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「曖昧な豊かさ」の彼方へ

河本英夫

 メルロ=ポンティによる身体の両義性は、身体が知るものであり知られるものであることを基調としている。それは触れるものでありながら触れられるものであり、それじたい動くものでありながら、かつ動かされるものであるというように、さまざまなヴァージョンに転換できる。この両義性は、たとえば自然に対しも、まなざされるものでありながら、それじたいまなざすものへとなっていくという形で転用されている。こうした両義性をいたるところで見出す芸を、メルロ=ポンティは持ち合わせていた。だがまなざしは、本来一方から他方へと向かうような非対称性をもち、他者からまなざされる場合でも相互非対称にしかならない。この場合、まなざしにとってつねに世界の半分は、際限のない深さをもつ。非対象にしか作動しないものの延長上に、まるでそれじたいで隠れてしまう半面を言い当てるように両義性を見出していく。これは知覚の失敗ではなく、知覚とはそもそもそうしたなかでしか成立しないことを意味する。ここにメルロ=ポンティ固有の不透明で曖昧な豊かさが生じる。中・後期の講義録、草稿群でも、両義性を起点にして、各現象領野にいくつかの付帯的な仕組みを導入することで、記述の領域を拡張し続けている。
 また『知覚の現象学』の段階から、身体をともなうまなざしの存在身分にかんして、どうにも収まりの悪さを抱えていた。それは主体が世界にかかわる場面である。体験レベルでの生と地続きになった感覚、知覚を扱うさいに、世界の外に出るようにして世界を捉えることはできない。それはつねに世界内存在であるよりない。だがそれとして在るという実存は、世界内の一個の不連続点である以上、まなざしの一種の地平である世界の内にあることはできない。いま人為的に、実存するものを含む世界を総体として想起してみる。この場合、世界内に在るものが世界を捉えるのだとすると、まるで世界への認知、もしくは世界とのかかわり総体を横から観察しているような図柄になる。これではただの認識論である。
世界内にありながら世界を認識するさいには、みずからが存在してしまうという剰余を、その認識の内容から消し去ることはできない。それをメルロ=ポンティは、まなざされるものの認知的固有性の剰余のように継ぎ足す言葉を当てている。たとえば動く物体は、それじたい動いているのであって、空間内を移動しようとしているのではない。運動は、まなざしの位置から相対配置を受けるだけではない。空間内の相対移動は、観察された運動にすぎない。むしろ物はまさにそれじたい運動している。すなわち一種の自己運動である。そこで「運動は石のなかに宿っている」と言う。[1]こうした「宿る」という動作語は、まなざしの延長上からは出てこない。むしろそれは運動がそれとして在ることにかかわっている。メルロ=ポンティは、収まりの悪さをむしろ事象記述の不透明な分厚さに転じていく資質を持ち合わせていた。この分厚さには、真偽の一歩先という内実が込められている。ここにも固有の曖昧な豊かさがある。しかも当初認識の剰余として比喩的に用いられていた動作語は、やがて自己や自己と世界とのかかわりを記述する語へと拡張されていく。
一般に哲学者は、多くの場合みずからの経験を反復し、それを確認していくが、そこにもなにか次の展開可能性へと向けた萌芽がある。たとえ哲学であっても展開可能性がなければならない。あるいは不遜なほど見通しの悪い展開可能性を持ち続けた故に、哲学はなおそれとして維持されている。つまり哲学には、多くの行き止まりの回路と、ごくわずかの展開可能性が含まれていることになる。行き止まりの回路は、時として人間の本質に触れ続け、解答のない問いを問い続けるという一種の自己陶酔となる。精確に言えば、哲学にはいたるところで見通しがたい罠がしかけられている。それに引っ掛からなければ哲学に入ることができないが、引っ掛かればもがくような身動きしかできない罠である。こうした罠の場所で、メルロ=ポンティは隠喩を紡ぐという選択をしている。だがそこにはつねに別様の選択肢がある。選択肢さえうまく見出すことができれば、問いはおのずと転換している。そこからいくつかの突破口を見出したいと思う。

1 分岐点

