創発と現実性――ネオ・サイバネティクスの一回路
河本英夫
現実性はどのようにして成立するのか。現実はそれが何であるかが分かる以前に、それとして成立している。たとえば近所の商店街で、ふと気づくと何度か行ったことのある店が閉店していることに注意が向く。近づいて張り紙を見ると、すでに四週間前に店を閉めていたことがわかる。するとこの四週間の間、この商店の閉店という現実は成立していなかったことになる。このときの注意は、それによってはじめて現実が成立する以上、場合によっては命の危険に直面することになる。見落しとは、一般に取り返しがつかなくなってはじめてそのことに気づくことが多い。こうした注意は、注目や注視とは異なり、それによってはじめて現実が成立する以上「遂行的注意」と呼ぶにふさわしい。
この閉店は、客足が遠のいたことによるのか、店主の高齢化によるのか、資金繰りの悪化によるのか、さまざまな観点からこの現実の説明を行うことができる。つまり現実性についての捉え方は、さまざまな観点から行うことができる。これが現実性についての認識であり、この認識の仕方の諸前提を解明すれば認識論となる。認識はつねに成立した現実に遅れ、その分だけ現実との隔たりがあり、それによってつねに別様にも考えることができる。すなわち観点の選択性をともなっている。このことは認識論が、眼鏡を通して世界を見ることに喩えられる理由である。この眼鏡に相当する認識の諸前提の一式を解明したのが、カント、新カント派による認識論である。
さらに張り紙の内容である「誠に勝手ながら、諸事情により閉店します」という語やその書体にも、閉店前後の事情を察する手掛かりが含まれている。これらは現実についての理解であり、張り紙や閉ざされた玄関から感じ取られた先行的予期としての雰囲気を巻き込むようにして、さらに詳細に事情が理解される。この先行的予期の投げかけと、それをもとにある種の循環を実行しながら遂行される理解が、解釈学の基本的経験である。ところがどのような認識論や解釈学を取ろうとも、認識や理解が成立するに先だって、現実性そのものが成立していなければならない。現実性の成立は、大袈裟に言えば生存を掛けたほどの実践的注意が関与しており、それを見落とせば時として取り返しのつかない事態が生じる。こうした注意は、実践的行為として行われており、行為として世界とかかわるさいの自己と世界の組織化のもっとも基本的なところに関与している。
このとき一つの虚構がすでに崩れている。それは認識をつうじて世界を知り、いわゆる客観的世界についての認識の成立をまって、はじめて行為としての世界とのかかわりが誘導される、という認識論にとっての自明の前提である。これはほとんどありえない虚構である。ヨーロッパに発する数々の学問論は、学問論の本性上世界を正しく知ることに力点を置いている。すなわち真偽の判定が可能であることを出発点に置いている。そして正しく知って後に、行為が誘導されるのである。こうした事態はかりにあるにして、ごく稀なことであり、例外的な局面か一種の倒錯である。むしろ行為はつねに世界とみずからのかかわりを組織化しようとしており、同時にみずから自身の遂行のさなかで、みずからを組織化しようとしている。そうした組織化のもっとも有効な手掛かりが、認識であり理解である。これは行為論から再編される基本的な事態である。だが行為がみずからと世界とのかかわりを組織化しようとするとき、すでに実践的行為と密接に結びついた「認知行為」が遂行されているはずである。その典型例が、さきの「遂行的注意」である。こうした認知行為のカテゴリーはいまなおそれほど解明され、整備されているわけではなく、むしろ主題にさえなってこなかった。カントのように認識的世界と実践的世界を別個に構想するのであれば、そもそも課題にさえなりようがない。こうした「現実性」という体験領域に至る歩みと、そこに踏み込むための手順について述べておこうと思う。それは部分的にネオ・サイバネティクスの一つの道筋を明らかにすることであり、そこに含まれた課題をさらに展開することでもある。
1 何が課題であったのか
1983年6月に、総合雑誌『デルフィン』(イルカ)がR.ラッシュとS.J.シュミットにより創刊された。ユルゲン・ブレナーが共同編集者として参加している。この創刊号は、70頁ほどの小規模なパンフレット雑誌の体裁を取っている。条件を整えてから雑誌を開始したのではなく、ともかく開始することがまさに一つの事件であるかのように開始されたのである。冒頭には、「現実性はどのようにして出現し、どのように変化していくのか・・・学問はどのようにしてみずからの神話を失い、あるいは信用するに足るものになるのか・・・芸術はどのようにしてみずからの語りを学び、そして忘れていくのか・・・哲学はどのようにして出発し、帰り着き、そしてみずからの棲みかを失うのか・・・建築はどのようにしてつねに新たな「内」と「外」を読み解くのか・・・新たに出現した現実性は、どのようにして、矛盾し忘れ去られた概念の結合から作られるのか・・・そしてこうしたプロセスのさなかで構成主義的思考は、現在の社会で、いったいどのような役割を創造的で休むことなく果たすことができるのか。」[1]現時点で読めば、これらはいささか気負った文章である。だがそれでも課題の所在は精確に掴んでいる。新たに出現し、新たに出現しつづける現実に対して、どのように対処するのかが主要課題となっている。
編者の一人が執筆したいと思われる最初の論文では、自己組織化やオートポイエーシスによる現実感の変遷を受けて、認識そのものも変化しなければならないこと、それ以上にそのために必要とされる論理や認識論さえ組み替えなければならないことが明言されている。この組み替えられた認識論が構成主義であり、後にグラーザースフェルトの命名を受けて「ラディカル構成主義」と呼ばれるようになった。[2]1982年には、マトゥラーナ、ヴァレラの『オートポイエーシス――生命システム論とは何か』のドイツ語訳が公刊されている。ドイツ人であれば英語は初等教育に組み込まれ、当然読める。英語の原著のままでもマトゥラーナ、ヴァレラの著作は読めたはずである。一般にはその通りである。だがこの著作は、どの言語であっても簡単に解読することはできない。マトゥラーナ、ヴァレラの母語はスペイン語であり、彼らは慣れない英語で、しかも一般に人間の言語を用いたのでは容易には表現できないことを表現しようとした。[3]
この著作の分かりにくさのなかには、今にして思えば、人間の言語一般の限界が含まれ、記述を追跡すると言語の限界につねに突き当たるように作られている。そのためそこから出発するものは、つねに断片を語ることにならざるをえない。そこにはそうした言語的認識そのものの限界がある。なにか新たな現実について語らなければと思いながら、それでもなお断片を語ってしまうような内在的欠落を、いやおうなく含まざるをえないのである。そのため本性上語り足りていない表現がいたるところで頻用されている。「個々の記述の論理は、記述するシステムの作動の論理と同形である。」「個体の現象としての認知は、認識するもののオートポイエーシスにもとづけられている。」「認識とは必然的につねに認識するものの個体発生の反映である。」「生命システムとして、私たちは個々のオートポイエーシスの閉鎖性のなかでまったく孤独に存在している。」これらは、マトゥラーナ、ヴァレラの著作から、ともかくも幾分か理解でき、かつなにか既存の知識には解消しようのない現実に触れた感触を表している。これらは当時の認知科学、脳神経科学の進展を受け、認識論そのものの再編と新たな語りが必要だと感じ取っていた彼らにとっての宣言だったのである。ここにはいくつかの大きな柱がある。
