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身体-空間の現れ

河本英夫

眼前に広がる空間は、体験的生とともに出現している空間である。この事態は、生きることと空間を直接関連づけている。だがそれだけではなく、逆に体験的生と空間を一つの系としては捉えることも、記述することもできないことを暗に示唆している。生きることは、まぎれもなく生きていることであり、それとして語るよりない。呼吸し、移動し、時として飲み、食べ、糞をし、生きている活動である。この延長上からはどのようにしても空間らしきものは出てこない。逆に空間に世界性を帯びさせ、世界性をもつ空間を捉えたとしても、そのことの延長上からは生きていることへと接続することはできない。つまり世界内で生きているという事態は、本来どのようにそれに接近しようとしても、ありえない事柄である。世界の側から進むと、生はつねに一個の不連続点でしかない。生と空間もしくは広がりの間には、どのようにしても埋めることのできない裂け目がある。裂け目を含む生と空間の隙間を、たとえば相互内属、相互浸透、カップリングのような言葉で被覆しても、そのことによっては何一つ解消されないような深さが残る。体験されている空間にも、この裂け目の痕跡は残っているに違いない。このことは、体験から出発する限り、空間もしくは広がりは、つねに別様でありうるだけではなく、際限のない深さをもってしまうことを意味する。また逆に十分に予想されることだが、体験的生はそれとして確定できないだけではなく、それじたい多くの可能性を含んで生成する。

1前科学的体験

体験世界を設定し、それの解明を進めるさいに、もっとも簡便な手続きは、科学的世界との対比を行うことである。科学的空間は等質であり、個体(点や線)は他に対して優越せず、内的に分節していない。これに対して体験された空間では、他に置き換えの効かない場所があり、さらに座標系として変換の効かない垂直軸がある。方位や場所は質的に区別され、内的に分節されている。また空間内にはいくつかのはっきりした断裂性がある。これらはボルノウが空間を分析するさいの指針とした事柄である。[1] いわば視点として、科学的な空間とは次元的に異なる空間を指定し、そこでの空間の仕組みを分析しようとしている。科学的に概念把握される空間に換えて、日々営まれ日常のなかで経験された空間を描こうとしている。この場合、活用できる手がかりは日常語であり、日常語のなかに含まれた意味内実を分析するのである。
アリストテレスが述べるように、空間には六種類の方位がある。すなわち上、下、前、後、右、左である。このなかで上下の軸は、人間の直立姿勢によって条件づけられており、他の軸との変換可能性がない。この上下軸を中心にして、回転運動を行ってみる。すると円盤上に広がった面が眼前に出現する。ここにはいまだ前後がない。前後が出現するためには、どこかへと向けて行くだけでは足りていない。行為志向的にどこかへ向かおうとした場合でも、時計の針のように右回転し続けることもある。すると前後の線型性が出現するためには、行って帰るという動作が必要となる。行って帰る場合も、右回転を行い、その後左回転で帰ることもできる。だがこの動作の反復には、動作につきまとう最少性が出現してくるはずである。すなわち線型性とは、円環運動のもとでの最少性へと向けた習慣的傾向の獲得である。実際、まっすぐに歩いているつもりでも、本当にまっすぐに歩いていることはほとんどない。だがこの場合でも、まっすぐが何であるかはよくわかっている。
ここに身体動作をともなう了解があり、この了解は意味の理解だけではなく、行為や動作の予期になっている。身体動作をともなう行為においては、「できる」という体験モードに関与する働きがある。それが行為の予期である。まっすぐが意味理解され、その意味が行為に適用されて、まっすぐに歩くという動作が出現するということは、ありそうにない。これでは一般に認識のなかで、原理的な規則を理解しそれを個々の現実に適用するという事態を、行為に直接応用しただけであり、端的にカテゴリー・ミステイクである。また最少性のような原理は、論理的な配置で言えば、たとえばライプニッツに見られるように、根拠の位置に置かれる。物理学での「最少作用の原理」のようなものは、経験的に確かめようがなく、それじたい個々の経験の可能性の条件となるというように、根拠の位置に配置されるのである。ところが最少性そのものは、つねに行為のなかで働いており、行為の選択肢のなかで、たとえば少し右に行くことも少し左に行くこともできる場面での選択的行為そのものの手がかりになっている。そのため行為においては、根拠となる原理は最低限行為を方向づける統制原理でしかなく、より行為内在的には、方向づけに手がかりをあたえるものでしかない。この場面でのカテゴリー・ミステイクも夥しいほど見られる。論理的配置とは、全身体的に起こる事態を、ただ知のなかに射影したもののことである。射影の結果から物事を配置し、言語的に記述するのは、認識論の習い性となった一つの倒錯である。行為には全身体的な仕組みはあるに違いないが、人間の持ち合わせた論理ではほとんど間に合っていないのが実情である。
