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2013/12/15 神経現象学リハビリテーション研究センター 自治医大

行為としての意識とその可能性

東洋大学文学部哲学科
河本英夫

意識の機能性
認知科学的な意識研究(1980-2005)は一つの壁に当たっている。現状では展開力がないのである。意識を単独で取り出し、それに対応する脳神経系部位を特定することはできない。意識はおそらく単独の働きではない。
意識の機能性として、未来への予知能力、能力の全体的整合性(デネット)、意識の自己感知(クオリア)(チャーマーズ)、反応を遅らせる働き・保持(クリストフ・コッホ)として特徴づけられている。これらは、多くの心的機能(短期記憶へのアクセスの促進、知覚したものの分類、意思決定、行動の計画、動機づけ、複雑な課題の学習、問題の検出、時の指標づけ、トップダウン型注意、創造性、推測、推理等々)にかかわる付帯機能として、意識を設定できることを意味する。しかしいずれも意識がつねに伴っていなければ働かないわけではない。すると意識とは、随伴調整機能であることになる。
意識とは、躊躇(遅延)の別名である。(荒川修作)
現象学的な意識分析(時間論)は、意識の働きを現れの出現の仕組みの解明に向けて、過度に「焦点的な注意」を向けた考察である。つまり多くの意識の行為(働き)を見落としている。

意識の出現
意識を健常者、患者、老人それぞれで同じ機能群だと考えることには困難がある。またどこまで進化的に遡ることができるかは、明確にできない。
意識は、意識になろうとして出現してきたのではない。(意識の間接性仮説)出現の仕組みのモデルは、たとえば鳥の羽は、当初体温調節機能器官として出現する。それが当初想定されていない飛翔するという機能へと展開する。意識の場合、さらに多くの機能転換を経て、現状に近い状態にまで変転してきたと考えるのが実情に近い。
人間の意識は進化的には過形成(大鹿のツノ)であり、余分な働きに進んでしまった可能性が高い。(過形成仮説) つまり意識はつねに誤用の可能性に付きまとわれている。
発達障害児の意識を、定常発達の人の意識と同じだと考えることはできない。この場面で意識の「最小特性」という課題が出てくる。意識がいくつかの機能群として進化的に出現してきたとき、より前に出現するものはより後に出現するもののなかで再編され、再組織化される。(再編の仮説)
意識の機能群は、もっとも新しい機能の前景化によってつねに自己誤解に直面することになる。

意識の働き1(調整機能仮説)
意識は多くの働きをしている。(認知的機能性の代表が志向性である。)
1)意識は注意の分散を行う場であり、場として多くの働きを並行させている。触覚性の働きを活性化させるさいには、注意の分散を並行して行わせることが必要となる。人見眞理の言う「デュアル・タスク」の組み立てが必要となる。足を動かす訓練を行うさいには、手摺を触る手の側に注意を向けて、足の訓練を行う。眼で見ている位置を変えながら、足の訓練を行う。
機能とは、すでに一つの働きの集約のことであり、機能化したものに対して、意識は分散化する働きをもつ。
2)意識は、みずからの範囲をみずから決める。余分な感覚を境界の外に区分し、また身体動作の場合のように、関与するものと関与しないものの区分をみずからで行う。
2-1)慢性化した半側無視は、この働きにかかわっている。視野を限定するような働きをつうじて、意識は自己維持の可能性を高めている。意識の自己維持の代償が、半側無視である。

意識の働き2
2-2)意識には、時として他の心的要素との関連付けのできない感覚・知覚要素が混入する。多くは意識の範囲外に排除されている。ところが反復的に出現する要素によって、意識の境界そのものが揺らぐことがある。幻覚・幻聴の出現と意識そのものの境界の不安定化
意識の境界は、相当に多くの幅があり、たとえばドイツ語の低音部は、多くの日本人には言語音としては、当初は聞こえない。
意識を要素の統一的なまとまりを保証する機能だとすると(エーデルマン)、意識には多くのまとまりや統一性のモードがあることになる。異なるまとまりのモードへの移行は、エーデルマンのモデルでは解明できない。つまりこのエーデルマンのモデルは、統合失調症を明らかに出来ない。