主観性そのものの構成 第一に、認識は外界、環境世界、対象の再現ではない。認知科学的には外界の刺激は、一説によると98%はただちに廃棄されている。つまり外界を映し取ることが認知の課題でない。だがその限りでそもそも認知とは何を行っていることなのかが問われる。しかもここからは多くの選択肢が出てしまう。さらにこうした課題の場合、選択によっては、まさにそのことによって行き止まりになる回路は、過去にも現在でもそして未来にも数多く敷設されていると思われる。(a)認知が外界の情報を受容してそれを再現するのでなければ、むしろ受容する側の主観性が、それ単独でさまざまな認知的像を形成しあるいは構成する。このタイプの構成説は、カントに半ば見られ、カントでは像(表象)の質料性は対象側から受容され、それを主観性がさらに加工していくことが認識論の仕組みになっている。受容された感性的質料と構成する能動的悟性の組み合わせで表象ができあがる。この受動と能動をともに取りこんでいる点が、哲学史上、カント哲学が経験論と観念論の統合と言われる理由である。この感性と悟性という異なる能力を結び付けるのが、「統覚」である。この場面で、さらに感性的質料さえも主観性が作りだすという方向でドライブを切っているのが、新カント派である。芸術的創作やイメージによる造形を認知的働きの主要な場面とする限り、受容する感覚刺激はほとんど問題になりようがない。このとき対象をどのように認識するかではなく、現実性がどのようにして構成されるかが主題となる。この局面でもすでに、認識主観から対象がどのように捉えられるかは、問題の焦点から外れている。すなわち主観-客観体制のもとで、主観性(内的なもの)が対象(外的なもの)をどのように構成するかではなく、そもそも現実性がどのようにして出現するかが主要な問いになっている。精確に言えば、これは主観-客観体制のもとで、主観性の構成能を極限的に強調したものではない。かりにそんなことであれば、伝統的な独我論の新たなヴァージョンに留まるだけである。
(b)そもそも主観性による現実性の構成が主張されるとき、現実が主観性によって構成されることだけが問題になるのではない。むしろ主観性そのものがどのようにして成立したのかが問われる。ここで主観性そのものの自己構成という問いに行きつく。そしてこれは言葉の見かけ通り、背理を含んだ問いである。主観性がみずから自身を構成する限り、最初の主観性はどこかで担保されていなければならない。だがすでに主観性があらかじめ設定されているのであれば、それはもはやすでにある主観性がわずかなりとも変化するだけであって、主観性そのものが構成されるのではない。ここではすでに「構成」という述語(動詞)がもはや狭すぎることがわかる。この局面では、主観性という現実がどのようにして出現してきたかが主要な問いとなっている。つまり主観性そのものの自己組織化への問いである。この問いじたいはカント、新カント派にはない、新たな問いである。
一般に認識を生の働きにまで遡り、生への利害から知や認識を考察する議論であれば、実は歴史はかなり古い。最近ではニーチェがこうした議論を試み、道徳や善悪の区別の成立をみずからの生を引き受けきれない人間の脆弱さから導いていた。それを受けてフーコは、人間の実践的、行為的な働きを制約する歴史的条件を解明していた。これらはいずれも認識の自己反省によるみずからの前提への解明ではない。むしろ現在の意識そのものが成立している基層で、すでに働いてしまっている生や知の枠取りを問題にしていた。つまり現実性そのもの認識の考古学がなされていたことになる。ただこの場合、生の利害調整からは、認識や心情のモードは実は一つに特定できない。必要な条件を組み替えれば、人間の脆弱さからは、科学技術も市場経済も成立してくるはずである。
主観性そのものの成立は、なにか別様の手掛かりを活用するのでなければ解けないような大問題である。そしてこうした問いへの解答をめぐって、もっとも有効なモデルケースの模索がなされた。そのさいに手掛かりの一つとなったのが発達心理学である。知能の形成についての経験科学であるピアジェの探求をモデルとして、主観性そのものの成立をモデル的に構想しようというのである。[4]発達心理学をモデルとするさいには、「何」の発達を描こうとしているかが、要となる問いである。情動や情感の発達なのか、身体運動の発達なのか、あるいは脳神経の発達なのかが最初から構想の分岐点になっている。ピアジェの場合には、感覚的認知-身体行動の発達段階を捉えようとしている。ピアジェのなかで最良の成果の一部だと思われるものを取り上げる。
ピアジェは、知能の出現に向けて、最終的には六段階の感覚的認知‐身体行動の発達段階を指定している。第一段階は、反射行動のレベルでの反復的な一般化が起きる場面である。乳房を吸う動作が、指、物を吸う動作へと一般化される。反復的動作のモードは、シェマと呼ばれ、動作の基本的なタイプを示している。物に手を触れてただ動かす動作は、物がなんであるかによらず、ともかくそれを動かすのである。これを身体動作と環境とのかかわりで考えたとき、循環だと呼ばれる。循環は環境へのかかわりのパターンのことで、これが第一次循環と呼ばれる。第二段階は動作の獲得の場面で、たとえば眼を動かしてさまざまな物へと眼を向けていくような典型的場面で、注意を向ける動作が出現する。しかし物を対象として見ているわけではなく、特定の物を注視しているのでもない。ここでは見ることは、物に働きかけることと連動しており、この働きかけるために見る動作では、視覚、身体動作の異なるシェマの協応(コーディネーション)が出現する。この局面は、第二次循環である。第二次循環では、動作そのものが複雑になり、動作の獲得が起こる。
第三段階は、関心や興味の向くものを持続的に維持しようとする傾向が出現する。これは物に働きかけるだけではなく、そこに意図の出現が見られ、意図的な操作と思えるものが出現する。また物の同じ状態を再現するために、物のなかから手段や目的に類似した要素の分析が進む。はっきりとした知的操作の局面である。この局面以降、身体行動と環境との関係は、身体動作をつうじて環境の特定の状態を作り出そうとする介入が見られる。またたまたま興味のある物の状態が出現したとき、それを再度作り出そうとする身体行動が見られる。この段階で再現という目的へと向けた手段となる身体動作の組織化が見られる。ここでは動作パターンの一般化であるより、動作の選択と組織化が見られる。第四段階は、状況に合わせて必要な行為を作り出していく段階で、生後8-9ヶ月から典型的に見られる。物を取ろうとしている動作で、手と物の間に障害物を置くと、障害物に関心が移って障害物の方を掴む段階がある。その段階から障害物を取り除く行動が出現して、新たな行動のモードが起きる。この局面で手段と目的に適合性のなかに、ある種の行為の予期が出現していると考えられる。[5]
およそこんな調子である。ここにはピアジェの議論の資質がよく出ている。生命システムの基本機能は、同化と調整である。外界からさまざまな物や事柄をシステムは取り入れる。視覚の形成は、光を食べることであり、光を同化することである。これはゲーテの「眼は光によって光へと形成される」という至言に匹敵する、ピアジェの名言である。こうしたなかにさらに微妙な同化の機能が形成されるためには、システムそのものの調整が必要である。同化と調整という大まかな設定でもかなりのところまで進むことができる。というのも同化は基本的にシステムと環境とのかかわりの組織化を問い、調整はシステムそのものの組織化を問うものである以上、もっとも基本的な局面が取り出されているからである。