メルロ=ポンティが、中・後期に繰り返し「自然」の問題に取り組んだとき、大別して三つの動機があったとみてよい。第一に、自然科学的認識の基礎にある知覚的、前知覚的な基礎を探り当て、対象化され記述された自然とは異なる自然を見出すことであり、第二に知覚以前に作動している知覚の前史となる働き、すなわち野生のまなざしを見出すことであり、第三に存在者とは別建てで設定される「存在」の在り処と内実を自然から見出すことである。これらの問題系で、第一のものはフッサールを継承して現象学の立ち位置を繰り返し確認するための作業であり、第三のものはハイデガーの問いへのメルロ=ポンティなりの解答の設定であり、第二のものは『眼と精神』から続くメルロ=ポンティ固有のものである。だが付帯的なきっかけはレヴィ=ストロースによる未開部族の思惟の解明にあると思われる。レヴィ=ストロースとメルロ=ポンティは、同時代のメディアのスーパースターであったサルトルに対抗するという目立った連帯の手前で、お互い事実的経験以前の信頼があったと思われる。理性以前の、理性と感性とが分離しないレベルの経験を解明しようという共通の課題を抱えており、前者はそうした経験の表現形態を規則的な構造として解明し、後者は理性的認識の届く一歩先を、枠取りをもった比喩として解明したのである。そのためレヴィ=ストロースは経験科学類比的であり、メルロ=ポンティは詩人に類比的である。
物とは何であるのか。物自体以前の、おのずとそれであるような物にはどのようにして到達できるのか。現象学の手法であれば、既存の知識をはぎとり、さらにみずからの知覚をもはぎとり、際限のない還元をかけながら事象を解明するよりない。しかしこれでは意識の残滓の残った意識の限界点で対応する何かを見出すことになる。これは一般に形を取る以前の質料だと呼ばれるものであり、一般に遡行の度合いに応じて、物の内実は少しずつ希薄になっていく。だがメルロ=ポンティの遡行の仕方は別様である。たとえば解剖学者は、自分で解剖している動物の眼に、それを観察している自分の眼と同じものがあるはずだとどこかで確信しており、その確信に対応する心の働きがある。実際そうした確信がなければ、眼の解剖が何をしているのかさえ不明になる。物そのものの出現が、認識の出現に見合うようなある種の経験のレベルがあり、そこでは物への感度がはじめて認識そのものの出現を気づかせるような場所がある。それが「自然」と呼ばれている。それはいっさいの認識が、まさにみずからへと成り行くような場所である。
この議論の仕方は、現象学的還元とはまったく異なっている。現象学的還元でも、意識の志向性以前の働きに遡行することはできる。前知覚的、前志向的、前能動的な心の働きへと遡行的に向かっていくことはできる。だがこの操作的な探究は、どこまでも意識をつうじてなされている。言ってみれば、意識は自分に内在する自分の前史を呼び起こせる度合いに応じて、先行する働きを呼び起こしている。メルロ=ポンティはここからさらに一歩先へと踏み出そうとしている。それが、こうした操作的な探究そのものが可能になっている場所であり、いわば意識がそれとして出現してくるような場所である。すなわち還元が遡行的に出会おうとしているものが、まさにそれとして立ち上がってくる局面である。これは本来現象学的な探究だけでは、手の届かない課題である。そこには経験そのものの本性であるかのように遂行される、語られないままになった大前提がある。それがこっそりと実行されている両義性の拡張である。能動‐受動の交代を身体に見出すだけではなく、まなざすという行為そのものに見出すのである。自然はまなざされると同時に、まさにそれじたいまなざすものに成り行くのであり、解剖学者が対象に自分の眼を見出すように、メルロ=ポンティは自然に自分自身のまなざしの出現を見出すのである。そこから出てくるのが、自然は「眠ったままの知覚」[2]であるという飛び切りの名言である。
自然を論じながら、メルロ=ポンティがほぼ唯一の自分の先行者として位置づけているのが自然哲学期のシェリングである。シェリングの場合、大まかには三つの柱がある。第一に「意識の起源史」としての自然哲学であり、意識にとっては、自然は思い起こすことのできない過去であり、いわば「先験的過去」である。この過去は時系列的に先行するものではなく、みずからの足元に堆積する過去であり、自然への探究は「意識の考古学」である。このときたとえどのように後の自然科学的解明が、この自然を異なった描像で描こうとも、まさにあらゆる解明にとって「それなしではすますことのできない」ものとなる。第二にこれを見出すのが、みずからを直観するためにみずから客体となるような行為を行う精神の知的直観であり、メルロ=ポンティではセザンヌを取り上げながら見出している「人間以前のまなざし」すなわち「野生のまなざし」に対応している。[3]シェリングは、画家が絵を描くさいの描くという行為として実行される産出的直観に力点を置いているのに対して、メルロ=ポンティでは描き手の物を見るまなざしの出現に力点が置かれている。
