アラカワの方法
河本英夫(東洋大学文学部)
The Method of ARAKAWA
Hideo Kawamoto (Department of Literature, Toyo University, Tokyo)
はじめに
方法とは現に実行される経験の作動のごく一部を抽出したものである。そのため現実をきわめて単純化したものである。経験は方法にしたがって作動するのではなく、また方法は現実の行為を方向付ける統制原理でさえない。方法は現実のプロセスと同時並行する経験の手掛かりでしかなく、場合によっては経験を動かすための予期である。この同時並行のプロセスという感覚を身につけることは簡単ではない。だが経験の多くはそうした同時並行するプロセスのネットワークである。実は、この同時並行的な経験の作動を多用したところに、アラカワの方法の特質がある。
1 アラカワというプロセス
荒川修作は、1936年名古屋市生まれで、1957年に武蔵野美術学校に入学する。この美術学校は当時吉祥寺に本部を置いており、後に小平に移転して現在の武蔵野美大となる。57-58年には「抗成物質と子音にはさまれたアインシュタイン」他2点が制作されており、通称「棺桶シリーズ」と呼ばれる作品群である(Fig.1)。いずれも1,5-3メートルの比較的大きな作品である。この作品の構想時期は、荒川の19歳のときである。これらの作品群は、40年近く企業の倉庫に放置されたままになり、その後2008年に野木坂のアート・アンリミテッドで修復展示された。荒川は大学に入学して3ヶ月後に退学するが、当時すでにデュシャンに匹敵対抗できる作品水準に到達しており、大学で学ぶものはすでにないという状態だったと思われる。1961年に渡米するが当時日本の外貨準備高はわずかであり、渡米するためには推薦と許可が必要だった。このとき推薦者になったのが物理学者の中谷宇吉郎である。渡米翌年、詩人のマドリン・ギンズと知り合い、現在まで公私ともに共同作業を続けている。
1963年には、最初の突破口となる『意味のメカニズム』に着手する。この後15年近く、この作業が続く。この作品は、科学者、建築家、芸術家等任意の領域の参加者を集め、ニューヨークで定期的に行った研究会の成果を、荒川とギンズがテーマごとに手を入れ編集したものである。現在著作のかたちになっているのは、このとき取りまとめたテーマの4割程度である。『意味のメカニズム』で探求された主題は、意味がどのようにして出現するかであり、意味の出現の場所をそれとして作品にするという作業である(Fig.2)。ここでは意味の出現をまさに経験できる場所を作品として設定したのであり、この段階ですでに鑑賞したり、理解するのではなく、作品そのものを経験するという位置からの制作になっている。すなわち経験そのものの形成と変容を誘導し、それを否応のないものとし、経験の可能性を拡張するような位置から作られている。こうした作業を経て、荒川は芸術家の範囲をはるかに超え出て、哲学者、詩人、科学者、教育者としても活動を行っていることになる。この作品をきっかけとして展示会をつうじて数々の国際的な賞を受賞し、世界のアラカワとなったのである。
この時期、荒川を日本で支えていたのは、瀧口修造をはじめとする詩人である。また膨大な哲学書のアンソロージを作成しており、まさにそれをつうじて哲学を放棄するのである。ここでも自分自身に区切りをつけていくプロセスが確認できる。「みずから自身を繰り返さない」というデュシャンのモットーは、アラカワのモットーでもある。
1980年代半ば頃からアラカワの展示会には、見るものを斜面に立たせたり寝ころばせたりするような工夫が導入される。身体の条件を換えることによって感覚知覚に変化をあたえるような展示設定を行うのである。この頃ニューヨーク郊外に広大な土地を借地し、身体を含めた認知科学の実験を行うようになる。意識に上る経験はごくわずかである。このことは現在、リベットやコッホの脳神経科学の議論で明確な科学的理由付けをえている。意識とは躊躇の別名である。そうなると意識下の経験の形成を促すような装置をそのまま作品とするような制作が必要となる。かつて『意味のメカニズム』で実行された「経験の形成の場所」を、身体を含めた経験の形成の場所としてそのまま作品とするのである。こうして建築家としてのアラカワが誕生する。