システムの発達から見たとき、ピアジェはまず要素的能力が獲得され、それらが高次の能力の一部に組み込まれて、構造的なネットワークを成すという前提をとっている。これは一般的に見て単線的発達像をあたえる。この要素-複合、ならびに構造的ネットワークの形成が、構成的な手法だと呼ばれる。要素的能力の複合が「構成」という語に託されているのである。これは現時点でみれば過度に単純化された機構モデルである。システムの生成について語ろうとする限り、ピアジェにはいくつか欠落しているものがある。新たな能力が形成されるさいには、既存のものを組み込んで再組織化されるはずである。この再組織化の仕組みが実はもっとも緊要である。つまり「調整」と呼んだのでは、主題化できないテーマが多くなりすぎる。同化を介さずとも、システムの内部で再組織化が進む事例はいくらでもあるからである。また主体がすでに前提されていて、その主体がさまざまな能力を獲得していくという図式になっている。ここでは主体そのものがどのようなものであるのかという問いや、主体が存在するとはどのようなことなのかの問いが、語られることもなく傍らを通り過ぎられてしまう。ラディカル構成主義は、新たな課題を立てている。だがまさにそのことによってみずからを五里霧中状態に置くことになった。それが実情に近い。
体験的行為 第二の柱として、認識や認知以上に体験的行為や体験的な生に力点が移され、体験的現実への回路を付ける課題を前面に出していることである。システムの本性は、部分-全体関係でもなく、階層的な統合でもなく、むしろそれとして作動することである。みずから作動することはたんなる運動ではない。作動はつねにプロセスのさなかにあるが、たんなるプロセスではない。作動には、同時に認知がともなわれているが、認知から制御されているのではなく、また認知に誘導されるのでもない。つまりどのような意識的な意図や目標設定であっても、行為を決定するものではない。少なくても行為を目的と関連付けるアリストテレスの構想は、過度に簡略化されたものである。また行為はそれが遂行される環境条件によって決定されはしない。むしろ行為は、みずからを生み出す。こうした行為のモードがオートポイエーシスの定式化にきわめて類似するのである。そのさいに介在する認知は実践的認知であって対象を捉えるようなものではない。しかも作動という述語(動詞)には、体験的行為にふさわしく、それじたいを対象化し観察することのできる「操作的認知」から、みずから自身を作りだすほどの底なしの行為まで幅広い隔たりがある。
哲学や思想が限界に来たとき、あるいはそれらに限界を感じ取ったとき、繰り返し「行為」や「活動」や「生」が語られてきた。というのも行為も生も活動も、それとして観察することはできず、プロセスをつうじて現れてきたものを介して、かろうじて認識できるだけである。だが間違いなく、現れるものの手前に何かがある。フィヒテが知識学を構想したとき、認識主体と実践主体の共通の出発点として、自我を指定した。これは日常感じ取っているような「自分」というようなものではない。こうした自分は社会内で形成され、社会のなかに配置される装飾のようなものであり、フィヒテの自我とは関係がない。むしろ社会内でどのような自分が形成されようと、それがまさに自分であることの手掛かりをあたえ続けるものこそ、フィヒテの自我である。自分自身がどのように変化しようと、それなしではすますことのできないようなものこそ、この自我である。この自我は、無からみずから自身を生み出すような「働き」であり、初期の『全知識学の基礎』でこの働きの中心をなすのが、「設定すること」(定立すること、措定すること、セットすること)setzenである。本来働きである自我は、みずから自身を定立する。定立する自我と定立された自我は等しく、この等しさはまさに意識そのものの根底にあって、意識を可能にしているある種の原理の表現である。この原理こそが、事象と行為がひとつになっているという意味を込めて「事行」と呼ばれるものである。
こうした哲学の仕組みは、実はさまざまなかたちで変形をかけながら表記することができる。働きは、みずからを組織化して自己となり、自己とは働きの一つの表現である。働きは、まさにみずからに関与することによってそれとしてみずからをセットアップする。働きは、まさにみずからを制約することでそれじたい客体となり、産出的働きはみずから自身を直観するためにみずから客体となる。この最後の言い換えは自然哲学期のシェリングのものである。いずれも「自己言及」と呼びたくなるような性格を備えている。精確に言えば、自己言及と呼んだのでは、多くの工夫された仕組みが語られることもなく傍らを通り過ぎられてしまう。自己言及という語は、現在では一つの粗い総称である。働きとしての自己関係づけが起きるさいには、自己関係づけのそのつどの場面で、自己そのものは変容していく。そのため本来自己が自己に関与するという事態は、実はプロセスのさなかで起きている連続的な自己の更新に対して、圧縮をかけて取りだした影のようなものである。
フィヒテによって提示されたこうした自己活動性の仕組みは、それでもまだ経験科学的な探求のモデルにするには足りていない。これは哲学の仕組みではあるが、経験科学でモデルとして活用するためには、いまだ何段階もの隔たりがある。その不足部分を埋めてくれるのが、自己組織化のさまざまな仕組みであり、とりわけオートポイエーシスの機構だったのである。ラディカル構成主義は、システム的な自己を語るための新たな道具立てを実際に手にしていたことになる。それは従来の経験と記述の枠では語りようのないものだった。自己の境界の出現や、個体性、世界の非対称性の語りを変えていくものだったのである。だが事態は、こうした行為論的なドイツ観念論の本流の議論をさらに展開する方向へは進まなかった。ラディカル構成主義にとって、行為を語るには彼らの経験は、いささか深さの感覚を欠いていたように思える。
創発の科学 第三の柱として、ラディカル構成主義が手にしており、時代的には広範に共有されていたはずの創発の機構の問題がある。創発はそれまでにない質を備えた新たな事象がおのずと出現してくることである。ただし酸素と水素から水ができるような場合には、ほとんどの確率的頻度で水ができる以上、この事態を創発とは言わない。むしろ新たな変数が獲得されたり、新たな次元が出現することが、創発の必要条件である。創発の事例や仕組みは、当時の自然科学系文献で重要な系列になっていたはずである。そしてこの創発においてこそ新たな現実が出現してくるのである。創発の仕組みには、系に内在的な偶然や不確定性、さらに系そのものの無根拠性がつねにともなっている。だが新たなものの出現に比べれば、系内に内在するゆらぎやノイズや不確定性は、実は小さな問題である。そのシステムが十分な持続性を備えているのであれば、ゆらぎやノイズはたとえ内在的に含まれているにしても、大半はシステムの作動のさなかでかき消されてしまう。かりにゆらぎやノイズをきっかけにして新たなシステムが形成されたり、新たなシステムが分化する場合であっても、そこにはゆらぎやノイズには帰着できないプロセスとしての仕組みがあるはずである。
実は創発性を問うというのは、探求の課題やターゲットを変えてしまうことでもある。カオス理論や自己組織化の構想は、世界の根本法則を極めるというよりも、どのような現実が出現するかに力点を置いている。たとえば鉄を磁化すると、分子が一定の方向に並び極性が生じて、物をくっつけるようになる。磁化した鉄を熱すると、熱によってこの分子の並びが撹乱され、磁力を失う。ではその中間で、鉄の分子が撹乱を始めた頃、一定の範囲の温度に保つと何が起こるのだろう。この場面では、決定論風に確定した事実を予測することはできず、鉄分子の動きにはいくつもの選択肢が出てしまう。しかもその選択には小さな要因や偶然が関与する。こうした不確定な状態からどのような現実がおのずと出現してくるのか。その場合の生成のパターンを分析しようとするのが、創発系科学あるいは複雑系システム論の特徴である。