さらに第三に、自然は階層を繰り上げるようにみずから自身を組織化するという組織化の仕組みである。シェリングのこの部分が、現在の自己組織化の先行形態だとされているものである。ただそこで繰り出される「再産出」、「産出の産出」等はいまだただの言葉であり、固有になんらかの事態を表わしてはいない。実際それらはテキストでも、注のような書き方になっている。この組織化を強く取ると、組織化の結果新たな経験のレベルが形成されれば、まさにそれによってみずからの前史が解消され、見えなくなってしまう。自己組織化は、自己の形成とともにつねにみずからの前史を断ち切る。それが不連続性の出現であり、結果として階層の出現である。そのため意識は、みずからの前史を思い起こすことができないのである。メルロ=ポンティの議論には、このタイプの組織化の仕組みは入っていない。『行動の構造』でも、生物や生体の機能的階層関係は導入されており、また部分の統合の意味での組織化はいたるところで活用されているが、階層そのものの形成は主題とはなっていない。
階層形成を含む自己組織化の仕組みを入れるかどうかで、現象学には第一の分岐点が生じる。というのも還元を極限的に遂行できるかどうかではなく、さらにどのような還元が必要とされるかが問われてしまうからである。還元は、基本的には余分なものを剥ぎ取り、みずから自身の内で働くものを内視をつうじて取り出していく遡行的手続きである。だがこのことが実行されうるためにはその前史が比較的なだらかにつながっていなければならない。この保証がない場面が、第一の分岐点となる。メルロ=ポンティは、この場面で事象の出現に触れながら、事象の組織化の仕組みに進まず、「可能性の条件」という根拠関係による配置へと転換してしまっている。だが物は自己領域化し、生命は自己個体化し、人格的精神は自己固有化する。そうした組織化の作動に寄り添うように遂行される還元は、すべて課題として残っている。この場面では、それぞれの組織化に寄り添う経験の進行が、まさにそれじたい世界内の不連続点になるように進行する。経験そのものの形成が同時に進行するような還元が必要となる。
さらにこうした自然の議論は、ハイデガー系譜の「存在」の問題系を引きずってもいる。そして存在者の認識ではなく、存在そのものに出会うことの経験と同じ質の経験を自然論に見出そうとしている。眼前になにか個物があるとき、それが何であるかは多くの場合ただちにわかる。花瓶であったり、置物であったり、武器であったり、あるいは治療器具であったりする。それが何であるかと同時に、それが在るということも同時に気づいている。何であるかとは独立に設定できる「在ること」が、存在者(個物)の存在である。ハイデガーの最初期の解釈学的循環で言えば、或るものは何かとしての意味の投げ入れのなかで先行的に捉えられていなければならない。この先行的に捉えられているものこそ、或るものの存在である。メルロ=ポンティは、このタイプの議論を比較的素直に引き継いでいるように見える。実際、さまざまな考察で、副次的に活用してもいる。
存在そのものが得体のしれない深さを持ってしまうのは、実はまなざしのなかにおいてである。まなざすことの基本は、それが向かっているものが何であるかを知ることである。そして対象を知るという働きを行いながら、同時にそれが在ることに気づいているのである。気づきは知ることではない。気づかれている現実を直接知ることに接続するようにして、存在を理解しているために、存在はそれじたいとしては全貌が明らかにならない基底のようになってしまう。こうしたとき、哲学のなかに語彙と道具立てがまったく不足しているのではないかと考えた方がよい。経験を狭く設定し過ぎているのではないかと考えてみるのである。
いま真っ暗闇の場所を歩いていく場面を考えてみる。視界一面はただ暗闇である。だが足もとに何かが在るということに気づいている。この場面では、この何かとその周辺に注意が向いている。それが何であるかはわからない。だがそこに何かが在るということには注意が向いている。注意は、現実をそれとして成立させる働きであり、成立した現実が何であるかを知る働きが知覚である。注意による現実の成立がなければ、そこでの理解も起動しない。ところで何であるかはわからなくても、その在るものの手前で歩行を止めたり、それを迂回したり、それを跨ごうとすることもできる。なにかが在るという場合、それを知るとは別に、動作で対応することができ、動作でのかかわりを組織化できる。暗闇のなかでは最終的にそれが何であるかはわからないままになる。在ることに対しては、動作によるかかわりで捉えるべきことであって、在ることはそれを基礎にして知覚が遂行されるような存在者へのまなざしの前提ではない。