こうした体験的空間を捉え記述するためには、一方では内的に分節してくる場面にまなざしを向けるのがよい。それは見かけ上、空間と生が地続きになったような場面にまなざしを届かせることである。たとえばバシュラールは、場所としての「片隅」を主題として取り上げ、そこに記述的なまなざしを向けようとしている。「われわれは、角が冷たく、曲線は暖かいといってはいけないのか。曲線はわれわれを歓迎し、あまりにも鋭い角はわれわれを放逐するといってはいけないのか。角は男性で、曲線は女性だといっていはいけないのか。わずかな価値が一切を変化させる。曲線の優雅はそこにすむ招きなのである。ふたたび帰れる希望がなければ、たちさることはできない。愛された曲線は巣の力をもつ。すなわちそれは所有せよとよびかける。それは曲線の片隅である。ひとのすむ幾何学なのだ。」[2]こうした記述は、ある種の名人芸である。というのも少し言葉の当て方を誤れば、ただの三文詩人のまねごとであり、逆にあまりにも詩的になりすぎれば、言葉のうまさだけが際立ってしまう。つまり言葉をつうじて届かせようとした体験的現実とは異なる事態、たとえば言葉の技芸を捉えてしまうからである。この両極をすれすれに抜けていくこところに詩的現実がある。
ここにはバシュラールにとって、画家と詩人は天性の現象学者であるとする基本姿勢がある。体験的現実は発見されなければならないが、発見の能力は容易に学習されはせず、ただ模倣がなされるだけである。その模倣の一つが、視点移入もしくは感情移入である。曲線の魅力を、曲線がおのずとあたえてくるものだと視点移入し、曲線がどのように私たちにかかわってくるのかに言葉をあててみる。すると曲線はそこに住むように招くというのであり、愛された曲線は巣のような力をもって私たちに出現することになる。この場面で、曲線への受動的なかかわりだと視点の規定をあたえることもできる。だがこの操作的な視点移動は、どちらかと言えば見え透いたものであり、すでに発見されたものを別様に言い換えただけである。経験は変わらず、視点と言葉だけが変わるだけであれば、それはバシュラールが冷笑しつづける「評論家」どまりになってしまう。
こうした視点移動は、実はメルロ=ポンティの『知覚の現象学』には夥しく登場する。意識の構成能を強調すれば、一般に主知主義的な立論となる。それを避けようとするあまりに、メルロ=ポンティは、たとえば石の運動は意識的主観から構成されるのではなく、「運動は石のなかに宿っている」という。[3] 構成の手前ですでに出現している事態を語ろうとすると、まるで意識の向こうでおのずとそうなっているというような語りになってしまう。そして言語的表現の本性上、そうした記述は元来擬人法であるにもかかわらず、どこかで郷愁とともに理解されてしまうのである。視点移動としては月並みなものである。そのことは、運動が石に宿るとはどうすることなのか問うてみればよい。言葉を置き換える以上の回答は出ないはずである。引用と言葉の置き換えしかできないような表現の位置があり、それを本能的に探り当てる能力と資質を、メルロ=ポンティは備えていた。だがメルロ=ポンティは、私たちが人間になったときにすでに忘れてしまった、いわば先験的過去のレベルに届くようなまなざしをもっていた。さらにこの部分が、視点移動を超え出てあまりあるものになるという言語表記の豊かさをもっていたのである。
バシュラールが行うような記述が、たんに視点依存的なものにとどまらないためには、その場で経験そのものが動くような場面を通過する必要がある。その典型が空間についての新たな発見である。つまり語ることによってはじめて現実が出現し、その現実が既存の視点へと容易には帰着できないような局面である。それが実行できるためには、ある意味で詩人になるための訓練を積まねばならない。視点を変換すれば詩人になれるということは、ありそうにない。画家や詩人を取り上げて、そこから論証的な議論に持ち込めば、ただちに筋違いの議論が進んでしまう。いわば問われているのはそんなことではないと思いながら、それ以外の経験の回路を見いだせない「自足のジレンマ」に陥ってしまう。現象学は、実際繰り返し自足のジレンマに取りつかれてきたのである。
 曲線はそこに住むように招くという事態には、空間は行為との関係ですでに成立していることが含まれている。この点をさらに詳細に詰めてみる。行為は、行うことであり、できることに直結する働きである。ここには部分的に知ることが含まれているが、知ることによって行為がはじめて可能になるのではない。知ることによって動作が誘導されるのは、ロボットだけである。むしろ認知と行為は同じ一つのことのように連動している。脳神経システムで言えば、主として前頭連合野や頭頂連合野の働きであり、脳の八割は連合野である。[4]できるという働きは、知覚的認知の基礎にあったり、知覚から導かれたりはしない。むしろ知覚と同時に進行している。連合野の働きは、「つねに同時に」immer zugleich というモードで作動する。「つねにすでに」は、行為を認識に射影した根拠関係であるが、「つねに同時に」は、行為そのものの作動関係であり、まさにこのことによって行為はみずから多様化する可能性を含むのである。
この連動には、運動動作のように行うことが同時に知ることではあり、知ることは主として運動動作の調整機能を果たしている場面(認知運動)、制作動作のように作ることが同時にそれを知ることである場面(シェリング)、自己自身の形成が同時に知ることの可能性の確保であるような場面(フィヒテ)、さらには言語的な語りの行為が、経験を動かすと同時に自己の何かを知るような場面(精神分析)等が含まれている。こうした連動のもとで、空間と密接にかかわっているのは、移動の行為である。そして移動の動作の要素的なものとして、「位置を指定する行為」がある。[5]