ここでの関心は、根本法則で世界を説明するというより、どのようにして新たな現実が出現するかにある。それは現にある世界をもとに、それの基本法則を明らかにするということを課題とするのではない。さらには現にある世界を別様に捉え直し、それまで見えていなかった局面を明らかにすることを課題にするのではない。むしろ現にある世界がかりに別様なものでありうるとしたら、世界はどのような可能性のなかで、現にこうした状態になっているのかを知ろうとしている。そしてそうした可能性が垣間見えるような現象を見出し、そこに含まれる規則性を取りだしたり、その現象が別のものに変わりうる臨界条件を探したり、条件を換えて別の現象を出現させたりするのである。こうした創発系の科学の関心は、世界を説明するというより、世界の豊かさを現実的におのずと出現させることにある。そのため科学者が、アート系、建築系、文学系の人たちと連携して作業することも稀ではない。ここでの共通のキーワードが「創発」であり、創発の仕組みを仮説として提示することが課題となる。だが記述のレベルで、異なる世界観を描こうとするラディカル構成主義にとって、創発性はあまり大きな課題にはならなかったように見える。いわばこの課題に対して、ラディカル構成主義は、異なる力点を置いて進んだように見える。より豊かな現実を出現させることではなく、異なる視点を明示する立場そのものを強調していたのである。
2 どこに分岐点があったのか
ラディカル構成主義が、一つの立場であるなら、それはこの構成主義が掲げた課題のかなりの部分でなお選択肢が出てしまう。あるいは現行の道具立では、本来みずからが望んだようには進めないことを意味する。もちろんラディカル構成主義の位置から際限のない記述を続けることはでき、既存の記述に訂正を加え続けることはできる。だがなおも何かが足りていないと感じられる。この足りていないという感覚には、展開可能性の見込みがそれとして感じ取れないことが含まれている。どのような観点や立場であれ、展開可能性だけに支えられている。このことはいっさいの根拠がなくてもなお前に進みうることを意味する。そこで分岐点を含むいくつかの基本項目について述べてみようと思う。そのときこうした構想内に含まれた新たな論理的カテゴリーを、できる限り明確に取りだしてみようと思う。そしてこうした分岐点の提示をつうじて、さらに何を新たな課題としうるかを明示しようと思う。というのもおそらくネオ・サイバネティクスは、課題のネットワークからなるプログラムであって、説明のための道具立てや立場を主張するための観点ではないからである。
内外区分 「空間が二つに分かたれたとき、宇宙が生成する。単位体の輪郭が定められる。単位体を記述し、創出し、制御することは、あらゆる科学的探求の根底にある。」これはマトゥラーナ、ヴァレラの「オートポイエーシス――生命の有機構成」の冒頭の文章である。[6]この論文ではじめてオートポイエーシスという語が出現し、その定義があたえられた。何かそれとしてまとまりをもつものをイメージする。ほとんど内実を欠いたものでもよい。物が個体であるとき、それを捉えようとすると、それを統一体として成立させる原理が求められてきた。歴史的にこうした原理の候補であったのは、魂、生命力、有機化力等の「力」に類した語である。だが単位体と統一体は異なる。渦巻きや入道雲のような散逸構造は単位体であるが、統一体ではない。連続的に動きつづけていて、動きのかたちは維持されているが、なにかがこのまとまりをささえているのではない。とすると単位体にとっての必要条件は境界を引くことであり、自分自身の動きや運動をつうじて、その動きの継続が同時に境界の形成になっていることである。ここで「境界」という主題が前景化していることがわかる。たとえば細胞の出現を考えるさいには、核もしくはDNAによる細胞の制御を軸にするのではなく、細胞膜の形成から、内外の浸透圧の落差が生まれ、内部の浸透圧によってたんぱく質や核酸の密度分布が変化していくというシナリオになる。
いま大きな空間に線を入れてみる。どのような複雑で入り組んだ曲線でも、どこかでこの線が閉じていなければ、直線に変換可能である。そこで世界に直線を引いて見る。すると世界は左右に分かれるが、この左右は見ている人の位置に依存している。あるいは視点の移動のさせ方に依存している。ここにはいまだ世界に非対称性は出現していない。非対称性は、見ている視点が作りだしている。そこでこうした曲線をどこかで閉じさせてみる。すると閉じた曲線(多くの場合は円で代表象できる)の内と外が分かれる。このとき内から外にでるためには、どこかでこの曲線を超えて横断しなければならない。内外が区分されることは、世界にそれとして非対称性が生じ、置き換え不可能な複数のエリアが出現することである。これが世界の多様化の基礎となっている。閉じた曲線が出現することは世界が際限なく多様化することの必要条件である。
こうした事態を表現する仕組みをもったものとしては、フィヒテの『全知識学の基礎』の原則論で展開される自己設定(自己定立)や、ヘーゲルの『論理学』自然哲学部門のなかの「地球」の項目に先行形態を見出すことができる。だが現行の経験科学に応用可能なものとしては、スペンサー・ブラウンの代数学が典型的なモデルとなっている。ルーマンが多用したのはこの代数学である。この代数学は、円を描いて閉域を作ること、閉域の一方から他方へ移動するためには特殊な操作が必要であること、内外をそれとして指定するためにはどちらかを内として指定する「指示」が必要であること、ひとたび境界を横断したものも、再度境界を横断し直すことで、内外の区分を改めて実行すること(再参入)が骨子となっている。
これは代数学という操作的な科学において定式化される「操作の論理形式」である。そしてこの代数学が、システムは分化しそれとして閉じることのまたとないモデルを提供したのである。これらの道具立てを用いて現実のシステムを記述すれば、それまでには見えていなかった数々の事象を描くことができる。ルーマンの記述は、こうした操作的モデルを応用することで成り立っている。つまりルーマンはシステム記述に新たな形式を持ち込んだのであり、それぞれのシステムに固有の分化するカテゴリーの現実形態を見出したのである。この成果は小さくはない。だがどこまでも形式についての記述であり、システムの認識(観察)の可能性条件を求めるような、ヴァージョンアップされたカント的認識論の枠内にとどまっている。それが操作的認識論(作動認識論)と呼ばれるものの内実である。
さらに現実的に考えてみる。空間に円を描いて、二つの非対称的なエリアに区分を行う。これによって内と外が分かれる。だがどちらが内でどちらが外なのだろうか。これもラディカル構成主義の延長上に出現してしまう選択であり、分岐点である。実はこの問いは、小さな問いではない。というのも空間に円を描いて円と余白を区分したとき、余白を内だと指定してはいけない理由はないからである。円を内だとしているのは、明らかに観察者である。しかしシステムはみずからの作動をつうじて、みずからの領域を区分し、みずからその領域を占めるはずである。ここで示されているのは、スペンサー・ブラウンの代数学の形式によっては、システムの作動の現実を覆うことができないことである。こうした場面の選択肢においては、個々人の現実性のセンスが効いてくる。