またかりになにかが在るという場面から、「在ること」一般への飛躍があるとすれば、それはただ解釈者の頭のなかで行われていることである。実際にハイデガーは言語への翻訳を行い、言語のもつ一般化機能を暗に活用しながら、意味として存在を一般化している。だが言語をつうじた存在意味の理解は、文学的な個別存在論であって、そこから基礎存在論が成立する保証はなにもない。存在者の存在という議論は、注意、気づき、動作のような行為レベルの体験的事態を捨象したために起きている、人為的な擬似問題だと考えてよい。実際のところ、存在者の存在の感触は、ぶつかったり、撥ねかえされたりする触覚性の体験から成り立っている。触覚をまなざしを中心とした知ることに接続したとき、なにか届かない深淵が人為的に出現する。まなざしには、そこに統合できない触覚性の感触がつねにともなう。
メルロ=ポンティが踏み出しているのは、身体を含めた自己、および世界とのかかわりのなかに、まなざしとともに身体動作のかかわりを導入していくことであった。みずからの存在にかかわる決意的態度ではなく、物や世界にかかわる動作に焦点がある。世界のなかに知覚が出現するや否や、身体の大半は視界から消える。にもかかわらずこのまなざしには身体動作の内実が浸透している。そのことの内容は、まなざしの限界点でまなざしに含まれている事態を取り出すような語りとして、断片的に繰り返し晩年の草稿に登場している。「物と私の身体との関係は、まったく特異なものなのだ。時として私が単なる見かけを超えられずにいるのはその関係のためであり、また時に物それ自体に到りつくのも、その関係によってなのだ。・・・世界への到達は、世界からの後退の裏面にすぎず、また世界の欄外へのこの後退は、世界に入っていく私の自然的能力に依存し、その能力の別な表現だとでも言わんばかりなのだ。」[4]「身体の自分自身に対するこの反省は、きまって最後には失敗する。私が右手で左手を感ずるやいなや、それに比例して、私は左手で右手に触ることを止めてしまうからである。・・・私の身体が知覚するのではなく、身体は、いわばそれを通して露わになる知覚の周辺に組み立てられているようなものだからである。身体は、その内部の手筈をすべて整え、その感覚-運動的諸回路や、運動を統御したりやり直したりするさまざまな帰路を通して、いわば自己知覚に備えるのである。」[5]
こうした記述は、現象学の豊かさだと言っても現象学の貧困だと言っても、ともに同じ限界に突き当たっているような事態をくっきりと際立たせている。というのも身体と世界とのかかわりを捉えようとすると、身体は動作するものである以上、この動作を世界内の対象化された事実として記述するよりない。だがそれが伴っているまなざしそのものはつねに世界の境界にある。[6]またそのことによっては意識が世界へとかかわるような主観性以前のかかわりの分析レベルには到達することができない。逆に動作をいくばくか意識に類似した主体性として記述しようとすると、意識になぞらえて身体を記述してしまうことになる。実際こうしたことはメルロ=ポンティの多くの著作で起きていることである。
意識と世界とのかかわりには、頭の向き、眼の向きを含めた身体動作がつねに同時にともなっているはずだが、こうした動作はまなざしとともに二重に進行しており、まなざしからそれとして語ることはできない。ここにも分岐が生じる。この第二の分岐は少々荒っぽいものである。現象学の記述様式によっては、まなざしにつねに同時にともなう動作は語ることはできず、不本意とも思える大幅な拡張が必要となる。この場合、現象学はそれじたい単独で成立する方法的な立場であることを止め、みずから自身を世界内でもっとも有効に活用する仕組みを模索することになる。[7]他方、現象学のこの限界を抱えたまま、なお方法的な改良にみずからを制約するとすれば、限界においてかろうじて語りうることを語ることに留まることになる。ここに際限のない曖昧で豊な記述が紡ぎだされることになる。つまりメルロ=ポンティは、多くのものがそれ以上前に進めず、ただ言葉を反復するしかない場所で、まるでそこが故郷であるかのような見事な比喩を紡ぎだす才能を持ち合わせていたことになる。
