起きてしまっていることが問題になる。というのも振動の感受と共振する身体の動きの関連は、物理学の領域であり、記述は物理的なものである。ところが振動の感受と身体感覚の関連は、行為する身体とそのことをつうじて同時に感受されている環境との関連にかかわり、ここは相即の関係となる。ここでも身体行為は、みずからの作動を一貫して継続するだけであるが、このことが同時に環境との相即となる。空気の振動を捉える身体運動は同時に、叫びともなる。叫びは、呼吸とともに作動する。呼吸を介して、身体を動かすこと。呼吸法としての身体の調教が、そのまま身体運動の自発性であるような回路を形成することはでき、それはもっとも自然な身体行為へと身体を開くことである。
[補遺]レヴィナスはつねにすでに呼吸している空気との関連は、経験ではないという。そして「呼吸することですでに、私は不可視の他なるものすべてに従属すべく自分を開いているということ。彼方ないし解放は圧倒的な重みを支えることであるということ――、これは確かに驚くべき事態である。」と言う。空気の呼吸は、身体行為において遂行されている。この行為は一切と意識の作動、志向性とは独立であり、むしろ自分を開く開き方こそ問われる。この開き方は身体行為をつうじて開発されるのであって、意識よって開示される他者とは、いかなるかかわりもない。
[補遺]肉に付帯する運動の剰余は、通常本能とも情動affectionとも呼ばれる。純粋な動きを示すためには、本来情動に訴えるほうが手っ取り早い。というのも情動は認知系を伴なわない純粋な運動系の動きだからである。ショーペンハウアーが表象される世界に対して意志を対置したとき、意識の対象として現われ出ることのできない情動から情感、感情にかかわる領域を論じていた。表象には見るものと見られるもののような極化をともなう二分法がつねに成り立っている。それが世界の現われの特質である。この方向をもつ二分法は主観‐客観、ノエシス‐ノエマ等の言い換えの基本となっている。これに対して情動の動きは、表象に見られるような主観‐客観の二分法にしたがう現われをいっさいもたない。しかも情動はなにかに向かって作動するわけでもない。情動は、いまだ意志と同様根拠を欠き、認識を欠き、さらに目標を欠く。しかも満たされることもない。満たされることがない運動だからこそ欠如と言い換えることもできる。肉には、こうした欠如としての運動の剰余が閉じ込められている。肉から湧きあがる動きをそれとして発動させ、眠っている情動に届かせる身体表現は可能である。これのもっとも洗練された形態を、天児牛大率いる山海塾の舞台に見ることができる。この場合肉のなかに含まれた、眠っているうごめきをおのずと解除することになる。山海塾の舞台が情感に満ちているのは、このためである。

速度

遅延と静止
無限に大きいものは、洞窟のマンモスのように動くことができない。隙間のないものには動きのための余白がない。全身乾ききったタオルは微動する余地がなく、渇きを感受することもできない。感受することは一種の運動であり、運動は触れることであって、微動しない物は、回りを取り巻く大気にさえ触れることができない。干上がって裏返しになった縁側のコガネムシは、内部に流動するものがない。流動の喪失にも形はあり、折れ曲がって天を指す手足はある。立ったまま干からびるコガネムシがあれば、立ち枯れコガネムシと呼ぶのだろうか。立ち枯れニンゲンは、確かに存在する。ニンゲンは人間のなかの植物性の一部を指している。干上がって立っているものは、重力に抗することを知っている。重力のなかに留まり、重力に自足するという運動はある。それはきっと激しすぎる運動だから、しかも空間運動ではないのだから、人間の眼からはうまく見ることができない。押しつぶされ平面となったシダの化石は、詰まりすぎて動くことができない。過密にも度合いはあり、過疎にも度合いはある。過密すぎるものは響く余白がなく、過疎すぎるものは響きを伝えるための余剰がない。
無限に大きいものは、宇宙大に広がったコマのように回転運動することができる。余白のないものにも円運動はあり、渦巻きはある。隕石が落下しても、柿の実が落ちても、木っ端が舞っても、小さな渦巻き運動をしている。これがデカルトの執拗な直観である。物体は地球の重力中心に向かって落下しているというのは、人間らしい粗い要約である。渦巻きは収縮することもできれば、膨張することもできる。無限に大きいままの収縮や膨張もある。だから一点が次の瞬間に無限大になることもある。これを世界の寝返りと呼ぼう。膨張が適度なスケールで起こると、瞬時無限に大きいものの一断層を垣間見ることができる。これは昏い風が自分を脱ぎ捨てていく速度である。