このとき身体こそが焦点となる。身体を中心とし、身体行為と不可分な身体とともにある感覚経験は、触覚性のものである。触覚は五感の一つだとされるが、身体運動をともなう触覚性力覚は、大まかなカテゴリー化を行っても数十のオーダーのモードがある。触覚性力覚は、距離覚、位置覚、運動覚、延長覚のように身体行為とともに成立する認知であり、運動と認知が一体となっている。このことは認知科学者、哲学者、心理学者を含めてほとんどまだ誰も気づいていないことである。アラカワと少数のセラピストと少数のダンサーだけが気づいていたが、アラカワが先陣を切って活用し始めた。実はベルンの精神科医ルック・チョンピによる「柔らかい部屋」も、触覚的な対象知である柔らかさが問題なのではなく、柔らかさのなかで起こる触覚性力覚が問題になっている。アラカワ自身が「センス(覚)は、数千ある」と言い続けるのは、カテゴリー化する以前の触覚性力覚のことである。このタイプの最初の作品が、岡山県と鳥取県の県境にある「奈義の龍安寺」である(Fig.3)。 京都の龍安寺は白石を敷き詰め、6、7個の岩が配置された静謐な庭園である。これを巨大な円筒形のシリンダーの内部に移し込んだのである。これ以降、岐阜の「養老天命反転地」(1995年)「三鷹天命反転住宅」(2005年)、ニューヨークの「バイオスクリーブ・ハウス」、2008年)のように、次々と新たに工夫された建築が続く。
2 アラカワという言語――経験の可能性の拡張に向けて
アラカワの言語には、奇妙な特徴がある。言語がそもそも経験の作動機会を提供し、経験とともに動くものなら、言語の機能的な働きには、誘惑、挑発、イロニー、機智、抒情、崇高、強度のような遂行的情態性がつねにともなっている。これはソシュールの指定する言語機能(伝達、表出、喚起、述定)のなかには含まれてはいない。情態性は内的感情と異なり、世界に感じ取られるものであり、言語がひとつの行為であることに不可分に伴うものである。数学には必然性という遂行的情態性がともない、物理には贅肉のない機械性という遂行的情態性がともなう。それらを遂行的と呼ぶのは、経験とともに作動しているからである。ソシュールの言語機能の四規定からこれらが落ちてしまうのは、ソシュールが言語学という経験科学の要請にしたがい、経験と言語の関係を探求の枠外に置いたからである。むしろこうした情態性の創造的な働きに気づいていたのは、シュレーゲルやノヴァーリスのような初期ロマン主義の文学者たちである。文学者と言ってもこの時期の人たちは哲学者以上に哲学的である。
アラカワの詩人としての資質は、経験の一歩先をつねに言い当てるように言語表現を活用したところにある。現在手掛けている課題を、スローガンのように言語的に表記するのである。ここには経験の極限化の操作も行われており、言語はつねに経験を動かすために経験の可能性の一歩先を指示するように活用されている。「死に抗する戦い」「死なないことに決めた」「天命反転」「不可能故に、我信ず」はすべて同じ位置から発せられている。経験の可能性は、経験科学的にはほとんど「能力」という語に置き換えることができる。カントのいう「経験の可能性の条件」とは、心理学的には能力のことであり、それを論理形式に翻訳して哲学の原理としたとき、カテゴリーと呼ばれてきた。基本的に人間であれば誰であれ備わった生得的能力のことである。同じ「可能性」という語をシェリングは、誰か一人でもわずか一度でも実行可能な経験という意味で活用する。不可能ではないという意味での可能性である。誰かが一度でも実行できることは、やがて多くの人が実行できるようになる。「不可能ではない」という二重否定の隙間には、広範な広がりがある。またそれがどの程度の範囲なのかをあらかじめ決めることもできない。アラカワはそこに言葉を当てていく。アラカワの企てたことは「経験の可能性を拡張」しようとしたことである。こうした言葉は、現在の経験以外の可能性をまるで感じ取れないものにとっては、ただの挑発でありハッタリにしか聞こえない。このとき言葉は意味としてだけ理解されてしまう。また別様な経験がありうることを知っているものにとっては、そんなところまで可能性を拡張してしまうのか、という感慨めいた驚嘆が第一印象となる。