自然の問題と並んで、中・後期に繰り返しテーマとなっているのが、身体と触覚の問題である。ここにも別の理由で曖昧で豊な記述が出現する。自分の左手に触れている右手を描くさいに、左手に力点を移動させれば、右手はそれじたいで触れられていることに気づくことがある。手はそれじたいで変わっているわけではない。だが触れていることに気づくのである。この事態を、メルロ=ポンティは「私は、触れている私に触れる。」ことだと言う。そしてそのようにして、「私の身体は、一種の反省、自己による自己の把握、一種のコギト、主観の作用を実現する。だが、それは感知されうる主観であり、この主観はいわば空間にはめ込まれており、自分自身と内的に結びついた――あたかも空間が自分自身を認識しはじめるかのように――大きな延長の一部なのである。」[8]
 身体にかかわる記述の典型的な個所である。こうした微妙な言い回しは、メルロ=ポンティの特質である。身体についてどのように語ろうと、それは語るもの、まなざすものの刻印を免れることはできない。それは認識の本性に含まれているものである。だが現象学であるかぎり、事象は認識によって構成されるのではない。どこまでも事象は現れるのであって、現われは体験的行為レベルの認知に対応している現実である。眼前の現れを前にして、誰しもどこまでが意識でどこからが現れであるかを問うことができる。だがそうした区別は成立しないだけではなく、そうした区別を行おうとすることが事象に対してまるで筋違いであるように、現れは成立している。主観性に対して、意識によってそれを構成するほどの隙間のない事態が、現れである。この現われを主題として設定したことが、現象学の最大の利点である。この場合、事象を意識から構成されたものだとすると、ただちに認識論まで後退していく。
ところで身体という領域では、身体は身体の現れとは異なる。身体のかなりの部分は現われとしては出現しない。だが身体はそれとして感じ取られており、それとしてみずから動く。さらになによりも身体は意識とはまったく異なるある種の能動性として、それじたい意識からは隔たりがある。ここでの問題は、意識の志向性とはまったく異なる身体の能動性をどのようにして捉えるかである。そこに身体に本来的な「自己運動性」が出現する。メルロ=ポンティは最晩年に、この事態に微妙なかたちで何度も触れようとしている。
もう一つ大きな問題がある。触れている自分に触れるということは、はたして意識の反省に類似したことなのだろうか。意識を意識することは自己意識である。見ることを見るというのは自己視であり、すでに少し比喩的である。というのも見ていることを見るという場合、見ていることを外から対象化するようにして観察するか、見ていることをその内部で一部を内視するかである。もう少し動作要素を多くしてみる。音読している自分を意識することはできる。では音読を音読できるのだろうか。同じようにして、呼吸することを呼吸する、歩くことを歩く、食べることを食べるというように言葉を再帰的に活用すると、これらが何を意味しているのかが分からなくなる。つまり動作が含まれる事態には、意識に典型的な反省に類似したことは起こりようがない。反省は、意識もしくはまなざすことに特殊な事態だと考えておいた方がよい。すると触れることに触れるという事態は、いったい何が起きているのか。「われわれの述べたところに従えば、おのれに触れ、おのれを見るということはおのれを対象として捉えることではない、それはおのれに開かれてあること、おのれへと向けられている(ナルシズム)ことなのである。」[9]このメルロ=ポンティの記述は、まさしくそれじたいが限界となった一種の隠喩である。そこに立ち入ると何かが語られているが、そこからはすでに一歩も進みようがないのである。
 まなざすことでは、知る-知られる、見る-見られるという対となった隔たりと、それの反転が起きる。だが身体は、そのタイプの能動でも受動でもなく、また触覚性感覚はつねに同時に動作をともなう以上、知る-知られるという圏域を作動するのではない。触覚は、まなざすこととまったく異なる仕組みになっている。ここに第三の分岐が生じる。

2 分岐以降

ここでは触覚と身体だけに事柄を絞ることにする。そして現象学にとっては、不本意なほどの変更を加えながら進もうと思う。というのも現実に起きている事態をどう捉えるかが課題となっており、現象学という観点や視点を死守することが課されているわけではないからである。触覚は、まなざしとはまったく異なる仕組みで作動する。ここでは現象学を最大限活用するための工夫が必要である。その一つが形成運動に寄り添う気づきである。身体にかかわる認知の九割は、触覚性の働きである。[10]何かに触れるとき、触覚は触れている物の感触、ざらつき、温かさ、硬さ等を感じ取りながら、触れている自分自身を感じ取ってもいる。まさに前側に力をかけながら物に触れる自分の身体を感じ取っているのである。身体動作をともなう触覚では、触れている先の物の知覚と、触れている身体の感じがつねに同時にともなうように進行する。こうしたことがかりにまなざしで起こるとすると、眼で見ている眼前の物について、物を知覚すると同時に、物において自分の眼を感じ取るようなことが起きることになる。