 まず眼前にある何かを見る。それが何であるかを知ることができる。スピーカーであったり、腕時計であったり、葉書であったりする。それらの物に手を伸ばそうとする。手を伸ばす動作は、先端の手や指の動きを除き、物が何であるかとはかかわりがない。手を伸ばす働きは、物の位置にかかわっている。物を知覚するさいに、すでに物の位置指定が行われている。だから手を伸ばすことができる。かりに物が何であるかがわからなくても、そこに手を伸ばすことはできる。すると位置の指定は、物の知覚と同時になされているが、それが何であるかを知ることとは独立であることがわかる。この段階で、物が何であるかを知ることと、物の位置を知ることは、ともに認知のレベルで捉えることもまだ可能である。その場合は、物が何であるかと物の位置を知ることは、健常者の場合つねに同時に起きており、連動する働きである。物の知覚は頭頂葉の腹側回路でなされ、位置を知ることは頭頂葉の背側回路でなされていて、頭頂葉連合野で連合されている。この連合野に欠損が起きると、物が何であるかはわかるにもかかわらず、物の位置がわからないという「バリント症」が生じる。
では位置を指定することは、位置を知ることなのだろうか。位置を指定することは、一つの行為であり、そのなかには位置を知ることと、その位置へのかかわりが含まれている。問おうとしているのは、こうした知ることと同時に行為でもあるような場面である。認知と行為が同時になされているような事態を、「認知行為」と呼んでおく。頭頂葉背側回路には、位置の指定と同時に運動性の働きをつかさどっている部位が並んでおり、こうした認知行為は、その部位での働きだと思われるが、詳細はまだわからない。いずれにしろ認知行為は、世界とのかかわりの組織化をおこなう働きであり、そこに同時に認知がともなっているような働きである。
知覚は知る働きであるが、認知行為は世界や物とのかかわりを組織化する行為である。行為からみれば、そこでの距離知覚は、行為の調整のための最大の手がかりをあたえ、動作の進行に応じて相対距離が変化する場合には、つねに行為の継続のための予期となる。だがこのことの単純な逆転は成立しない。すなわち距離の知覚にとって、動作が最大の手掛かりとなるという事態は成立しない。これが成立する場合はごく稀であるが、なにか別のものに遮られて対象が見えにくい場合に、動作を調整してそれを見えるようにするということは起こることである。むしろ行為と知覚が同時に進行している場合、この進行をささえるのは行為であり、知覚は二次的である。アスリートやプロのダンサーがしばしば語ることだが、動作のさなかでは眼を開けていてもほとんど何も見ていないようである。だが動作の継続のために必要な指標はそのつど獲得している。こうしたことから、体験的生のもっとも基本的な事態を、世界や物とのかかわりを組織化する行為だと設定しておく。
このとき知覚から出発する現象学的解明が、なにか筋の違うことを行っていることに気づく。物の知覚は、通常、知覚を成立させるさいに位置の指標をもっている。これは知覚される個物を成立させる一条件となる。このとき位置は、物を知ることの裾野に含まれた知覚の一条件でしかなく、知覚に従属するように知覚のもとに組み込まれている。知覚している観察者が場所を移動し、異なる見え姿が現れる場合でも、物の現れの変化をもたらす裾野の条件が、観察者の位置移動である。知覚の場合、位置はつねに知の成立に含まれる条件の一つでしかない。フッサールの『イデーン』第二巻でもこうした議論になっている。[6]
知覚から出発する限り、位置の指定は知覚の成立条件の一つであるために、行為から形成される空間について語ろうとすると、ほとんど接点がないことになる。行為は知覚野内で行われ、まるで土俵上をコマのように動き回る。この場面で、知覚と行為とのほぼ唯一の接続の蝶つがいが、知覚者がすでに占めている位置である。知覚のパースペクティヴには、ここという位置がともなっている。「ここ」という位置から現れの開けひらけあり、その現れには奥行きと境界となる地平がある。奥行きも地平も視覚的な現われとしてとしてある。ここという位置の移動はパースペクティヴを変化させるが、この移動はまたもやパースペクティヴを支える一条件に組み込まれる。
この事態を単純な問いの形にしてしまえば、おそらく以下のようなことである。移動を行うさいには、どこかの場所に近づくとか何かを迂回するとかのように何かのための行為として行われているはずであり、パースペクティヴに変化をもたらすための一条件として行なわれているのではないはずである。だが知覚から進む限り、たとえ動機付けや衝動のような付帯的な契機を持ち込んでも、場所移動の内実に届くことができない。とすれば知覚は、まさにそれとして成立することによって体験領域に何か見えないものを生み出してしまうようである。こうした事態を理解するさいの簡便な手掛かりが、ヴァイツゼッカーの定式化した「回転扉の原理」である。部屋から出て行きながら部屋の中を見ることはできないという卓抜な比喩を手引きとして、知覚と運動の相互隠蔽を定式化した。[7] 知覚はまさにみずから出現することによって、みずからが含み、みずからが依存する運動を隠蔽するというのである。この隠蔽は、反省によって出現する盲点に類似したものでも、客観記述から割り当てられた、いわゆる言い掛かりのようなものでもない。