システムはみずからの作動をつうじて境界を引き、自己の領域を定める。イメージとしては、円を描くように疾走し続けるものを想定してみることができる。この疾走者は、ただ走りつづけているだけである。この疾走は境界を形成し、内外を区分している。だがどちらが内かを規定することはできない。ということは曲線を引くという操作によっても、それを自動継続する運動の仕組みで捉えても、なお何かが欠落していることになる。
ここでの選択肢の一つは、観察者による操作的認識や自動運動の仕組みとは別に、システムにおいてそうした運動とともに起きている働きを導入することである。細胞の事例で考えてみる。肝臓と筋肉の細胞を一つ一つ分離して撹拌し、しばらく大きめの容器で放置しておく。やがて肝臓の細胞は肝臓の細胞同士で集まり始め、筋肉の細胞も筋肉の細胞で集まり始める。しかもなんらかのきっかけで、一方が中央付近に集まり、細胞集合を形成すると、他方の細胞はそれを取り巻くように集まっていく。これを一つのモデルケースとして考えてみる。するとこの内外の分岐には、細胞の接触性の認知、すなわち触覚が働いていることがわかる。細胞膜を形成する化学物質は、外側への接触性認知と内側への接触性認知を異なる認知として活用している。たとえば身体の皮膚表面で外界に触れるときと皮膚内部の筋肉に触れるときとでは、異なる触覚性の働きが起動する。すると質料性をもつ物体は、運動だけではなく、この運動にともなっている触覚をつうじて、内外の区分だけではなく、実質的な「内」と「外」の指定を行っていることがわかる。このとき触覚は、外界の刺激を同化する受容器官ではなく、一般に感覚器官でさえない。つまりアリストテレスの予想に反して、視覚、聴覚、臭覚、味覚と触覚を同列に扱うことはできない。
内外がシステムそれじたいにおいて実質的に決まるプロセスを考えると、操作的認識やたんなる自動運動の仕組みだけではなく、運動とともに起動している触覚性の認知を内在的に考えざるをえない。ここに運動と触覚性の認知が異なる働きとして同時に進行する新たなカテゴリーが必要だと思われる。そして私はこうした事態を「二重作動」と定式化することにしたのである。[7]というのも触覚にはどんな場合であっても運動がすでに内在している。皮膚表面の変形が起こるためには、前方への運動がなければならないのである。だが触覚性認知それじたいは運動とはまったく異なる働きであり、運動とは異なる仕組みで作動する。
二重作動は、哲学が伝統的に定式化してきた「ダブル・アスペクト」とは異なる。物事を二様に捉えるのであれば、対象そのものとその意味、語に含まれる分節した音とイメージ、器官の構造と機能等々のように夥しいほど存在する。これらとは異なり、システムはそれじたい作動し、しかも作動のさなかで、たんなる運動以上のことをみずから出現させる。これが新たな現実性の出現である。ここに新たなキータームが必要だと思われた。それが二重作動である。
個体性 システムがみずから固有の領域を区分し、それとしてみずからの領域を定める。これはシステムが個体性をもつことの別の表現である。当時最晩年のドゥルーズがすでに踏み込んでいたのは、「遂行的個体性」と呼ぶべきものである。人間は一日という単位をおのずと身につけている。この単位は身体と分離できず、すでに生存していることに含まれている。日本からヨーロッパに旅行するさいには、一日が7時間程度長くなるが、そのとき時差を感じ取っている。この時差の感じ取りに含まれているものこそ、一日という単位である。あるいは誰にも手を差し伸べられず、ただ死にゆくだけの病者であっても、なお一個の個体である。この個体は一切の社会関係からも、自己自身の意志や意識の自己決定からも規定されはしない。だが死にゆくプロセスにおいてなお一個の個体であり続けている。ドゥルーズがこうした文学的比喩で言い当てようとしていた事態は、現在のシステム論では、システムの機構のなかにすでに組み込まれている。
システムがみずから個体化するさいには、どのような環境条件を持ち出しても、それらの条件から個体を導くことはできない。というのもまさに環境条件のネットワークからみずからを断ち切り、それとして一個の不連続点になることが個体化だからである。だが個体化はみずから自身で、自己決定して個体化するのでもない。自己内のどのような条件を持ち出しても、それらの一部を活用しながらみずから個体を産出し、みずから個体になるのであって、この個体は既存の自己のどのような条件群にも解消されない。つまり個体化は、入力によっても出力によっても規定されはせず、みずから自身の過去によっても規定されない。個体化には、継起的、連続的に自己になり続けることが含まれており、しかも個体化という作動によってそのつど世界とのかかわりを形成する。作動認識論(ルーマン)で欠落してしまうのは、こうした遂行的な個体化である。
個体化と言えば、空間内に点や円のようにポツンと不連続点を思い描きがちである。まるでモナドが散在しているようなイメージである。これでは個体と言っても、内実は意識の個体、視点や観点のような世界内の拠点、不可侵の魂のような別の事態に置き変えることができる。ここでは個体化の結果を、観望するように外から眺めて別様に説明しているだけである。そしてこの外から眺められた図柄をもとに、世界内の不連続点へと自分自身の視点を移動させたとき、各種の「実存的個体」が出現する。実存は、いっさいの理性的観察に先立つ。実存にともなう過度の確信は、あらかじめ世界内の不連続性として設定されたものを、作為に近いほどの自覚をもって再度みずからに引き受けることから生じている。
むしろここでは個体化を遂行するものにとっていったい何が起きているのか、という問いが緊要である。個体化をみずから遂行するものは、まさにそのことをつうじて自己と環境を区分する。自己になり続けることは世界に非対称性を形成しつづけることである。それはどのようなシステムにとっても起きてしまうことである。システムはみずから作動する。それがつねに同時に世界に非対称性を作りだす仕組みになっている。ドゥルーズの差異化も、世界に多様性を出現させていくための基本的な機構であるが、運動的な差異、質変化の差異、生成的、産出的な差異をさらに細かく展開していくための仕組みがない。差異化は、強度性すなわち世界のなかの変化率として、間違いなく感覚的な確信もって感じ取られている。だがそこから差異化のモードをさらに発展的に展開する仕組みがないのである。そのことを改良するために、差異の出現、次元の出現、非対称性の出現は、異なる仕組みとして構想しなければならないと感じられた。そして私は、非対称性の出現を担うものこそ、システム-環境の区分であると考えたのである。システムはみずから自己を形成し続けることをつうじて、それと同時に世界に非対称性を作りだすのである。
もう一つのセカンドオーダーの観察 こうしたそれじたいで閉じていくシステムには独特の性格が生じる。その一つが観察である。すべてのシステムはそれぞれで閉じている。大小のフラフープが交叉しながら無数にそれぞれの境界を形成し、ちょうどリゾームのような多数多様体になっている。根でつながっていない灌木の幹の集合であるリゾームは、一つの比喩である。それを実質的なシステムの機構で置き換えているのが、今日のシステム論である。ただしここにも観察者からの観察にすでに問題が入り込んでいることがわかる。