どうしたわけか、メルロ=ポンティには、最晩年にいたるまでこうした問題意識がなかった。精確には、こうした感触をすでに掴んでいて比喩で語ってしまっていたために、問いとして設定することはなかった。まなざしは、ノエシス-ノエマ(意識極-対象極)を基本としており、メルロ=ポンティはこの仕組みの限界と極の反転まで追い込んでいる。だが触覚性の知覚は、そもそもノエシス-ノエマ型ではない。それはこの型のもとで受動性を極限的に強調したり(たとえばレヴィナス)、受動性に運動を継ぎ足すようなこと(たとえばギブソン)では、解消されない事態である。
触覚の場合、触れている物を感じ取る場面と、触れている自分の身体を感じ取る場面で、言葉としては同じ「感じ取る」「感じ」というような語を使用せざるをえない。これらは体験としてはまったく異なる事態もしくは活動であるが、使い分けるための適切な語がない。ドイツ語やフランス語のように再帰動詞があれば、物に触れる場合は、みずからにおいてその物に触れるという語形になるために、言葉の上でも区別しやすい。
また触覚の場合、たとえば物の手触りを感じ取る場合でも、指もしくは腕の動きがともなっている。いっさい運動動作をともなわない触覚はない。だが運動があれば触覚が生じるというわけではない。少なくても運動が原因で触覚が引き起こされるわけではない。極端に冷たい物体に接触すれば、感覚そのものが麻痺することがある。さらにたとえば暗闇で頭上の物体を手探りで取ろうとすると、伸ばした手の伸びの感覚(延長覚、位置覚、運動覚等)によって、同時に空間的な距離を感じ取るようなことが起こる。つまり身体運動性の度合いが、同時に距離の知覚の成立でもある。運動そのものは知覚でなく、そもそも両者は質を異にする。それぞれは二重に作動する。だが運動のさなかの運動性感覚と知覚の間には変換関係がある。身体運動することがすなわち同時に認知である。こうした事態を表わすよい言葉が、哲学にはない。そこでロボット工学から借りて、「触覚性力覚」と呼んでおく。触覚性力覚は、動作がつねに同時に一つの知覚であるような事態を表わしており、メルロ=ポンティではいまだ課題として設定できていないものの一つである。
このことの延長上に、いくつかの補助的項目がある。路上を歩くさい、足の裏の触覚で地面を捉えている。しかし地面の細かな起伏を捉えようとして、足の裏全域で一つ一つ地面を感じ取ろうとすると、その途端に足は止まり、動けなくなってしまう。触覚の場合、触覚的感知を全面化すれば、まさにそのことによって運動が失われる。とすると運動性の維持のためには、触覚は必要に応じて、多くのものを無視しなければならない。触覚は、知性を本分とするのではなく、多くの場合運動の維持のための必要な手掛かりを得ているというのが実情に近い。その意味で触覚は、理論知(テオリア)ではなく、むしろ実践知であり行為知なのである。そこで触覚の定式化を行う。

物の特質-触知・運動感-内感(気づき)---遂行的イメージ---外感(主に視覚)
-触覚性力覚-内感(気づき)-運動性イメージ---

この定式化を、視覚に典型的なノエシス-ノエマと比較してみれば、異様なことがすぐにわかる。複雑であり、さまざまな働きと連動している。物の触知は、物の特質を知るとともに、自分自身すなわち触れている身体を感じ取ることと同時に起こり、多くの場合それは身体運動感(キネステーゼ)をともなっている。またそれは自分自身の身体の内外の区分にもなっている。触覚性の働きでの内感は、自分自身を感じる/感じないという区分をつねに行っており、かりに足に痺れがくれば、この足はたとえ自分の足であっても外である。身体の内外区分をつねに行うようにして、内感はみずからをそのつど形成する。こうした内外区分の仕組みを備えた理論構想は、いまのところスペンサー・ブラウンの代数学とオートポイエーシスだけである。これらの構想がもっとも威力を発揮するのは、触覚的世界である。