経験を原理的に問い詰めていくさい、哲学には「純粋」という形容詞と「絶対」という形容詞が期せずして出現してきた。純粋の代表がカント哲学であり、一切の個々の経験に依存せずそれじたいで成立しているような経験である。しばしば「超越論的」という語と等価に使用されるこの純粋経験は、過度な自発性を備えているためにつねに自己吟味を必要とする。それが批判と呼ばれる作業である。他方絶対を標榜したのが各種ドイツ観念論であり、無限性をそれじたいのなかに含むことが共通の特徴である。個々の経験の手順を踏むとどのようにしても到達できない領域に突き当たる。到達できはしないが、到達できないという事態が結果として派生するような仕組みを考えることはできる。その仕組みが経験そのものに備わっているように当初の出発点を設定する。いわば個々の経験にとっての限界を、つねに踏み越えるように仕組みを設定するのである。相互隠蔽は、このうち純粋経験のタイプを取り出し、そこから探求の回路を開いていく手順のなかに含まれている。
意識の直接性を純粋に詰めていくと、意識が出現し、意識の出現とともに成立する現実に突き当たるはずである。このとき知覚の現われと現実性の成立が分岐する。また経験には不連続な相転移が出現する。すなわち知覚と注意が分岐する。意識がたんなる志向的作用ではなく、それじたいが一つの働きであれば、みずからが出現するという事態も、意識の自己組織化の働きである。たとえば空間には奥行きがある。視覚的なパースペクティヴのなかで奥行きがあるという事態は、意識がそれとして成立することと同義であるほど、つねに成立してしまっている。しかも闇夜で何も見えなくても、奥行きがあることはわかる。ただし遠近法は解除されている。それどころか眼を閉じて、腕を伸ばそうとするときでさえ、奥行きがあることはわかっている。その奥行きのどこかに何かがあるという事態にも気づくことができる。それは何であるかわからないが、何かがあるというのはまぎれもなく注意の働きである。そこからうっすらと何かの輪郭が見えてくることがある。このとき知覚が出現してくる。こうしてみると闇夜の奥行きは、遠近法やその他いっさいの視覚の技法とは独立であるような、注意と注意をささえるさまざまな感覚の働きに依存している。この感覚の働きのうち、最大のものはおそらく触覚性の運動感覚である。手を伸ばせばやがて何かにぶつかるかもしれないと予期されているさいの、その手の動きそのものの感覚である。この感覚に「つねに同時に」ともなうように、奥行きが成立している。このつねに同時にという仕方で語られている事態が、根拠関係を解除し、世界に多様性を出現させる機構である。脳神経系で言えば、連合野の働きに対応する機構である。こうした設定をおこなっておかないと、たとえばフッサールの受動的総合から広がりのある空間に進んでいくための手順さえ見えないことになる。
この場合、視覚的奥行をささえる裾野の一つが、触覚性運動感覚だと言うわけにはいかない。事象とその必要条件というのは、カントが多用したたんなる形式論理である。事象の成立に関与するものは、すべて必要条件に組み込まれる。事象の成立も、知覚そのものの出現も、本当にこうした事態-必要条件の関係で成立しているのだろうか。「可能性の条件」とは論理的には必要条件の関係である。だが意識、経験、知覚の形成そのものを組み込もうとすると、最低限自己組織化の仕組みが必要であり、それが事態-必要条件の関係におさまることは、ありそうにない。前提となるフレ-ムや枠組みが個々の経験に先立ってあるというのは、習い性となった憶見にすぎないのだろう。たとえば眼前の壁に高さの異なる横線を二十本程度引き、その横に立って閉眼で腕を持ち上げてみる。開眼してのち自分の腕がどの線を位置に達していたのか視覚的に指定してみる。この作業に立会人をおいて問うてみればよい。閉眼で腕を挙げたときに感じ取っている高さと、視覚的に判定したときの高さがずれていることは普通のことであり、時としてこれほどずれているのかと驚くほどの違いが出る。視覚的な距離と触覚的な運動感・位置覚とは恒常的にずれているのが普通で、それを常日頃調整しているのである。純粋経験をかりに取り出したとしても、そこから先の分析が必要条件の分析に帰着されるならば、すでに自足のジレンマに入り込んでいる。相互隠蔽は、事態-必要条件とは異なる事実がそこにあることを指摘している。そのことに対応する解明の道具立ては、今のところ、つねに試行錯誤である。哲学の本を読んでいれば哲学ができるようになるというのは、およそありえないことである。