個々のシステムは閉じている以上、そのシステムに準拠するかたちでしか観察は成立しないはずである。ところが複数のシステムを捉えているようなシステムの外からの視点を前提にしなければ、多くのシステムがそれぞれ閉じているという事態を語りようがないはずである。精確に詰めてみれば、システムが自己準拠で閉じていることを語りうる場合には、システムの外に出ることができるという視点を前提にしている。というのもシステムの内をただ自己準拠的に作動するだけであれば、みずからが閉じていることさえ知りようがないはずだからである。みずからが閉じていることを知りうるのは、閉じているものから外に出ることができるものであり、閉じているという事態は閉じていることの外から語る以外にはないはずである。しかし形式的に言えば、みずからが閉じていることはその外から初めて知りうる以上、少なくても視点に関しては閉じていないことになる。実際このことは作動的閉鎖性だけではなく、自己準拠についても同じ事態が成り立ってしまう。自己準拠を語りうるのは、自己準拠を免れた視点からだけである。
ここにも分岐点が生じる。多くのシステムを外から観望するように複数のシステムを見分けている視点と、閉じたシステムの固有性を語る視点とを、当初から異なる視点だと考えることが、分岐点の一つである。前者が第一次観察に対応し、後者が第二次観察に対応する。そして第二次観察によって、それまで見落とされてきた多くのシステムに固有の事態を語りうるというのが、ルーマンの議論の立て方の特質である。
ここでルーマンの立論の仕方を再度整理しておく。もっとも思考回路が見えやすいように大幅に簡略化してみる。[8]まず現実性の出現の仕組みを、区別に置く。右左、上下、前後のような区別がなされることによって、はじめて現実性が出現するのである。このとき同時に奇妙なことが生じることがただちにわかる。たとえば主観的/客観的という区別そのものは、主観的か客観的かという問いがただちに生じる。これは区別の自己適用であり、この自己適用は際限なく操作的に繰り返すことができる。観察することと/観察されることの区別そのものは、観察することか、観察されることか、善/悪の区別そのものは、善か悪かというようにである。ルーマン自身が出している典型的な事例は、観念論/経験論の区別そのものは、観念論か、経験論か、経験的/超越論的の区別は、経験的か、超越論的かというのがある。こうした区別の自己適用は、既存の区別や現実の境界線を揺るがし、単独で成立するようにみえるものに内在する区別の境界線を明らかにする。
ルーマンの議論の第一の特徴は、区別の自己適用を反省のもっとも主要な機能とすることである。伝統的に反省は、自己解明、自己の前提の自覚、直接的現実への懐疑、自己自身の超克、際限のない自己の二重化のような機能で活用されてきた。区別に対してさらに区別を自己適用するこのルーマンの仕組みは、区別に区別を際限なく重ね、終わりのない反省へと至る。実はこれにも歴史的前例があり、ロマン期の文学論でシュレーゲルは反省に「無限の二重化」の機能をあたえていた。[9]反省するものと反省されるものはどのようにしても統一されることはない。ヘーゲルがみずからの体系に解消したと思いこんでいた初期ロマン主義の構想を、ある意味で、ルーマンは新たな記述様式で復権させたのである。
この反省という事態もルーマンに倣って機械的に言いかえると、反省するもの/反省されるものの区別そのものは、反省するものか、反省されるものかということになる。そして反省するものに、さらに反省するものと反省されるものの区別が導入されて「自己言及」となり、反省されるものに、反省するものと反省されるものの区別が導入されて、「他者言及」となる。反省するもののなかの反省するものが、反省主体であり、反省されるもののなかの反省するものが他者である。およそこうした図式的な配置を作ることが、ルーマンの議論の骨格になっており、しかも相当見事な記述を行うことができた。必要な変更を付けて機械的な適用を行うと、宗教での初発の区別は、内在/超越であり、内在のなかに内在/超越がさらに区分されて、内在の内在が信仰となり、超越のなかに内在/超越が区分されて、超越の超越は神となる。およそこんな調子である。いわばそれぞれのシステムにもっとも欠くことのできないコードを発見していることになる。ここではスペンサー・ブラウンの機能的な図式をそのまま活用できるのである。
第二にルーマンは、オートポイエーシスの機構を大幅に翻訳し、この区別の操作的な図式に等値していく。精確には、オートポイエーシスでのシステムの機構を、区別や区別の自己適応という操作的な図式へと大胆に翻訳するのである。オートポイエーシスでは、みずからの作動をつうじておのずと境界を形成する。この境界の形成が、区別そのものの出現であり、システムの分化において起こるそれぞれのシステムのコードの形成である。科学システムにおいては、真/偽というコードが形成され、さらに法システムでは法/不法、経済システムでは価値/非価値のような、各システムの固有性を特徴づけるコードが、そうした二分法に対応すると考えるのである。これらは言語的に言えば、肯定/否定に対応しており、いわば世界を二つに区分するさいの基本的な仕組みである。こうした区分は、ただ区分が行われることのみを指示しており、個々の場面で、真/偽の区別が入れ替わり、法/不法の区別が入れ替わることはしばしばある。こうしたコードによって区別されたものが、システム-環境であり、これは世界の現実性の中心的な事態である。
二分法が実行されるさいには、物事が単純化したかたちで出現する。それは機能的に複雑性の縮減と呼ばれ、区別という行為は、世界の複雑性の縮減という機能性にもとづくものとされる。他方コードに対して、プログラムはシステムの個々の内容を定めている。実際は、システムは作動の継続をつうじて存在しつづけるのだから、その作動のためのさまざまな設定がプログラムに相当する。そこには方向づけであったり、短期的、長期的目標であったり、実定的な事実記述の蓄積であったり、他の多くの事態が想定される。ここで工夫されていることは、システム記述の技法である。このなかにもルーマンの恐るべき資質が含まれている。区別という基本的な配置に類比的に対応づけて語りうるものは、アナロジーをつうじて、およそどのようなものでも記述の系に転換できる。この見通しをシステム論の展開可能性として示していく比類ない才能が、ルーマンには備わっていた。だが記述の技法は改良されていくが、そのことによって経験は前進したのかという問いはなお残るのである。というのも議論じたいが過度に論理化された場面では、パラドックスの出現や脱パラドックス化という、ヘーゲルの論理学ですでに見慣れた事態に再度直面させられるからである。論理の基本項目が、「差異と同一の同一」(ヘーゲル)」に対して、「差異と同一の差異」(ルーマン)に転換されているとはいえ、これらはなお言語的・記号的な経験の範域を動いているだけである。
これ以外にシステムの作動をもちいた多くの議論の視角が提示されるが、小さくないものとしては、コードと言及が区別されることがある。コードはシステムの機能性そのものであり、システムがそれとして成立する条件である。そのことの延長上に、内的関与と外的関与が生まれるが、言及はつねにみずからの圏域を越権する。それは認識の宿命でもあり、認識によって、主観的な働きと対象との合致のような伝統的な真理基準の問題が生じている。これは言及によって作り出された派生的問題である。それに対して、コードにしたがうシステムの作動は、真理基準に合わせて作動するのではなく、まさにそれじたいが作動するから作動するという仕組みを備えている。いわば哲学的なさまざまな基準、根拠の限界をシステムの現実性を対置することで示していくことになる。これは認識の限界を、システムの作動から明らかにすると同時に、認識そのもののなかにある無根拠性や偶然性、さらにはまさに認識によって見落とされてしまう事態を明るみに出すことになった。こうして第二次観察は、一方では認識の限界を明るみに出し、既存の基準を断ち切り、他方では認識のなかに含まれるさまざまな概念やキータームを、システムの作動から別様に言い換えることを可能にしたのである。