境界形成は、基本的に触覚-運動系の働きである。かりに重度の脳性麻痺で、本人自身で自分の身体の内感が形成できない場合には、外から人為的に境界を作ってあげることが必要となる。外から一切の圧力をかけず、触れるか触れないかの状態で身体に外から境界を作る。そのことによってはじめて内的なものの区分が進行する。人工的な外に対して内を形成できれば、そこから内外区分が進む。内外区分が進行し、細かな身体の形成が行われるためには、原初の「閉じること」が必要である。これが原初の領域化である。これがなければ自己の形成はほとんど進行しない。また片麻痺の患者は、爪先立ちで歩くことがしばしばある。爪先と踵を同時に着地すると、足の感覚が消えてしまうことがある。つまり当人にとって足がなくなってしまう。身体の一部を面として環境に触れると、局所に筋緊張が発生して内感が消えてしまう。この場合、面としての身体の境界を形成することが必要となる。筋緊張が発生する前に、足に注意を向ける。それによって幾分か反射反応を抑制できる。この状態で面として環境に触れ、面として感じ取る触覚の形成が必要となる。言葉では簡単そうに見えるが、これはリハビリの難題の一つである。最初に爪先と踵の二点で内感を形成しようとしてみる。ところが注意の本性で、二点を同時に焦点化することができない。すると注意を向けられないまま、どちらかの内感で対応してしまうか、二点を感じ取ってそのまま身体が消えてしまうということが起きる。身体は通常面であることを自明化しているが、それじたいは高度な触覚性感覚である。面としての身体の一部を力点化し、他の分を潜在化する。力点化の位置を交互に交代させる。それが動作である。なだらかな動作のためには、面としての身体の形成を欠くことができない。
またそのさいには運動感そのものに気づき(アウェアネス)がともなっている。気づきは、運動を速めたり遅くしたりするような制御・調整機能であり、反省に類似したものではまるでない。この気づきをつうじて触知がさらに繊細になる。陶芸家のような職人が細かな指先を形成し、中枢性疾患の失行症患者が改めて細かな指の動きを形成していくのは、この気づきを介してである。動かない指を見つめて、「私の指は、動こうとしない」「指よ、動いてくれ」といくら呪文のように反省をかけても、指は動くようにはならない。動くということは動きのさなかで感じ取られ、気づかれた運動感や内感を制御・調整することをつうじてである。
内的に感じ取られている身体は、そもそも現われとしての身体とは異なっており、この感じ取りは通常は身体内に潜在化し、消えている。かりに胃や肝臓や性器がつねに前景化し、四六時中感じられていれば、すでに病気である。内感は、なんらかのきっかけで起動し、前景化して制御・調整に関与する。その内感が潜在化し、不透明な厚みとなったものが「肉」である。肉とは触覚的内感の潜在態であり、同時にそれじたいで領域化したものである。身体は、内感として感じ取られることによってまさに存在し、肉は意識にとって限りなく表面に近い無限の深さである。
内感や触覚について、メルロ=ポンティは「幼児の対人関係」で何度か触れている。[11]発達心理学者のワロンの著作の読みをつうじて、「内受容的身体」や「触覚性身体」に触れてもいる。だが分析の道具立てが不足しており、それらを展開するだけの回路は見いだせなかったというのが実情である。内受容的身体は、感じること、内外の区分を行うこと、気づき調整すること、そしてイメージと接続すること、さらには体性感覚(尿意、便意)、体勢感覚(姿勢、バランス)、各種力覚を基本としている。またそこでは内受容的身体と外的知覚された身体の変換関係についても、鏡像身体に関連して記述を試みている。この変換関係は実のところ繰り返し断ち切られては形成されなければならない。というのもデパートの洋服売り場で、自分の全身像をみて愕然とすることはしばしばあるからである。感じ取っている内受容的身体に変化がなくても、知覚されている身体の外形は数か月で激変することがある。
内的に感じ取れられている運動感や触覚性力覚は、それじたいは現われではないが、まぎれもない体験的現実である。それらは感情や情動や痛みに類比的である。この点では、アンリが取り出した現れざる「内在」に近い。[12]現れざるものは通常感じ取られており、現れないことは別段特異な事態ではない。しかも内感は度合いとして感じ取られている現実であり、量として判別されているのではない。つまり内感領域の度合いは、強度的(内包的)であって、外延や量的なものではない。ドゥルーズの強度は、当初世界内での変化率をモデルとしていたが、全面的に当てはまっているのは実は触覚的内感領域である。ドゥルーズ自身もそのことに気づいていて、晩年には潜在性の現勢化の問題を扱っている。[13]