視覚的に奥行を捉えるとき、どの程度の相対距離があるかという感触をもっているのが普通である。つまり奥行を横幅の隔たりに変換しながら捉えているのが普通である。まるで自分自身を横から観望するように自分からどの程度離れているかを予期しながら、奥行きを捉えている。この場面では二つの視点の変換関係を活用しながら、奥行きを捉えている。この横から捉える視点は、実は科学的計測とは直接関係がない。[8] 自分自身の身体を捉えるとき、まさにこの身体を感じながら、同時にそれをまるで外から観望して全体像を捉えるような視線をもっている。この外からの視線は、実はイメージであって、ほとんどの場合身体動作ともに獲得されている。自分の身体を横から映した映像を見れば、通常抱いている自己イメージとはまったくかけ離れていることはただちにわかる。こんなに太っているのか、こんなに足が短かったのかとあきれるほどである。自己イメージと横からの科学的描写像が食い違っているのはむしろ常態である。奥行きを横から観望するように幅の隔たりとして捉えているのは、こうした運動感覚とともに成立している運動性のイメージである。どの程度歩けば着くかという行為的なイメージが、予期として奥行きの知覚に関与している。このイメージには科学的計測が手掛かりとして活用されているが、それでもたんなる科学的計測値とイメージは隔たっており、由来も働きも異なっている。奥行きと運動性のイメージは、つねに調整され形成されている。こうして科学的記述か、意識の直接的事象かという二者択一が、現実の成立とはほとんどかかわりをもたない立場の選択でしかないことがはっきりする。立場を確保することによって、哲学的経験はいったいみずからをどの程度進めることができたのだろう。[9]
空間的な広がりの出現には、視覚的知覚とともに触覚性運動覚が密接に関与しており、広がりの成立に位置の指定のような要素的行為と運動の予期が働いている。ミンコフスキーもそのことはよくわかっていた。だが分裂病を「生きられた空間の変容」だとしたとき、ミンコフスキーが取り上げた事例は、あまりにも本人の意図から隔たったものであった。[10] 妄想性分裂病患者での特定事象への固着が、通常の空間的距離の調整からはずれてしまったとする事例を取り上げている。人間の場合、なじみやすいもの、なじみにくいもので相対的な距離感が変わってくる。なじみにくいものには儀礼的に対応し、なじみやすいものには、歓迎と抱擁で対応する。これはごく普通のことである。このときこうしたなじみやすさの度合いで生じる距離を、「情態的距離」と呼んでおく。[11] 情態性は内的に感じ取られるだけではなく、環境世界に感じ取ることができる。雰囲気や気配と並んで、情態は環境世界内の事実である。一般に情態的距離は変動するが、妄想性の確信をもつ相手(人間とは限らない)に対してだけは、この距離変動が失われてしまう。このことを空間的な変容の事例だとしている。ミンコフスキー自身もそうした行文でさすがに気がひけたのか、これじたいは月並みな主張であると繰り返し言い訳している。
生きられた空間の変容は、むしろ分裂病の緊張性モードで出現する。この緊張性モードがドゥルーズ、ガタリの「差異と反復」の典型事例となっている。花村誠一が敏感に読み取っていたことであるが、この病態では、経験のリズムと情態的距離の変動だけになってしまう。[12] 世界内の事物が、距離の変動と距離の配置だけで現れ、事物が何であるかではなく、それにかかわる距離感だけが世界とのかかわりの手掛かりとなる。物事を捉えるとき、それが何であるかをすべて通り越して、近いとか遠いという通常の意味では指標にすぎないものが、前景に出てしまう。このとき触覚性運動感覚が経験の全域を占め、知覚はただ二次的である。しかもここには意識障害も妄想もない。言語的な運用も破格ではない。ただその表現は異様である。「五つの夜は、一つの夜より五倍暑い」というような言語のリズムと数的比例関係だけで成り立つような言明が出現する。この言明には文法的な破格、脱格はなく、判断としても主語-述語関係は明確で正しい。にもかかわらずそこで作動している経験は尋常ではないと感じられる。このとき語が意味を超え、世界が対象であることをやめて、触覚性運動感覚だけを頼りとして世界が捉えられていることがわかる。この運動感覚は、あらゆる知覚に含まれているが、知覚の直接性から進むアプローチには見えなくなっていたものである。このとき空間内にゆがみが来るだけではない。空間そのものが変容してしまい、いわば異なる空間に生きていることになる。ミンコフスキーが語ろうとしたのは、おそらくこうした病態である。体験的生と空間というとき、実は体験的生も変貌し組織化され、世界そのものの変貌し、組織化される。そのとき患者自身の世界とのかかわりの組織化はまったく別様になる。触覚的運動感覚の変容をともなう病態の典型例が失行、失認であり、生きられた空間の変容はむしろこうした病態で明確になる。このことじたいは、ミンコフスキー自身が認めていたことである。これらの病態は、実存的な自我の変容を伴わないとしたために、議論の外に置かれることになった。だが自我の変容は、主体として別様に生きる現存在を特徴づけるだけであって、主体的な実存のレベルはそのまま維持されている。いわば高次の微小変異だとみてもよい。実存的な主体が成立するためには、世界内で「ここ」を占めるような位置指定の行為がなされている必要がある。ここを占める行為とともに成立している空間がある。発生的にみれば、自我はなくても空間は成立している。そしてまさにこのレベルの空間に変容が及ぶのである。

2空間の現れの変容