乾ききったタオルも光には陰を作ることができる。みずからで陰るものは、そのことによって存在する。光を遮りみずからで透明な明るさと陰りを区分するものは、それによって物となる。物とはこの区分する運動のことである。陰りは、起伏に満ち乾いたタオルの折れ曲がった裏側のことではない。それはたんに物の裏側であり、自分自身の影である。物の縁はどんなに明るく輝いていても、すでに光を遮っている。だから輝きとは光の裏側のことだ。透明なガラスにも物の縁はある。透明であることに限りがきている。陰りとは、明るさから見た限りのことである。それが質料という最後の運動であり、物の微笑みである。このなかに立ち留まると、水の臭いのする声が聞こえることがある。それが乾ききったタオルのきしみである。反射によって、物の縁が際限なく輝くことはある。だが反射されたものが明るいのであって、反射することじたいは真闇である。陰りとは反真理や非真理の隠喩ではなく、物の存在の兆しのことである。反射の明るさのなかに含まれた度合いが強度である。これは明るい、暗いではない。同じ明るさのなかに強さの度合いがある。最近困ったことに、この同じ明るさのなかの強さの度合いが感受できるようになった。白内障が半ばまで進んだと医者は言う。
立ち枯れたコガネムシは、すでに骨だけになっている。外骨格の形がくっきりと金色に輝いている。骨が外側にあるものは、内から立ち枯れ最後に骨だけになる。世界が受肉することがあるなら、受肉の最終形態は受骨である。受肉の現象学にならって、受骨の現象学はありうる。立ち枯れコゲネムシにも受骨するものの本性があり、それを直観することはできる。脊椎動物の骨は内にあるという主張は、差異を強調する博物学の粗いミスである。脊椎から垂直に幾重にも伸びたあばら骨は、内臓を包んでいる。内骨格も外骨格も内臓から見てともに外である。だからあばらの受骨は、内臓感覚の遅延である。脊椎動物の頭蓋骨も外骨格であり、そのうちに脳を包んでいる。頭蓋骨を強く打つと、脳が振動してバシャバシャと内壁に五〇回ほど衝突する。脳の受骨の直観を、骨相学がすでに実行している。骨相学は、受骨の現象学である。
立ち枯れた骨にも痒みはある。体の芯からもぞもぞするような痒みである。骨の痒い年齢は一生に数回ある。走るたびに骨が伸び、疾走するたびに骨が硬くなり、そして散歩するたびに路上に骨が転ぶ。だが皮膚のように掻くことはできない。同じように感覚にも感情にも直観にも思考にも概念にも、痒みはある。痒みは質料の揺れであり、質料の収まりのなさである。感覚の痒みは境界の不定となり、感情の痒みは運動の残余となり、直観の痒みは経験の昏さとなり、そして思考の痒みは内破する揺らぎと感じられる。だからそれは皮膚よりももっと強く掻くことができ、痒みも乾燥すると思想だと勘違いすることができる。内臓から大量の出血があるとき、畳や家具を汚してはいけないと口を塞いで血液を体内に留めると、血液が骨に浸透して骨がピンク色に輝くという。ピンク色に輝く骨を燃やすと青く炎が立つ。
圧縮され平面になったものにも、限りなく表面に近い無限の深さがある。この深さのなかに一切は折りたたまれていて、無数の襞を形作っている。折りたたまれて襞となったものは、質料の記憶である。この襞はきっかけに応じて縫い目のように両側に開いていく。あるいはサボテンのように節目ごとに二股に分かれていく。小さなひとつの区画に全長三メートルもの二重の鎖が織り込まれ、折りたたまれたまま平面になっている。限りなく冗漫なものにも襞をもたせるもことはでき、それだけの理由で襞は世界の秘密になっている。
いま世界のどのような運動であれ、速度を限りなく遅くしてみる。身体の速度を遅くし、呼吸の速度を遅くし、心臓の鼓動を遅くし、固有の意識の速度を遅くして、止まる寸前まで遅くする。そうすると意識の境界がくっきりと浮かび上がる。意識が虚空のなかにぽっかりと浮かんで、意識の流れが透けて見える。一万メートル上空から積乱雲を下方に見ると、スローモションのように雲のでこぼこが繰り返される。意識も限りなく遅延させると川のように流れたりはしない。でこぼこの起伏が次々と移り行くだけである。質料性のないものにも重さはあり、重さのあるものには、臭いと形がある。
 遅延するものには、動きの予感がある。何万年も何千年も遅延するものがあり、動きの予感も先送りされる。ドレスデン郊外のバスタイの岩壁は、その上に立つたびに崩壊の予感に浸される。観光名所となっているのだから崩壊などありえないと分かっていても、上に立つたびに間違いなく崩壊の予感はやってくる。だから名所なのである。長崎時津の鯖腐らせ岩は、見ている間にやがて崩れるだろうという予感に満ちている。今か今かと待つうちに、手に持つ鯖が腐ってしまう。崩れるのは鯖であり、鯖腐らせ岩は何万年もただ崩れる予感のうちにある。榛名神社内奥の烏帽子岩は、内奥社殿に被さったまま何万年も経ている。崩壊の予感の下に尾根を縦走する山の民がやすらい、やがて社殿が建立される。フォーアロマーナの三本の石柱は二千年の崩壊途上が、なお途上であり続けることの証である。他のいっさいが崩壊しても、なお崩壊途上にあり続けることが歴史の徴である。