これだけでも革新的な成果だと思われるかもしれない。だがなお何かが欠落していると感じられる。それは記述の仕方、物の見方は変わるものの、経験が進んでいるようには思えないことにかかわっている。先の問題に戻ってみる。システム内を行為するもの(自分が閉じていることを知りようがない)とシステムに固有の事態を語りうるもの(自分が閉じていることを知りうるもの)の間には解消しようのない裂け目や落差がある。つまりこの場合には、作動しつづけることと、作動を観望してしまうことの落差が問われている。第一次観察は、基本的には複数のシステムを観望する位置から語られている。そのためいずれにしろ、システム間の配置、関係、前提関係、統御関係、相互関係のような粗い要約しか記述しようがない。そこではシステムの司令塔と従属するもの、根拠と派生するもの、独立している要素と不可分に相互関係に入っているもののように、伝統的なシステムの機構(階層性、全体性、全体からの分化派生)で問題になってきたことが、それぞれのシステムで再度うんざりするほど語られるのである。こうしたさまざまなシステムを外から観望しているのは、システム的理性である。この理性の限界を明示するのが、第二次観察である。してみるとルーマンの課題は、カント的な理性批判をシステム的理性批判に変更して、システムの歴史的進展とともにすでに内在的に進行していたシステム的理性批判の内実を明るみに出すことである。
第一次観察を当面括弧に入れてみる。括弧入れは、否定することではない。探求の仕組みは、括弧に入れられるものを手掛かりにしながら前に進んでいく。現に直接そう見えるものを、そうではない局面を見ていくために、視点そのものを切り替えるのである。ところが本来作動閉鎖系の場合には、第一次観察を括弧に入れるさいに、第二次観察に留まらず、観察そのものの括弧入れにまで進んでしまう回路が出現する。これも新たな分岐点である。これはおそらく学問的な記述を最優先するルーマンにとっても気づかれていた事態である。だがそれを採用したのでは、当初『社会システム』で導入したコミュニケーションからなる記述的全体性のシステムとともに、個々のシステムを分化させるというシステムの記述の枠を維持できなくなってしまう。
だが作動閉鎖系で本当に問題になるのは、作動することそのものは、第二次観察からもずれ続けてしまうことである。観察はどのような観察であれ、作動の結果を語ることを本分としている。そのため多くの場合、ルーマンは分化が完了したシステムについて語るのである。ここからもまた新たな選択肢が出現する。第二次観察によって捉えられたことを再度括弧に入れながら、行為するものの固有の事象へと追跡を進めることである。ここにもっとも有効な解明の手法として、現象学が継ぎ足される。その手続きによって組み立てたのが、私の『システム現象学』である。[10]
行為の場面では、より良く行為すること、より成功裡に行為を遂行すること、さらに新たな経験へと向かって行為がさらに前進することの仕組みが要となる。つまりどのように観察し、どのように記述するかではなく、つねに行為の改良と前進に向けた記述が必要とされるのである。行為のさなかには、行為的な認知能力が前景にでる。みずからの行為のなさかでみずからの行為の進行に気づく(西田幾多郎の自覚)という「気づき」と、行為をつうじて出現してくる現実に実践的に気づいていくという「遂行的注意」が中心的な課題となった。これらも配置としては第二次観察の身分をもつが、記述的な反省ではなく、実践的な調整にかかわっている。
創発性 このとき新たな経験をどのように形成していくかが、システムと現象学にとっての課題になっていることがわかる。経験の創発こそ焦点となる課題であった。ここでは芸術においては、作品をどのように受容するかではなく、製作者はどのような技法を用いて制作するかでもなく、製作者は作品を制作するなかで、どのようにしてみずからの経験を形成してきたのか、あるいは制作された作品という場所において、観賞者はどのようにみずからを形成するかというテーマが主題となる。新たな現実を出現させるという課題設定を行う創発系の科学は、ラディカル構成主義と同様、意味の確定や意味内実の吟味以前に、行為をつうじて新たな経験を形成し獲得していかなければならない。それは現実に対して、説明記述の仕組みを変えるだけではない。説明記述がみずからの経験のプロセスが終わりのないものであると語る場合、いまだ理論的観照の位置からこの言明は語られている。そのさい必要とされるのは、そうした予期に対応する経験のモードを開発することである。
それはたとえばたんに色彩の経験だけでも良いのである。ゴッホは爆発一歩手前にある黄色の新たな活用方を開発し、マティスはみじろぎもしない黒の新たな活用法を開発した。あるいは土方巽は、世界ならびに自己を記述するために、動作語を現実の輪郭を刻むタームとして活用する文体を開発したのである。創発する経験あるいは経験の創発を、論理的に定式化することは事柄の本性上、容易ではない。かりに論理的定式化ができたとして、その論理的手順を踏めば、同じように到達できる経験を、創発とは言わないからである。このテーマについては経験の多層性、多領域性に釣り合うほどの配慮の行き届いたエクササイズを設定した方が良い。エクササイズをつうじて、おのずとさまざまな創発的経験の回路が経験され、いくつかの幸運に恵まれればそれを自分の能力として習得できるような設定は可能である。実際それを試みてみたことがある。[11]
ここでは経験の創発の事例として、土方巽の文章を取り上げてみる。一般に身体と言語の距離は、容易には計量できない。身体は心のようにある時点から言語とともに形成されるのでもなければ、物や生物のように言語(語)そのものの出現にともなって同時に経験が組織されているものでもない。言語的表現は、身体動作に対して外的だが、いくつもの回路をもって密なつながりを形成している。身体の現実に対して言語はどのようにしても内的にはなりようがない。にもかかわらず多くの回路で接続の度合いを変えながらつながっている。大多数の人にとってのつながりは、言語をつうじた身体記述であり、それは学習そのものの場面でそうなっているだけである。つまり逆にこの対象記述言語以外の言語と身体とのかかわりを、ほんとどのものはいまだ学んでいないことになる。土方巽の文章は、この学び損ねている広大な領域を示唆している。しかもそこはどのように言語を活用したら学習したことになるかがわからないのである。それが本人自身を含めた読者一般にとっての謎となっている。そのため土方巽自身、自分で書いた文章の推敲や編集を、舞踏家ではない知人に委ねてしまっている。
確かに私にも、サイダーを飲んだりしてはしゃぎ躍ることもあった。しかしめりめり起こって飯を喰らう大人や、からだを道具にして骨身を削って働く人が多かったので、私は感情が哀れな陰影と化すような抽象的なところに棲みつくようになっていた。あんまり遠くへは行けないのだからという表情がそのなかに隠れていて、私に話しかけるような気配を感じさせるのだった。この隠れた様子は、一切の属性から離れた現実のような顔をしていたが、私自身も欠伸されているような状態に似ていたので、呼吸も次第に控えめにならざるをえなかった。私のからだは喋らなかったが、稚いものや羞じらいをもつものとは糸の切れているところに宿っている何かを、確かに感じ取っているらしい。からだは、いつも出て行くようにして、からだに帰ってきていた。額はいつも開かれていたが、何も目に入らないかのようになっていた。歩きながら躓き転ぶ寸前に、あっさり花になってしまうような、媒介のない手続きの欠けたからだにもなっていた。[12]