 オリバー・サックスの『妻を帽子と間違えた男』の冒頭の章では、視野の左側の空間が見えなくなってしまった症例が語られている。軽度脳出血(片麻痺)や脳血栓で右脳に欠損が生じると、高い確率で左半側が見えにくくなることが知られている。この症例はこの本で有名になったが、医療関係者の間では約一世紀前から知られており、また視野の半側が欠損しても日常生活を送ることのできる軽症の患者が多いために、認知科学系の格好のターゲットともなり、膨大な文献が出てもいる。病名は、「半側空間無視」である。脳神経系の欠損では、それぞれの基本病態で回復期がおおむね設定できる。片麻痺の回復期は約半年であり、これを過ぎると病態が解除されないまま、脳神経系が病態の補償を含んだかたちで安定してしまう。半側無視の場合も回復期に適切な治療を行えば急速に視野を回復するが、それ以降は脳神経系の自律回復そのものに病態が含まれてしまうために、視野を半分欠いたまま安定してしまう。
こうした症例は、現象学に直接関係ないのではないかと思われるかもしれない。しかし直接的な体験世界を考察していくとき、そこで示された世界がどの程度の可変性の幅で成り立っているのか、また体験的経験の形成そのものはどのようになっているのか、というような問いにぶつかったとき、多大な手掛かりを提供してくれるのはこうした症例群である。体験世界の現われを明証性の基準で捉えていくときでも、経験そのものが変化するさいには、何が起きたのかがわからないような局面を通過する。意識は、変化の結果を捉えることを得意としているが、変化そのものを捉えることは難しい。というのも意識そのものがそこに巻き込まれているからである。
ベルクソンが持ち出す「不連続な経験」は、意味としては単純だが、本当のところは不連続な推移そのものに巻き込まれた経験をもつものにしかわからない。不連続な変化とは、反転図形の間を視点が移動するような変化ではない。また昏睡から目覚めるような変化でもない。あるいは予想外の大発見を行ったような変化でもない。もとより清水の舞台から飛び降りることとはなんの関係もない。およそ意識のなかで配置できるような経験ではない。前後の記憶が少し飛ぶことが多く、それでもまぎれもなく体験的確信として残るような変化があり、それは意識そのものの事実ではあるが、意識にとっての事実ではない。この不連続な経験は、意識の行為としての事実であるが、たとえ直接的であっても意識にとっての事象ではない。すると明証性にも多くのモードがあることがわかる。少なくとも、意識そのものの明証性と意識にとっての明証性は別の事態である。しかもひとたびこうした場面を経過すると、何度も出やすくなるのと同時に、その経験はつねにとても懐かしい安らぎとして繰り返し思い起こされる。そのため意識という現実は、みずからにとても無理をかけた状態ではないかとさえ思えるほどである。いま経験の幅をこうした不連続な変化を含むようなところまで拡張しておくことにする。経験を自己組織化するものの範囲まで広げるためには、このことを欠くことができないのである。
 半側空間無視の病理はいろいろと述べられているが、現時点での病態説明を取り上げるにとどめたい。右大脳半球は、感覚刺激に対して視覚情報処理や知覚の形成に関与しており、左大脳半球は言語野と密接につながっている。視野については、右大脳は視野の左右ともに注意を向けているが、左大脳は視野の右側しか注意が向かない。そこで右大脳に損傷が生じると、左大脳半球による右側の視野に注意機能が向くだけであり、全般的に視野の左側が見えにくくなるということになる。[13] この説明は、注意深く眼の問題を回避しているが、基本的には視野の成立を問題にしている。患者の注意が向くさいに、注意機能が左右の脳で非対称になっていることと、視覚的な視野の形成を並行的扱えるという点を前提している。だが症状は、視野だけに限ったことではない。左腕の内側(右側)を触ると分かるというが、外側(左側)を触ってもわからないという。手を裏返しにして、今度も内側(先ほどまでの外側)は分かるというが、外側(先ほどまでの内側)は分からないという。触覚性運動感覚、触覚性体性感覚にまで半側無視が及んでいるようである。
 私の自宅の斜め向いの青年は、五年程前に右能に脳血栓が生じ、左側の視野がとても見えにくくなってしまった。現在では安定しているが左側がみえないことには変わりがない。若いせいか視線も表情もしっかりしている。会って声を掛けると、うれしそうに微笑み返す。だがまなざしが変なのである。視線が右斜め四五度あたりを向いている。一般的な第一印象では、まったく眼が合わない状態である。だが本人はこれで視線があっているのである。左手、左足にも微弱な疾患が残っているが、一人で介助杖なしに道路を歩いている。しかも右肩を前に出し左肩を後ろに下げた右半身の状態で、道路端をまっすぐに歩いている。この姿勢が真っ直ぐに歩くためにもっとも相応しいようである。歩行速度は相当に遅いが、それでも一切の介助なしに歩くことができる。このとき視野を移動させ本人にとって必要な視野の軸を定めていることになる。これは健常者でも行うことができる。いままっすぐな姿勢をとり、頭をまっすぐに向けて、眼だけを右四五度に移動させてみる。視野の中心線が変わり、視界の右四五度あたりに中心が来る。