 写真は動きを切り取る。切り取ることで動きの剰余が生じる。これは形式論理的な自明性であり、外から遠回しに当たる若葉マークの認識である。天児牛大の肉体の躍動は、写真という切り取りから生じたものではない。切り取りによる剰余は、すべての被写体に生じるのであり、路上を走る車を切り取っても、切り取りの剰余はある。停止して見える車の動きの予感と、この肉体の躍動は別のものである。躍動は静止においても出現する。
しかもこの肉体の躍動はしばしば誤解を呼ぶ。山海塾の舞台がしばしば主題とする情動の動きと見誤るからである。身体に閉じ込められた運動の剰余は、独特の運動回路をもつ。情動の自動運動と生存に直結した身体予期反応である。それらの別名を自己触発と、恐れ、喜び、悲しみのような感情という。自己触発は、理由もなく目的もなく終わることもなく、気がつけばただ開始されている運動である。この運動は欠如態として、ただそれじたいで継続する。つまり十全態と対置しようのない欠如態である。しかもそれじたい現われとなることはできず、志向的直観をつうじて明るみに出ることもない。だが身体に閉じこめられることによって、おのずと身体に浸透する。天児牛大の肉体の躍動には、浸透した情動が紛れもなく漂う。だがこの特質は、山海塾の誰もが備えた内発的運動である。身体が場所の移動を停止し、一切の空間運動が止んで、そのことによって浮かび上がってくるのがこの情動運動である。これは予期運動となって動きの予感としてある。本性上動くものが、動きの手前にあり続けることである。だから停止とは遅延した微動のことである。
だがこの静止像は、すでに遅延を通り越している。通り越された遅延には舞台の上での運動よりなお躍動する運動があり、そこにはこれほど動きについて語ってきてなお触れていない運動がある。それがこの肉体の躍動であり、直観から隠されてしまったままのこの写真の内実である。
遅延を通り越した静止は、果敢な選択である。それは一切の動物がもはや思い起こすことのできなくなった遠い記憶でもある。静止するものは、みずからを形成することによって変化する。この自己形成運動は、経験の形成にも感覚の形成にも、みずからの構造部材の形成にも隈なく広がっている。動物では身体の運動とともに、身体は形成される。だが身体の運動が身体を形成するのではない。身体の運動は、つねに同時に(immer zugleich)身体の形成である。運動とともに形成運動が進行する。身体の運動をどのように細かく分析しようとも、この肉体の形成は明るみにでることはない。しかも情動にまして明るみにでないのであり、これは生命の最内奥である。詩人の芦田みゆきが『木契状の記号』で、この形成感覚に肉薄している。
 静止したまま自己形成する肉体は、光を呼吸し、渡る風を食べる。これは植物が行っていることと同じである。ヘルダーやゲーテが直観したこの形成力を意味として理解するのではなく、感受するためにはかなりの修練がいる。だからこの写真は、見ることの形成のエクササイズなのである。



光をめぐって

球の内壁一面に鏡を隙間なく張り付け、光を入れてみる。光は無数に反射し続けるが、光を遮るものはどこにもない。かりにこの無限反射の球のなかを見ることができるとしたら、ただ透明な明るさだけがある。光はそれじたい透明な明るさである。内壁の鏡には隙間がない以上、「鏡」から「鏡」への無限反射が起こるのではない。鏡を配置する空間的隙間さえない。だから反射する鏡さえなく、ただ透明な明るさだけがある。いまこの球のなかに眼を入れてみる。あるいはワイヤレスの小型カメラでもよい。何が見えるのだろう。これは繰り返し小説の題材となった無間地獄である。かりに眼に大きさがなく透明であれば、眼にはなにも見えないだけではなく、光のただなかでは視界は闇である。ところが物質である眼は、それじたいで陰をつくる。これによって無数のものが見えるようになる。無限反射する光を眼が遮り、影ができる。このとき初めて明るさ以外のものが出現する。正確言えば観察者にとっての明るさであり、光のただなかにいるものにとっての闇である以外のものが、初めて出現する。光が遮られたとき、物質が出現し、可視性が出現する。光の遮蔽によって、光は見えるようになる。影は際限なく鏡に反射し、無数の影がやってくる。それだけではない。鏡のなかで光が眼をよぎるたびに、影に影が重なって、影に際限のない綾が生じる。しかも影の縁には、影の濃さに応じて際限のない色彩が発生する。色彩は明るさの縁に出現する。光が無数に飛び交うために、鏡の内側が無間地獄になるのではない。無数に出現する色彩に直面したとき、眼はただちに見ることの形成を開始する。だがこの見ることの自己形成は、終わることができず行くあてもない。これが無間地獄の理由である。