意識の働き3
3)意識は、集中-解除の度合い、あるいは緊張の度合いを調整できる。この度合いの調整が出来なければ、多くの場合「意識障害」がともなっている。
意識緊張を解除するさいには、強度の共振(花村誠一)を用いる。緊張ー解除のラインの振幅を大きくして、その連動のさなかに制御変数を獲得させる。
意識緊張では、心的システムは、リズム性や反復だけで作動することがある。「5つの夜は、1つの夜より5倍暑い。」「食事について言葉で語ることと、言葉を食べることは等しい。」「マッチを1本擦ると手が2倍になり、マッチを2本擦ると足が4倍になり、マッチを3本擦ると体幹が8倍になり・・こうして僕たちは世界の救済に出かける。」
意識緊張が、身体緊張に連動することがあり、この連動性に働きかけることを治療とする方法は成立する。(成瀬悟策の動作療法)意識緊張を解除するさいに、身体の緊張から介入する。

意識の働き4
4)意識はみずから自身を組織化し、みずからをそれとして一つの状態として維持しようとする。この点も半側無視につながる。急性期の過渡的状態としての半側無視である。(慢性期半側無視とは、異なる性格をもつ。)
この組織化の働きを回復するためには、意識の作動速度を遅くすることが寄与する。そのとき呼吸を活用する。
1分間に2度程度の呼吸数にする。そうすると意識そのものの輪郭がくっきりと浮かび上がり、また世界の輪郭がくっきりと浮かび上がる。大野一雄の身体表現や舞台『小町風伝』(太田省吾)で試みたのが、意識の速度を遅くすることである。
臨済宗の座禅では、意識の遅延を極限的に活用する。そのとき何度も繰り返し、幻覚・幻聴がでる。西田幾多郎が活用したのはこの経験である。

意識の働き5
5)意識は、みずからの働きを感じ取る。オートレファレンスから、セルフレファレンスまで幅広いスパンをもつ。(チャーマーズのクオリアのその一つである。)
自己意識(意識の意識、意識についての意識)とは、本来意識の働きを感じ取ることであり、その大半が「気づき」である。つまり調整能力である。しかしながら自己認識(自分で自分のことを知る)ことになぞらえて、自己意識を理解してきた近代の経緯がある。
自覚とは、自分のことを知ることではなく、働きを感じ取ることをつうじて、調整能力を高めることである。
認知運動療法の認知の大半は、行為の起動のための選択的手掛かりを獲得することであり、動作の内感として調整能力を細分化することである。制御変数を内的、外的に獲得することである。

意識の働き6
6)意識はそれじたいが出現することが、世界へと地続きになることだとする疑いようのなさをもつ。ことに世界の現れと地続きである。(この点をフッサールが活用して、現象学を打ち立てた。)
ところが現れは、にじり寄るような感触(強迫性)や疎遠・疎隔の感触(離人性)が生じることがある。こうした事象を現象学の内部で扱うことは難しい。
また意識は変化するさいに同時に再編されるが、再編の結果しか知りようがない。意識は自分自身の変化に鈍感であり、働きの一部しか知りようがない。プロセスのさなかにあるものは、プロセスのさなかで何が起きているかを知りようがなく、プロセスのさなかの調整(気づき)を行うことができるだけである。
フッサールの言う「原意識」は過度に認識論バイアスで取り出されている。

意識の誤用
1)意識の焦点的機能化(焦点化すれば、焦点化したことしか改善しない。ボバースからの批判)。介入箇所に意識経験を向けてはいけない。
2)物に触るさいに、触っている身体に意識を向けることは、身体の緊張を高め、身体の動きの形成を変容させる。自己認識こそ、筋違いである。
触覚性感覚、発達ドライヴ、記憶、動作等々は、意識が隠れる分だけ、有効に形成される。これらは潜在的には経験のほとんどの圏域である。意識が身を引く限りで、最も良く形成される領域がある。
3)意識はつねに過度に「前に向き過ぎており」、何かを誘導するように感じられる。そのため意識から行為を誘導することは、つねに筋違いである。
過度に前に向き過ぎている意識を中和するには、両眼を鼻の周辺に集めて、頭の後ろから他人の視線がやってくるようにイメージする。

意識の活用
意識を有効に活用するためには、意識の知る働きではなく、本来の「行為としての意識」の働きを活用する。反省や自覚は、すでにして敗北である。
1)注意の分散の場所としての意識の働き、分散のさなかでの連動の働きがある。(デュアル・タスク)
2)意識の速度を遅くする。それによって自分自身との隙間を開く。(この隙間の活用法の一つが現象学的還元である。)あるいは速度に変化を付ける。それによって脳神経系の選択性を開く。
3)緊張-弛緩のラインに多くの段階を作り、緊張を一つの制御変数として活用する。(強度の共振)

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