アラカワの主要なテーマの一つが、経験の可能性を身体の活用、触覚性感覚の活用をつうじて拡張していくという課題である。このとき身体と言語はいったいどういう関係があるのかという課題が生じる。そしてこれは、言語から見てヴィットゲンシュタインの発話行為ではまるで足りておらず、身体から見てメルロ=ポンティの両義性ではまるで足りていない課題である。言語は基本的には身体にとって疎遠なはずだが、言語の語られる環境内で身体行為は形成される以上、なんらかの密接な関係があるはずである。このことをアラカワは「密な間接性」と呼んだ。オートポイエーシスではそれを「カップリング」と呼んでいる。密な間接性そのもののモードは、いまだどの程度の数があるのかはっきりしないほどの課題であり、アラカワの作り出した建築は、実のところ居住者にとってはみずから自身を材料とした実験場でもある。それが「天命反転住宅」である。
3 認知行為的世界――新たな知の形態へ向けて
アラカワは繰り返し、これまで人間は誤り続けて生きた、と言う。人間一般がこれまでほとんど誤ってきたのであれば、知も哲学も誤ってきたに違いない。そして実際そうなのである。世界について知るというアリストテレスのテオリア(観照知)も、知ることの前提を反省的に知るというカントの反省哲学も、どこかで完全に誤ってきたのである。行為の基本は、みずからと世界とのかかわりを組織化することである。この組織化のための最大の手掛かりが認知である。世界を知ってから、それに基づいて行為が誘導されるというようなことは、ありえないことである。そのありえない事態を哲学は説いてやまないのである。フッサールの現象学でさえ、世界を知ることの内視的な機構を解明する方向へ進んでおり、体験的世界のテオリアである。
体験的行為の事象は、全貌が明るみに出ない。それは知ることによって形成されたものではなく、その意味で知ることの対象ではないからである。そのためフッサールの「本質直観」も、晩年のギブソンが試行錯誤した「アフォーダンス」も定式化としては誤っている。こうした誤解は、体験レベルの認知を扱った「アフォーダンス」にはっきりと出てくる。ギブソンの当初の課題は、飛行機が方向調整や速度調整を行うさいに、何かを手掛かりにしてすでにおのずと行ってしまっていることの仕組みを明らかにすることであった。そこに物理法則になぞらえた光学的な法則を解明することであった。そのためこれらは「生態物理学」と呼ばれる。正中線の成立している世界のなかを身体とともに移動するとき、風景の変化率を手掛かりにして、真っ直ぐな方向に進んでいるか、右に曲がっているか、左に曲がっているかを調製することができる。この風景の変化率のことを、ギブソンは、オプティカルフローと呼んだ。オプティカルフローは、動物の移動のさいの方向調整と速度調整に用いられている。こうした生態物理学とギブソンが晩年に定式化した「行為機会を提供する環境情報」としてのアフォーダンスは、とても折り合いが悪く、整合的ではない。アフォーダンスは、定義の仕方を誤ってしまったのである。おそらく最晩年であったために、ギブソンはこの定義を変更できないままになった。
アフォーダンスの定式化は、客観心理学のなかに半ば自明に前提されている、線型の主観-客観体制に行為を押し込め、いわば客観である環境情報がまるで主体的な行動を誘導するかのような場面を思い描いているのである。だが行為と環境との関係、行為と情報との関係には、そうした線型の関係は成立していない。かりに線型の関係を前提にすれば、情報は先験的に環境にあり、知覚は探索をつうじてそれを発見していくという、情報実在論-主観的探索の組み合わせになる。環境情報は、人間の行為にとって、運動イメージ、注意、身体体性感覚、身体運動感と並ぶ行為制御、行為調整のための有効な手掛かりであり、そうした環境情報のなかで、「行為選択に直接手掛かりをあたえるもの」がアフォーダンス情報である。すると環境情報が単独で働くことはまずない。ここで行ったアフォーダンスの定義の変更は、実はギブソンにとっても有利な変更である。というのもこれによって、生態物理学とアフォーダンスが無理なく整合化できるからである。