光と色彩

光は透明な明るさである。春霞の明るさと、天高い秋の明るさは、湿度の違いによる。春霞の明るさが生暖かいのは、周囲の水分が潜熱をたっぷり含んでいるからである。靄がかかり始めると、光が遮られて一面白っぽくなる。さらに靄が濃くなれば、車のライトが必要なほど薄暗くなる。靄が黒くなる。白と黒は、光の遮蔽の度合いに関連している。白の牛乳をかき混ぜると湾曲して流動する牛乳の縁に、黒が見えることがある。だから白には黒が含まれている。これは古来からの白と黒についての直観である。遮蔽率の度合いは、反射の度合いと言ってもよい。反射するものは不透過であり、光の不透過のラインに白と黒が並んでいる。白は全面反射で、黒は全面吸収だという話は、教育的な粗雑さに満ちている。全面反射であれば鏡のように透明になり、全面吸収であればブラック・ボックスのようにすべての光は吸収されるのだから、全面吸収するものが見えることはありえない。少なくとも黒は見える色である。光の遮蔽にとって、白と黒は本性上同じである。この事実については、最晩年のウイットゲンシュタインが、トリッキーな事例を持ち出している。赤のサングラスをかければ、視界一面が薄く赤みがかっている。青のサングラスでは一面が青味がかる。では白のサングラスではどうか。視界一面が一様に少し暗くなるだけである。これは薄い黒のサングラスをかけたときと同じになる。そのため白のサングラスは作られたことがない。[1]
光と赤、青、黄のような有色の関係はどうなるのか。色相互の関係であれば、ニュートンが行ったように、光の波長に由来する屈折率の度合い、もしくは散乱の度合いで配置することもできる。紫を一方に配置し、散乱の度合いが小さくな順に並べていくと、他方の端に赤が位置づく。昼間は散乱の大きい青が支配的となり、夕暮れ時には散乱の少ない赤が支配的になって夕焼けとなる。小学校の頃、学友のひとりが空を全面紫に塗ったのを見て、彼には空がこんなふうに見えているのかと驚いたことがある。青のままの空で、光の量を減少させていくと、青が闇に近づき一瞬紫色を通り過ぎることがある。この色彩の配置から光を導こうとすれば、それぞれ固有の屈折率をもつ光粒子を足し合わせて、最高の明るさに合成する。最高の明るさでは、色が消滅して透明になる。これは複数の色光が合わさって、白色光が出現することとは違う。光粒子が足し合わされて、もっとも明るい白色になるというのは色光の合成で説明できる。ところが色の足し合わせが、色の消滅とともに透明にならなければならない。光粒子を統合すると色が消えて透明になる理由を、ニュートンの『光学』はもちあわせていない。事実そうなるからそうだと言っているのに近い。実はここを解明する機構を導入すると、『光学』の構想が壊れてしまうか、統合できないような別立ての機構を並置しなければならなくなる。だから経験科学は、そんなことには気づかない振りをする能力に長けている。光粒子の複合が、光そのものであるという言明は、分析と総合のことだけを語っている。この論理形式が、光と色彩にとって実は狭すぎるのである。
透明な光と色との関係を本気で考えようとすると、ゲーテに行き着く。光の近くに黄が出現し、闇に近くに青が出現する。これが光と色の接続回路である。これらは現象上の隣接性から導かれている。真夏の真昼の土煙のなかで見えてくる光景は、どこか黄がかっている。あふれるほどの光量のなかでは、黄が支配的になる。透明な光の近傍には、黄が出現する。他方夜明け前の街並みは、青く沈んでいる。隣家の屋根瓦も生垣も、深い青のなかにある。闇の近くに青が出現する。黄と青は色彩環を高昇して、頂点でともに赤になる。こう考えたとき、光とは光粒子の現存ではなく、可視的な明るさであり、闇とは光粒子の不在ではなく、可視的な陰りのことだとわかる。それでもなお黄とオレンジ、青と紫のような色彩間の隣接性と、光と色の間の隣接性は異なる。同じ光の量のなかで色彩環を黄、オレンジ、赤、紫、青、藍、緑と追跡することはでき、これらは色彩の座標軸のもとで、彩度、明度と区別されて色相と呼ばれる。[2]だが光と色彩との関連には光量が関与している。いくつかのイメージを描いてみる。