 このことから視野の成立には、体性感覚、運動感覚を含んで形成されている「正中線」が成り立っていることがわかる。通常、視野は左右対称に広がっている。そしてそこから右側、左側の区別が可能になる。右側、左側を知ってから、真中に正中線が引かれるということはありそうにない。視野の左右対称性は、運動性の働きをもつ動物に広くみられるような体験的世界の基本事実である。この左右対称性は、ここ‐向こうという奥行きの成立と並ぶ根本的な体験的事象である。正中線を引くことは一つの行為であり、左右対称がその行為の「規則」である。だがこの「規則」は現れそのものを成立させている規則でもなければ、現れを構成するような規則でもなく、現われにつねに同時に内在する行為的な規則である。そうした規則は、身体行為とともに世界にかかわってしまう場面ですでに出現しているのである。ところがこの視野のなかで「中心線」を移動させることができる。主として眼球移動によって、中心となる視野の方位を決めることができる。そのとき中心の位置あたりにある何かに注意を向けていることが普通で、中心線の設定は注意の方位によって設定されている。この何かに注意が向く場合、そこに注意を残したまま、左右に眼球を移動させ、その周辺を見ることができる。すると視野と呼ばれるものに、二種類の働きが関与していることがわかる。一つは、体性感覚、運動感覚と連動して形成された視野そのものに内在する正中線であり、もう一つが正中線を前提にして視野のなかにそのつど設定される注意と連動した中心線である。これによって視野の端をたとえばネコがよぎれば、そこを中心にして視点移動を行うことができる。さらに極端にしてみると、中心線を右側のぎりぎりまで移動させることができる。眼球を思いっきり右側に移動させるのである。すると右側のさらに右側に視界の外に出てしまう見えない領域があることがわかる。ここが視野の右の限界である。半側無視の患者にとって変容している空間は、正中線が残ったまま正中線の左半分が見えにくくなっている。つまり正中線は維持されており、正中線のもとでの左右対称性が失われている。
 ところでこの症例には、驚くほどの事柄がもう一つ含まれている。軽症の半側空間無視の場合、髭をそる程度の高次の身体行為を行うことができる。これほどの高次行為が実行できるにもかかわらず、髭の左側が剃り残しになる。しかもそのことを奇妙なことだと感じることができない。ご飯を食べていても、右側のご飯と魚ばかり食べ、左側の野菜にまったく箸をつけなかったりする。家族が野菜を一時的に右側にもっていくとそのときにはそれを食べるが、その後左側に戻すと、まったくそれには見向きもしなくなる。そしてそれを奇妙なことだと感じることがないのである。体験世界の変容には、奇妙な自然性があり、自然性の底の深さがある。それは注意によっては届くことのできない深さである。このとき半側空間無視の治療には、注意の拡張だけではなく、身体の左右を参加させる身体態勢変化を含んだ手順が必要となる。[14]
 こうした正中線の成立している世界のなかを身体とともに移動するとき、風景の変化率を手掛かりにして、真っ直ぐな方向に進んでいるか、右に曲がっているか、左に曲がっているかを調製することができる。長い壁沿いを横目で壁を見ながら移動するとき、一定の変化率で壁が通り過ぎていけば、壁と並行に移動していることになる。ちなみにこうした壁沿いで壁から離れるように歩いてみれば、壁の風景の変化率が変わることがわかる。この風景の変化率のことを、生態心理学者のギブソンは、オプティカルフローと呼んだ。オプティカルフローは、動物の移動のさいの方向調整と速度調整に用いられている。そしてそうした方向調整が可能になるのは、視界そのものがすでに真ん中、左右対称に開けているからである。つまり視野の正中線がすでに前提されている。またオプティカルフローが活用できるのは、随意運動ができ、随意的に運動の方向と速度の変更ができるものだけである。このときオプティカルフローのような光学情報は、行為の方向と速度を調整するための手掛かりとなっているだけである。
生態物理学は、多くの事実を明るみに出し、さまざまな解明の手法を提示してくれた。[15] だがこうした生態物理学とギブソンが晩年に定式化した「行為機会を提供する環境情報としてのアフォーダンス」は、とても折り合いが悪く整合的ではない。ある意味でアフォーダンスは、定義の仕方を誤ってしまったのである。生態物理学は、行為の継続にとって活用可能な行為調整のための環境情報の取り出しに成功している。ところがアフォーダンスの定式化は、客観心理学のなかに半ば自明に前提されている、線型の主観-客観体制に行為を押し込め、いわば客観である環境情報がまるで主体的な行動を誘導するかのような場面を思い描いているのである。[16] 行為と環境とのかかわり、行為と情報とのかかわりには、そうした線型の関係は成立していない。そうした線型の関係がないからこそ、生態物理学は有効な事実を解明できているのである。線型の関係を前提にすれば、情報は先験的に環境にあり、知覚は探索をつうじてそれを発見していくという、情報実在論・主観的探索の組み合わせになる。そしてこうした素朴実在論に近づく図式を前にして、当初の定式化の仕方そのものに無理があったということが察せられる。環境情報は、人間の行為にとって、運動イメージ、注意、身体体性感覚、身体運動感と並ぶ行為制御、行為調整のための有効な手掛かりであり、そうした環境情報のなかで、「行為の選択に直接手掛かりをあたえるもの」がアフォーダンス情報であって、かつそれが単独で働くことはまずないのである。この定義の変更は、ギブソンにとっても有利な変更だと思える。