この文章には、身体を語るさいの多くの技法が込められている。現時点では、空前絶後の身体についての語りである。動作が音とリズムで捉えられていて、さらに身体そのものをそれとして比喩にまで高めているのである。骨身を削って働くことの形容詞が、「からだを道具にして」であり、控え目にそこにいる自分自身の状態の形容詞が、「欠伸されているような状態」である。身体動作や身体の状態が、ここでは心や自分自身を表わすことのメタファーである。関節が外れてしまったような世界、身体の表裏が裏返ったような世界、という程度の比喩であれば、夥しく存在する。というのもその場合、外れるや裏返えるが、すでに字義に近い論理性と意味を含んでおり、この論理性をイメージ化するさいに、関節や世界の裏表が同レベルの論理的比喩として継ぎ足されているからである。そうだとするとその場面では身体とは別の比喩で語ってもよいのである。比喩ではなく直接形容詞で、寸断された世界、裏返った世界でもよい。だがこんな形容詞で語ってしまえば、本質的になにかが欠落してしまう。
これに対して、この文章で示されている比喩は、身体に対して常日頃注意を向け続けているまなざしである。毎日身体に対して言葉をあたえ続けていないかぎり、身体の状態、身体動作、身体の生理的働きを、自分と自分の心の比喩として活用することはできない。しかもそこにたんに身体を比喩として活用するばかりではなく、比喩でありながらまぎれもなく身体として存在する息遣いがある。身体を比喩としたとたん、いわば「わかる」以上に「感じ取られている」存在がある。この感じ取られている部分に、比喩の強さが出現する。そのため身体と動作の記述は、つねに過度なものとなる。忙しく立ち働く大人たちの間で、ホツンとそっぽに置かれているだけであろうが、それが「控え目な呼吸」と呼ばれる状態である。忙しく立ち働く人たちの間で、かまってもらえないだけではなく、ただ所在ないのである。それが身体的比喩となって「控え目な呼吸」だと形容される。実際、控え目な呼吸がどのような呼吸をすることなのかはわからない。だがそれが身体存在のモードであるなら、身体行為の比喩は、圧倒的な現実感となる。
それにもまして身体の比喩は、過不足の判定が難しい状態を作り出す。それはおそらく文章の作りそのものに関連している。膨大な重複のある言葉の組み合わせのうち、こうした文章は、おそらく余分なものをぎりぎり削ぎ落とすようにしてできあがっている。これ以上削ぎ落とせば意味不明となり、残せばなにやら説明が過ぎてしまうというような臨界線がある。「歩きながら躓き転ぶ寸前に、あっさりと花になってしまうような、媒介のない手続きの欠けたからだにもなっていた。」こうした文がイメージに言葉を当てるようにしただけでは出てこないことははっきりしている。膨大な言葉の組み合わせから、不要な組み合わせ、余分な語や反復や冗長を削り取って成立している。削り取られた残余が、そのままこの文の含みの多さになっている。
この著作で土方巽が開発したのは、身体動作にかかわる語を自己ならびに世界のあり方を語るための直接的なタームとしたことである。いわば自己と世界の新たな経験の仕方を身体動作の側から開発していることになる。そしてこうした文章のやっかいな点は、これらの文章を真似ようとすれば、似ても似つかぬものになるか、二番煎じ以下になるかがほぼ約束されていることである。創発的な経験は、一般規則を適用するように応用できはしない。創発の経験を習得することは、その経験のプロセスに寄り添うような自分自身の経験の形成を必要とする。ネオ・サイバネティクスという課題のネットワークが謎と不透明さを含み続けるのは、こうした経験のプロセスを内在させているからである。だがこうしたわからなさのさなかに佇み続けることは、困惑や当惑ではなく、むしろ自分自身にとっての最大のチャンスなのである。
注
1、J. Brenner, G. Rusch, S.J. Schmidt, “Delfin” , Siegen/Stuttgart, Juni 1983. 当初パンフレット大の大きさで始まったこの雑誌は1990年まで同じ体裁で続き、その後ズールカンプ社で文庫版の論集となる。ここで使った資料は、シュミットが勤務していたジーゲン大学の図書館でコピーしたものである。
2、このあたりの関連文系としては、以下を参照。G.Rusch, Erkenntnis, Wissenschaft, Geschichte von einem konstruktivistischen Standpunkt, Suhrkamp Verlag,1987. E.von Glasersfeld, Radikaler Konstructivismus Ideen, Ergebnisse, Probleme, Suhrkamp Verlag, 1996. なお河本英夫『オートポイエーシス2001』(新曜者、二〇〇〇年)「ラディカル構成主義」の項目、西垣通『続 基礎情報学』(NTT出版、二〇〇八年)「ラディカル構成主義」の項目を参照。
3、この関連文献としては、V. Riegas, C.Vetter, Zur Biologie der Kognition Ein Gespraech mit H. R. Maturana und Beitraege zur Diskussion seines Werkes, Suhrkamp, 1991, H.R. Fischer(Hg.), Autopoiesis Eine Theorie im Brennpunkt der Kritik, Carl-Auer-Systeme Verlag, 1991.
4、G.Rusch, S.J.Schmidt, (Hg.), Piaget und der Radikale Konstruktivismus, Suhrkamp, 1994.
5、ピアジェの観察記述は徹底しており、たとえピアジェの記載した事実経過の詳細が変更されようと、身体機能ならびに知能の形成での質変化の記述の大枠を超えるものは、今のところないと思われる。ピアジェ『知能の誕生』(谷村覚、浜田寿美男訳、ミネルヴァ書房、一九七八年)、他にピアジェ『認知発達の科学』(中垣啓訳、北大路書房、二〇〇七年)参照。
6、マトゥラーナ、ヴァレラ『オートポイエーシス――生命とは何か』(河本英夫訳、国文社、一九九一年)六三頁。
7、河本英夫『メタモルフォーゼ』(青土社、二〇〇二年)、二重作動を導入すると、現象学的経験のレベルから直接、オートポイエーシスの構想に入ることができる。オートポイエーシス定義から進む必要は必ずしもない。
8、ルーマンの思考回路を基本線としておさえる場合、もっとも最短で進むのであれば、以下の三冊が好便である。ルーマン『社会システム理論』(佐藤勉監訳、恒星社厚生閣、一九九三年)、同『エコロジーの社会理論』(土方昭訳、新泉社、一九八七年)、同『近代の観察』(馬場靖雄訳、法政大学出版局、二〇〇三年)。それ以外に馬場靖雄『ルーマンの社会理論』(勁草書房、二〇〇一年)参照。
9、メニングハウス『無限の二重化』(伊藤秀一訳、法政大学出版局、一九九四年)参照。またルーマン『社会の芸術』(馬場靖雄訳、法政大学出版局、二〇〇四年)第二章参照。
10、河本英夫『システム現象学――オートポイエーシスの第四領域』(新曜社、二〇〇六年)
11、河本英夫『哲学、脳を揺さぶる――オートポイエーシスの練習問題』(日経BP社、二〇〇七年)
12、土方巽『病める舞姫』(白水社、一九九一年)七頁
(かわもとひでお/システム・デザイン)