いま色彩環に七色の色相を配置してみる。このとき光はどこにあるのか。光がまったくなければ一切の色彩が消滅する以上、この七色には光が前提されている。だが光によって色彩がもたらされるのではない。光が原因で、そこから色彩が結果として生じるというわけではない。また光は色彩が生じることの必要条件であるが、十分条件ではない。十分条件の手前だとすれば、いったい現実にはどのような条件のことなのか。なによりも光と色彩とは、本性上同じものである。むしろ色彩環が、円を描いて閉じることによって区切られた円環の環境に、光がある。しかもこの光は照明のように円環全体を照らし出したり、円環に作用して色彩を出現させるのではない。光は、色彩環に内部も外部もないというように染み渡っている。これを浸透という。さらに光の量を一定範囲で変えてみる。七色の配置には基本的には変化がない。だが光量を調整すると、色相にやがて変化が生じる。最低限明度が変わる。光量の変化と連動している色相の変化に、ゴッホが敏感に反応している。あふれるほどの光量のなかの「ひまわり」や「種まく人」では空や部屋の壁さえ黄緑がかり、闇の近傍での「アルルの病院の中庭」や「夜のカフェ・テラス」では無数の青が出現する。本当のところここまで黄や青が見えるためには、視神経の光への感度が分裂性の変化をしていると思われる。色彩環と光は内的だが、内的なまま変動の余地を含んでいる。
イメージを代えてみる。一面に広がった透明な明るさを想起する。この明るい広がりに、陰りがかかったとする。明るさの広がりの縁ではなく、明るさの縁をイメージする。この明るさの縁に色彩が発生する。明るさの陰りの度合いには、無数の細かさがある。だからこの度合いをもとにしてひとつの空間を描くことができる。これは広がりとしての空間ではなく、陰りの度合いからなる色彩の位相空間である。色彩を物理的な広がりとしての空間に描くことは、おそらく色彩とすれ違ってしまう。このすれ違いの代表が、ニュートンの光学である。かりに空間内に配置された物体の色が、特定の波長の光の吸収と反射によって生じると考えてみる。たとえば物体の表面で赤が見えるのは、赤の波長の光だけが反射され、それ以外は吸収されることになる。そうだとするなら物体表面から眼の間の空間には、赤色の光の筋ができていなければならない。反射された赤色の光だけが眼に届くからである。ところが現実には物体表面だけが赤であって、物体と眼の間の空間は透明である。ニュートン光学の枠内で、この問題を解消するのは容易ではない。広がりの空間内で色彩を発生させようとすると、どうしても無理がかかる。
明るさの縁をなぞっていき、どこかで出発点に戻ったとき、そこに色彩環が出現する。縁は空間的に見れば限りなく表面に近い無限の深さである。この深さのなかに際限のない色彩が発生するが、発生した色彩を隣接性によって接続すると出発点に戻る。この事態を逆手に取って、明るさの縁にある色彩をなぞるようにして画面全体を完結させると、画面全体から光が発してくる。ラファエロの「システィナのマドンナ」が実行したのがこれである。この作品は画面全体がくっきりとした輪郭を結び、色彩を明るさとの隣接点で用いることに成功しているために、画面が完結した途端、画面の内側から光が発している。ラファエロの描く人物の表情は、慈しみや邪気のなさの典型になっており、この典型を発見した。イタリア・ルネッサンスの宗教画を並べてみると、この発見が異様なものであったことがわかる。この典型があまりにも強烈であったため、現在では各種グッズにもなっており月並みな印象を受ける。それほどの決定力があり、現在なおこの典型を越えるものは見いだされてはいない。だがこうしたデッサンの革新にもかかわらず、ラファエロの絵はまばゆいばかりの光の多さだけが圧倒的印象として残る。記憶や想起は、色彩には鈍感である。曖昧な色調しか思い起こせず、同じ色だと思い込んで並べてみるとはっきりと違っていることはしばしばである。だが光の多さは、記憶を呼び起こすようにしてではなく、光がほとばしるように眼前に浮かぶ。まるで自分の眼から光が出てくるようである。色彩と光の記憶や想起は、おそらく回路が異なっているようである。
ゲーテによれば、光と黄は隣接する。この隣接するものの間には、無数の黄が含まれている。闇と青の間にも無数の青が含まれている。ただし見ることの形成が、この無数の青や黄を見るところまではいかない。経験が届く予感に満ち、にもかかわらずそこまで経験が形成されないとき、そこに思想が登場する。思想とは、経験の形成の荒い要約のことであり、経験の形成を思考上の立場によって代替することである。だがそのときこの立場は、気づくことなく経験の形成の傍らを通り過ぎる。そこから光のさまざまな隠喩が生まれた。光は「真理の開示」(プラトニズム系列)であり、「自然理性の前景化」(ネオプラトニズム系列)であり、他方闇は人間の深奥に眠る本能や欲望の象徴(ディオニュソス系列)である。どのような隠喩であろうとも隠喩の内容ではなく、光が容易に隠喩となってしまう本性的な傾向が、光の内実を物語る。ボッティチェリの「受胎告知」には、天使と聖母との間に数本の光の筋が見える。図録ではほとんど見えないが、現物には間違いなく描かれている。受胎を伝えるのは、言葉ではなく天使からの光である。あるいはみずからの懐妊に気づいた途端、妊婦は筋上に差し込む光を感じるのである。