こうした内感領域は、それじたいとして現われではないのだから、表象されることはない。だがイメージと連動している。股間節は、誰も一度見たことがないはずである。だが歩くことのできるものはそれが何であるかをよく知っている。そのとき人体解剖図での股関節をイメージしていたり、なにかの視覚的な図柄をイメージしている。これらは直接見て想起された表象ではない。むしろなにか模式図や地図に近いものである。あるいは植物の枝の二股をイメージしているのかもしれない。イメージは、それじたいでは形にならない内感に連動させることで、内感の作動に手掛かりをあたえるのである。その意味でこのイメージは知覚以外のフィクションを増やすための虚構や仮構ではなく、また死後の世界や本当の自分自身のように、本来知りようのないものに対して物語としての手掛かりを増やしていくようなものでもない。このイメージは内感の作動のための手掛かりをあたえており、その意味で実践的な「遂行的イメージ」である。定式化でこの部分が破線になっているのは、つねにともなっているとは限らないからであり、全力で疾走しているような場面では、イメージをもつ余力さえない。そしてさらに世界へとかかわるさいには、触覚性の働きに視知覚的な外的認知が接続されていることがほとんどである。その部分も破線で表記してある。身体動作は、まさに反復されることによってそれとして存在する。身体や身体運動にともなう認知のほとんどは触覚性のものであり、触覚から定式化するのでなければほとんどの現実を見落としてしまうことになる。
こうして定式化されたものを前にして、多くの現象学者は、これは現象学ではないと言うと思われる。現象学は、体験的行為レベルの現実を明るみに出す手法である。これは精確に言えば哲学の一分野でさえない。発達科学にも認知科学にも社会学にも必要とされる体験的行為レベルの世界を捉えるための手法である。それは、特定の観点から物の見方を教えるような方法ではない。現象学は、経験が進めば、それを足場にしてそこからさらに先の事象がおのずと見えてくるような、ある種の経験の運動である。現象学は、学校教育のなかには組み込まれてはおらず、むしろ自分で工夫しながら前に進む職人や、自分で治療技法を開発しつづけるセラピストの経験のなかに息づいている。その意味で現象学は、残念ながら、それじたい単独で成立する学的方法ではない。
ここでは第一の分岐点で、知ることではなく行為にとって有効な還元の仕方を工夫し、プロセスにおいてまさに立ちあがってくる事象に内在的に働いている感性領域が、調整・制御機能を果たしている点を強調としている。つまり知や知の対象を見出す代わりに、実践的行為能力を見出していくのである。第二の分岐点では方法としての現象学を拡張する方向づけをとり、体験的レベルの行為にふさわしく仕組みを整える手順を示している。有効な行為の組織化に、現象学は内的に寄与することができる。第三の分岐点で、触覚の定式化を試みている。実際、経験の大半は志向的意識が関与する以前に作動し、志向的意識からは何であるか判明しない状態で作動している。ここに多くの補助的な道具立てが必要となる。現象学の本を読んでいれば現象学ができるようになる、というにはありそうにない。現時点でのこの道具立ての最大の候補が、システム論である。事象に固有な経験を形成し、かつその経験を前に進めるために、現象学はそのつどみずからを最大限に生かす工夫が必要である。その一例が、先の定式化なのである。


1、メルロ=ポンティ『知覚の現象学2』(竹内芳郎、木田元、宮本忠雄訳、みすず書房、一九七四年)一〇九頁。
2、メルロ=ポンティ『言語と自然』(滝浦静雄、木田元訳、みすず書房、一九七九年)
3、メルロ=ポンティ『眼と精神』(滝浦静雄、木田元訳、みすず書房、一九六六年)
4、メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』(滝浦静雄、木田元訳、みすず書房、一九八九年)一八頁。
5、同上、一九頁。
6、ヴァルデンフェルス『講義・身体の現象学』(山口一郎、鷲田清和監訳、知泉書館、二〇〇四年)ことに三章参照。
7、河本英夫『システム現象学』(新曜社、二〇〇六年)ことに第三章。
8、メルロ=ポンティ『言語と自然』一六一頁。
9、メルロ=ポンティ『見えるものと見えないもの』三六四頁。
10、カッツ『触覚の哲学』(東山篤規、岩切絹代訳、新曜社、二〇〇三年)
11、メルロ=ポンティ『幼児の対人関係』(木田元、滝浦静雄訳、みすず書房、二〇〇一年)各所。
12、ミシェル・アンリ『見えないものを見る』(青木研二訳、法政大学出版会、一九九九年)
13、ドゥルーズ『襞(ひだ):ライプニッツとバロック』(宇野邦一訳、河出書房新社、一九九八年)
(かわもとひでお、システム・デザイン)

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