ここから先は多くの選択肢がでてくる。行為の可能性をさらに拡張するためには、世界、人、自分自身について知ることではなく、体験的行為に働きかけなければならない。いずれにしろそこに新たな装置が必要となる。アラカワの場合、それが「ランディング・サイト」である。
眼前に物がある。それを知覚するさいには、その物が何であるかを知ろうとする働きである。だがそのときその物の位置指定を同時に行っている。この位置を指定する行為は、その物とみずからのかかわりを組織化するために不可欠のものである。位置を指定する行為を、距離を知ることに解消してはいけない。距離を知り、それに合わせてリーチングを行うなど派生的な末端で起きていることにすぎない。位置の指定は、世界のなかにすでに位置を占めてしまっているもの(Da)にとって、存在と生存をかけた根本的な行為である。こうした場面で行われる行為を、私は「認知行為」と呼んできた。これは哲学ではいまだ主題化できないできた体験的行為のレベルである。この体験的行為のレベルにある原理の典型例が、ランディング・サイトである。従来人間がこのレベルの事象を完全に見落としてきたことも、アラカワがこれまで人間はすべてを誤ってきたという理由の一つである。
ランディング・サイトは、位置を指定すると同時に、その位置とのかかわりを組織化する行為を誘導する。つまりランディング・サイトはこの原理の本性上、「二重の働き」Double Operationをしている。それは位置の指定と同時に、そこにかかわる行為の誘導を行うのである。それによって空間内の運動の可能性を引き出すのである。こうした二重の働きは、マトゥラーナ、ヴァレラのオートポイエーシスにも見られる。それはシステムが運動を続けることが同時に自動的にシステムの境界を区切るような場面で、システムの定義そのものに組み込まれている。認知行為は、認知と行為との新たな関係の定式化の仕方である。
4 形成プロセスの空間と運動の空間―新たなエクササイズへ向けて
身体が形成されるとき、その形成プロセスは境界形成であり、内と外の区分を作りだすことである。身体や触覚性感覚や知覚でさえも、それらが形成されるさいには、境界を作りだす。境界からなる空間は、同心円的な球形の空間である。これは基本的にアリストテレス空間である。マトゥラーナ、ヴァレラのオートポイエーシスで構想された位相空間は、実は球形の空間である。それに対して、ランディング・サイトの指定する空間は、位置からなる空間である。座標軸で表記するとデカルト空間である。マドリン・ギンズは、事物が形成される空間に親和性が強く、アラカワは位置空間に親和性が強い。事物を形成するプロセスと空間内の運動を誘導するプロセスとは、異なった空間を形成する。ギンズは本来オートポイエーシスにきわめて近い位置にいる。ところがオートポイエーシスの位相空間(球形空間)とランディング・サイトの空間は、統合されたり、一方が他方に帰着される関係にはない。アラカワの語で、境界形成に近いのは、バイオスクリーヴである。バイオスクリーヴとランディング・サイトは容易には統合できない。
アラカワとギンズの間の議論をつうじて、まさにこうした二つの空間の違いから、歴史上稀に見る作品ができあがってきた。アリストテレス空間とデカルト空間という統合できない二つの空間に、変換関係を作りだす作業が、実行に移されたのである。この二つの空間の変換関係は、一通りには決まらない。そこでデカルト空間をアリストテレス空間に射影すること(奈義の龍安寺)や、デカルト空間とアリストテレス空間を並置すること(ミタカ・ロフト、バイオスクリーハウス)のように、複数の空間の間を橋渡しするような作品がおのずと作りだされてきた。アリストテレス空間とデカルト空間の変換関係は、まだまだ多くのモードがあると予想される。天命反転はまさにこれから実行されるのである。