生存をかけた現存在の条件にまで極限的に肉薄できたのは、レヴィナスである。他者を感受することのなかには、身体の回りの空気の感受まで含まれている。空気は、身体と空気が関連付けられる以前にすでに感受されている他者である。こんなところにまで現存在の環境の感受ができているにもかかわらず、レヴィナスが光を論じるさいにはなお大半はヨーロッパ的伝統の隠喩のなかにとどまっている。「諸々の対象がひとつの世界であるということ、つまりそれが私たちのものだということは、光によって」なのであり、「世界は光によって与えられ把握される。」光は、現象学的な意味の条件になっている。[3]おそらくレヴィナスの掴んだ光は、レヴィナスの道具立てでは、うまく言い表すことができない。光は見るという行為に連動し、この行為に内的だが、この行為によって変化させることも作り出すこともできない。このとき認知にとって光はどこまでも遠ざかる他者であるよりない。ここに光の隠喩が発生する。見る行為にすでに浸透しているものを、認知の条件として語ろうとするから、比喩に比喩を重ね描く以外にはなくなるのである。
光と黄の間にも、闇と青の間にも、際限のない裂け目がある。一つ一つの色彩経験を追跡したのでは、この裂け目を埋めることはできない。闇と青の間に、無数の青があり、無数の陰りがあることを、フェルメールが見出している。冬の長い北ヨーロッパで、影の中になだらかに変化する青を見出したのである。青い「ターバンを巻く少女」のターバンの影の部分が、陰りのなかの細かなうごめきを示している。「デルフト眺望」では、陰のなかに無数の陰の色を付けている。このため静かな水面に映る陰に、まるで声を抑えたひそひそ話しのようなうごめきがある。
しかもこの裂け目の広さの経験は、光量によって変わる。光量が多くなれば光と黄の間の隔たりは拡大し、この拡大とともに眼の形成が一挙に進み、信じられないほどの色彩が判別できるようになる。日本でも四月から五月にかけて木々の緑が極端に細かく判別できる時期がある。若葉が出て植物の色調が変わり、一般に「山笑う」と呼ばれる時期である。この時期は眼にとっての光量が変化するために、緑の度合いが細かく識別でき、山一面の緑のざわつきを感受することができる。光の量が変われば、ただちに眼は自己形成を開始する。眼の自己形成は、光の量ではなく、量の変化を開始条件とする。一般に自然条件への適応は、条件の変化に対して起こる。首都圏で疲れのために皮膚がかさかさになった人が、硬水を飲料水にしている地域に引っ越すと、二週間程度で皮膚がつるつるになる。水の変化に対して身体変化が起こるのであり、水の性質に対して身体が適応するのではない。進化論的な適応が意味をもつのは、環境条件に対してではなく、環境条件の変化もしくは変化率に対してである。事実引越しの翌年の同時期には、もはや皮膚の変化は起こらない。しかも変化や変化率を開始条件とするものは、自己形成の果てに適応すべき特定の適応条件があるのではない。ひとたび開始条件があたえられれば、ただ自己形成の本性にしたがって形成は進む。アルプスを南へと越えた途端に出会うのはこの光量の変化であり、ゲーテの言う「眼は光によって光へと形成される」事態を体験することになる。イタリアの光は、眼の形成を開始させるのである。

光と色彩の情態

ギリシアには色彩がない。赤、青、緑と配置される色彩がないのである。カリュプソに囚われたオディッセウスは望郷の念にかられて赤ワイン色の海を見つめ、青銅色の空を眼にする。ホメロスが空や海につけた色彩語は、空は鉄色であり、青銅色であって、海は白、黒、灰色、紫、赤ワイン色である。現実に抜けるような青しかない空と海が、どうしてこんな色に見えているのか。一八一〇年にゲーテは、古代ギリシア語の語法には青の用法が欠けていると指摘した。青の色を指示する語がないのである。青に類似する語kyanosは、やがてシアンの語源となる。シアン化合物を見ていれば、青が見えていることは間違いない。だがこの語は空に当てられるのではなく、一般に濃さを示している。青という色が問題なのではなく、凝縮する濃さが感受されている。色に対して色相で見えているのではなく、色のもつ情態が感受されている。緑に相当する語chlorosもそうである。ミツバチもナイチンゲールも露も血も涙も、緑である。[4]ここでも色が問題ではなく、この語は初々しく生き生きとしていることに当てられている。三歳ぐらいまでの幼児を嬰児(みどりご)と呼ぶようなものである。