 視野の空間的左右対称と関連して、身体の垂直維持というような事態がある。まっすぐに立つことは、重力に相即することであり、重力のなかで生きていくさいには、それふさわしい身体体勢をとっているはずである。足元の地面が傾斜していれば、足首と膝を調整して全身の重心の位置をおのずと変えているさいにも、この垂直維持が働いている。ところが半身に欠損がある場合には、この真っ直ぐに立つということの基礎的条件が変化してしまう。身体の垂直維持では、実際に重力に相即するという身体制御行為と真っ直ぐが何であるかをおのずと理解しているという「認知行為」が実行されていることになる。これは真っ直ぐがなんであるかを知ってからはじめて身体体勢を制御する関係ではなく、また身体制御とは独立に、いわば外から真っ直ぐがなんであるかを知ることでもない。建物の壁に合わせて、外的な指標情報から身体の垂直維持がなされるのではない。重力に即することは、身体をもってしまったものの最初でかつ永続的な課題である。こうした垂直維持をもとに、さらに左右の傾きのなさと、前後の傾きのなさの体勢感覚空間が形成されていると思われる。
傾きのないことが物理的にはもっともエネルギーのロスが少ない以上、これを外的に記述すれば、重力への適応状態でもある。横の傾きのなさと、前後の傾きのなさの形成は、垂直維持の動作をつうじて獲得されてくる。前後と横は、身体運動感覚と制御・調整の内感によって主として区別されるが、それらに対して垂直維持はいわば等価に働く。前に進むとは、前方へ移動した重心の位置を垂直維持の状態へと繰り返し復帰させることであり、わずかに持ち上がった重心を落とすことである。前方への移動の各一歩は、そのつど落下を含む。体性感覚としての垂直維持とつねに同時に空間の上下が形成され、それをもとにした最少移動とつねに同時に前方、および前後が形成される。さらにこの移動動作とともに、動作の交互性からつねに同時に、左右もしくは横が出現してくる。たとえカンガルーでも歩行は身体の交互性を活用しており、走行では左右同時に用いられている。こうした軸を二つずつ組み合わせると、垂直面、水平面、矢状面という面の三態が出現する。こうして身体体性感覚、身体移動感覚は、つねに同時に現れの空間を出現させる。これは幾何学的三次元空間の起源となるものであり、直交や直線は、意味としてではなく身体行為においてすでに獲得されているのである。


1、ボルノウ『人間と空間』(大塚恵一、池田健司、中村浩平訳、せりか書房、一九七八年)序論参照。
2、バシュラール『空間の詩学』(岩村行雄訳、思潮社、一九六九年)一八九頁。
3、メルロ=ポンティ『知覚の現象学2』(竹内芳郎、木田元、宮本忠雄訳、みすず書房、一九七四年)一〇九頁。
4、森岡周「脳の中の身体の発達/発達障害」『現代思想』(2007年5月)69-85頁参照。
5、荒川修作+マドリン・ギンズ『建築する身体』(河本英夫訳、春秋社、二〇〇四年)第二章、同『死ぬのは法律違反です』(河本英夫、稲垣諭訳、春秋社、二〇〇七年)参照。
6、フッサール『イデーンII‐1』(立松弘孝、別所良美訳、みすず書房、二〇〇一年)第二章。
7、ヴァイツゼッカー『ゲシュタルトクライス』(木村敏、浜中淑彦訳、みすず書房、一九七五年)諸論参照。
8、メルロ=ポンティもこの問題を論じているが、『知覚の現象学』の段階では、経験の形成というテーマや、そのさいに働いているイメージという主題領域を導入できないでいる。経験の形成にとって決定的なのは、イメージ、とりわけ遂行的イメージであって、知覚ではない。
9、こうした問い方をしたとき、ただちに「前に進めるとは何か」という問いへと進むことも、哲学の習い性であり、哲学的自足である。前に進む経験を持ち合わせていれば、そこで何が語られているかはわかる。だがそうした経験をもたないで、前に進むことは何かと問えば、ただ問いをずらしているだけであり、言葉のレベルでの概念規定を扱っていることになる。言葉のレベルでは、問いを無限後退のように進めることができる。さらに「前」とは何かと問えばよいのである。問いを変えても、経験が何一つ進まないような問いの設定がある。見掛け上、問いが続いてもすでに身構えた問いにしかなっていないのである。
10、ミンコフスキー『生きられる時間』(中江育生、清水誠、大橋博司訳、みすず書房、一九七三年)第二編第七章。
11、河本英夫「感覚の精神病理」(佐藤康邦、河本英夫編著『感覚――世界の境界線』(白青社、一九九九年)9章参照。
12、花村誠一「分裂病の精神病理とオートポイエーシス」『精神医学』(青土社、一九九八)第四章参照。
13、石合純夫『高次脳機能障害学』(医歯薬出版、二〇〇三年)第五章参照。認知科学的な検討として、たとえば乾敏郎、安西祐一郎『認知科学の新展開4――イメージと認知』(岩波書店、二〇〇一年)三章三節参照。
14、中里瑠美子「半側空間無視に対する臨床展開」(パーソナル・データ)同氏は天性のセラピストであり、世界有数のOT である。このデータによると、的確な初期治療を行えば、三週間程度でかなり回復することがあることがわかる。
15、生態物理のなかで、ターヴェイによる振り回す物体の長さの知覚の定式化と、リーによる接近する物体の残り時間の知覚の定式化は、特段に優れている。ただしターヴェイのその後の生態物理学一般の定式化は、ほとんど成功しているようには見えない。
16、リード、ジョーンズ『ギブソン心理学論集 直接知覚論の根拠』(境敦史、河野哲也訳、勁草書房、二〇〇四年)参照。


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