ここまでくれば何が起きているのかがわかる。対象に対する情態が語として成立し、この情態を感じ取るところではどこでも同じ語が用いられている。情態性の関連に語が運用されているのであって、色相の区別に語が用いられているのではない。この場合語は弁別的指示語ではなく、情感の動きに対応している。しばしば誤解されていることだが、ギリシア人たちは想像力豊かに比喩的に色彩語を用いたのではない。弁別的区別という散文的な指示語の延長上に想像力で隠喩を獲得したのではなく、情態の動きにそうよう詩的に色彩語を発語したのである。
色の情態は、色のもつ運動感として出現する。この運動感の獲得を初等教育の柱に据えたのが、シュタイナーである。いま一面白の紙に黄を塗ってみる。形に合わせて黄を色づけするのではなく、黄の面を作る。そうすると黄の面は拡散性の運動を始める。一様な黄の面にはならず、拡散するのである。人物の縁のところに拡散性の黄を多用したのが、ルノアールである。縁を曖昧にしたのではなく、拡散性の緩やかでふっくらとした動きを持たせることに成功している。この動きが、黄の情態である。イタリア全域を満たしているのは、広がり全域でこの拡散性が出現することである。全域で出現する拡散性は、躍動感と浮かれ気分の間を揺れ動いている。同じように白の台紙に濃い青を塗ってみると、濃い青は面の中央への凝縮を開始する。凝縮性の動きが、青の情態性である。古代イオニアやイベリア彫刻を画法に取り込んだゴーギャンは、この凝縮性の青を多用している。濃い青は、凝集性によって沈みゆく存在感を確保する。また赤の面は、黄や青と異なり、面に沿う動きではなく、面から前方へと走り出してくる。急速な接近感がある。これを道路信号の赤に用いており、赤はたんに停止という意味論的記号ではない。赤の面が眼前に置かれれば、見ているものは、おのずと後ずさりするか、逆に牛のように突進するかである。
シュタイナーは、色の面を組み合わせることで、さまざまな色彩の動きの感覚を形成するようなプログラムを作ろうと試みた。[5]黄色の台紙に、中央に薄い赤を塗り、赤の回りを薄い緑で塗ってみる。赤は激しく前方に走り出してくる。同じ黄色の台紙に、赤を雲状に横たわらせ、その上に緑を積乱雲のように描くと、緑は燃え上がる緑となる。あるいは下の横たわる雲を黄緑にし、積乱雲を濃い黄色にすると、黄色の積乱雲は洗濯機のなかの水流のように下の雲に引っ張られていく。さらに光と影を加えると条件を一挙に複雑にできる。夕闇後黄色の台紙に蛍光灯をあて、手をかざしてこの台紙に手の陰を落としてみる。影のなかの色は青味がかった緑であり、影のなかの色そのものが揺らいでいる。
物体の縁は、反射率が異なるために動きが増幅される。午前中早くか夕暮れ前の斜めに日差しが差し込んでくるなかで、角張った物体を回転させてみる。縁のところの反射率が大きいために、縁では変化が変化率で出現する。角度によっては縁のところに虹が立つことがある。この変化率の大きさを物体の動きの情報として活用しようとしたのが、アフォーダンスの「包囲光」である。駅に止まる間際の空いた電車で、立ち上がろうとしている人の身体の縁の空間的動きをすべて記述しようとすれば、容易に記述は爆発する。とすると動きの情報は、縁の細かな情報を集約するようにして、意味として捉えているなどということはありそうにない。なによりも動きは感受されているが、意味ではないからである。眼前に人を置き、利き腕を後ろに回してもらい、後ろ手を握ったり開いたりしてもらう。あるいはしばらく開いたままで止めてもらう。後ろ手が動いているかどうかは、正面から見ていてもはっきりわかる。この場合肩のあたりの縁の空間的動きを細かく追跡しているのではない。だが間違いなく動いているかどうかは判別できる。明るみ出ている部分と陰りがある部分の明るさと陰影の変化は、直感的にわかる。物体の陰影に変化があれば、物体のどこかに動きがあることは、ほとんど本能的に察知できる。明るさと陰影の変化は、空間的形態の変化ではない。むしろ形態の変化は、陰影の変化を手掛かりにしている。これはアフォーダンスがいまなお実行できていない陰影と運動の関連のテーマである。しかも光量の多い環境では、この陰影の変化が際立ってくる。物体の運動感として感受される陰影の変化の度合いは、北側からイタリアに入った途端際立ったものであり、ひとときすべての物体の動きは、躍動として感じられる。だがこの場合あっという間にこの光の量に慣れてしまう。
色の空間は、幾何学空間の着色とはまったく別のことである。色彩を形の装飾ではなく、それじたい表現的に用いる手法を、マティスが絵画の技法として確立した。[6]これはイタリア古代や日本の織物にも見られる。デッサンに色を着けるのではなく、色彩の面積と配置から色彩の表現を作り出すのである。このバランスのなかから色彩の広がりの形態が決まってくる。いま一面山吹色の画用紙をしばらく見てみる。この色を見ながら形が浮かんで来るのを待つ。色から形を浮かび上がらせる手法をとってみる。色と形の間には、中間項もなく、共通の座標軸もない。だが両者は密接に関連する。この関連を探り当てることを、マティスは、調和を探ることだと呼んだ。山吹色は、細かい断片として画面全域に分散させてみる。その後分散した山吹色のなかに色のバランスで、他の色を配置する。分散する山吹色の背景には、面となった紫とピンクと黄を幕状に配置する。こうしてみるとさらに黒と白の形態と配置は、おのずとしかもうっすらと決まってくる。これがマティスの「王の悲哀」である。黒は沈みゆく運動体となり、山吹色は散りゆく木っ端となる。遠近法的な空間が解除されているために、画面は背景色である紫の背走と赤の前走によってだけ、半奥行きを形成する。ピカソが幾何学的なデフォルメの重層を用いて、レリーフに似た半奥行きを形成したのとは異なり、マティスは色彩の動きによって半奥行きを形成したのである。立体の出現と成立の機構を変えたという意味で、マティスは色彩と運動のキュヴィズムなのである。
感覚の運動の剰余である情態性は、比較的種類が少ない。ハイデガーが提起した情態性のモードが、不安である。これ以外にはメランコリー、アイロニー、崇高、熱狂(マニー)、強度を判別できる。いずれも情態の運動のモードである。対象化された絵画では、これらは全体を包む雰囲気となる。メランコリーは、運動が一定の幅のなかにおのずと収縮していることであり、アイロニーは運動がみずから自身からつねに同時にそれていくことであり、崇高は運動がつねに同時にみずからの身の丈を越え出て行くことであり、熱狂は運動がつねに爆発の予感のなかになることであり、強度は運動が同じ運動を強さを変えながら反復することである。
これらのカテゴリーは、伝統的な感情の心理学のカテゴリーとは異なる。色彩を生の情念、苦しみ、憂い、孤独、喜びと関連付けるのは、感情の運動の結果到達した心理的意味に色彩を対応づけることである。そこから派生的に、白ならば生まれたばかりの世界、黒ならば死、緑ならば安らぎ、赤ならば過剰性すなわち生自体というような、色彩と感情とのいくぶん象徴化された関連を主張することになる。感情の自動運動を基調とする生の現象学は、こうした分析へと向かう。[7]ここにはなおすでに克服したはずのノエシス-ノエマ対応関係の残滓が残っている。なによりも色彩は感覚であって、感情値をもつが、それじたい感情ではない。情動は自動運動を行い、認知との連動によって苦しみや喜びのようないくつかの感情価を形成することができる。ところが感覚は、自己形成運動を行うのであって、この自己形成運動のモードが情態性のカテゴリーとなる。作品の分析性を高めようとすれば、感情の類型に代えて、運動のモードを対置することになる。黒の面は、山吹色の分散する木っ端のなかでは、みずからの重みで落下していく。この落下は距離の落下ではなく、距離感のない運動である。この運動の情態がメランコリーであり、悲哀である。白の面は、紫と赤の幕状の背景を背にし、山吹色の木っ端のなかに置かれれば、定めのない漂いの運動となる。こうした運動は場所移動の運動ではなく、情動の自動的な運動でもなく、感覚の自己形成運動にかかわっている。イタリアの光のなかでただちに開始されるのが、この感覚の自己形成運動なのである。


1 ウイットゲンシュタイン『色彩について』(中村昇、瀬嶋貞徳訳、新書館、一九九七)。
2 河本英夫『オートポイエーシスの拡張』(青土社、二〇〇〇)第三章四節「光と相即-ゲーテ色彩論」参照。
3 レヴィナス『実存から実存者へ』(西谷修訳、講談社学術文庫、一九九六)八五-九六頁。なおレヴィナス『存在の彼方』(合田正人訳、講談社学術文庫、一九九九)四〇三頁の空気や酸素についての記述を参照。
4 アーサー・ザイエンス『光と視覚の科学―神話・哲学・芸術と現代科学の融合』(林大訳、白揚社、一九九七)二五-二八頁。
5 シュタイナーについては以下を参照。エリザベート・コッホ、ゲラルト・ヴァーグナー『色彩のファンタジー―ルドルフ・シュタイナーの芸術論に基づく絵画の実践』(松浦賢訳、イザラ書房、一九九八)、またルドルフ・シュタイナー『ゲーテ的世界観の認識論要綱』(浅田豊、筑摩書房、一九九一)。
6 マティスについては以下を参照。イヴ・アラン・ボア『マチスとピカソ』(宮下菊夫規久朗監訳、日本経済新聞社、二〇〇〇)、ハイデン・ヘレーラ『マチスの肖像』(天野知香訳、青土社、一九九七)。マティス自身の証言については、マティス『画家のノート』(二見史郎訳、みすず書房、一九九八)
ミシェル・アンリ『見えないものを見る―カンディンスキー論』(青木研二訳、法政大学出版会、一九九九)ことに「目に見えない色」「フォルムと色」を参照。

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